高齢者が多種のクスリを飲んでいる問題は、このブログでも取り上げていますがこれは複数の病院にかかることが原因のようです。
この理由は現在は医療の専門化が進み過ぎており、専門病院が増えていることにもありそうです。私が子供頃は田舎でもあり、近所に医院はひとつしかありませんでした。ですからどんな症状が出ても常に同じ病院にかかっていました。
しかし現在では近くに色々な専門医院が並んでいます。私はなるべくかかりつけのクリニックに行くようにしていますが、例えばテニスで膝が痛くなったら整形外科へ、眼に異常を感じたら眼科へ、肺が苦しい時には呼吸器科へと行くことが当然のようになっています。
実際に行きつけのクリニックの医師も、難しそうな場合はすぐ専門病院を紹介しますので、複数の病院にかかる機会は当然増えているようです。
ここでは無駄なクスリを処方される危険性が高い人の特徴は、複数の病院、複数の診療科にかかっていることとしていますが、現在ではある意味やむを得ないのかもしれません。
また医師の面から見ても、自分が向き合っている患者が、他の病院、医師からどのような薬を処方されているかを気にかける医師は多くないとしています。大抵の医師は症候や疾患ごとに機械的にクスリを出し、ポリファーマシーの問題をきちんと考えている医師は極めて少ないようです。
その結果ほかの医師による処方についてきちんと情報を得ないままに、追加で機械的にクスリを処方してしまい、患者が大量のクスリを飲まされるというパターンが出てきてしまいます。現在の日本の医療体制では、病院の間で連携や調整をするのが難しくなっています。
ひどい場合には同じ病院の中であっても、診療科が異なるだけでこうした情報共有がなされず、患者が薬を処方され過ぎてしまうケースがあるそうです。
つまり患者がほかの病院(ほかの診療科)にかかっているか、ほかの病院でどのようなクスリを処方されているかといった基本的な情報を尋ねてこない医師は、クスリを出し過ぎる可能性が高いと言えます。
自衛のためには医師に対して、自分がほかの病院などからどのような薬を処方されているかをなるべく的確に伝えられるようにしておきたいものです。大量のクスリを飲んでおり不調になったのでクスリを止めたところ、体調が良くなったというような話はよく見るような気がします。
処方されたクスリを中止した方が良いかは患者が判断してはいけないことですが、そういったことが相談できるようなかかりつけ医を作っておくことが必要なのかもしれません。
この理由は現在は医療の専門化が進み過ぎており、専門病院が増えていることにもありそうです。私が子供頃は田舎でもあり、近所に医院はひとつしかありませんでした。ですからどんな症状が出ても常に同じ病院にかかっていました。
しかし現在では近くに色々な専門医院が並んでいます。私はなるべくかかりつけのクリニックに行くようにしていますが、例えばテニスで膝が痛くなったら整形外科へ、眼に異常を感じたら眼科へ、肺が苦しい時には呼吸器科へと行くことが当然のようになっています。
実際に行きつけのクリニックの医師も、難しそうな場合はすぐ専門病院を紹介しますので、複数の病院にかかる機会は当然増えているようです。
ここでは無駄なクスリを処方される危険性が高い人の特徴は、複数の病院、複数の診療科にかかっていることとしていますが、現在ではある意味やむを得ないのかもしれません。
また医師の面から見ても、自分が向き合っている患者が、他の病院、医師からどのような薬を処方されているかを気にかける医師は多くないとしています。大抵の医師は症候や疾患ごとに機械的にクスリを出し、ポリファーマシーの問題をきちんと考えている医師は極めて少ないようです。
その結果ほかの医師による処方についてきちんと情報を得ないままに、追加で機械的にクスリを処方してしまい、患者が大量のクスリを飲まされるというパターンが出てきてしまいます。現在の日本の医療体制では、病院の間で連携や調整をするのが難しくなっています。
ひどい場合には同じ病院の中であっても、診療科が異なるだけでこうした情報共有がなされず、患者が薬を処方され過ぎてしまうケースがあるそうです。
つまり患者がほかの病院(ほかの診療科)にかかっているか、ほかの病院でどのようなクスリを処方されているかといった基本的な情報を尋ねてこない医師は、クスリを出し過ぎる可能性が高いと言えます。
自衛のためには医師に対して、自分がほかの病院などからどのような薬を処方されているかをなるべく的確に伝えられるようにしておきたいものです。大量のクスリを飲んでおり不調になったのでクスリを止めたところ、体調が良くなったというような話はよく見るような気がします。
処方されたクスリを中止した方が良いかは患者が判断してはいけないことですが、そういったことが相談できるようなかかりつけ医を作っておくことが必要なのかもしれません。