旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

休日まで待たなくていい暮らし

2019年02月27日 13時55分55秒 | 淡路島のこと
今朝海沿いの国道を車で走り抜けながら「ああ、そうか!」とものすごく腑に落ちたことがあった。
なんで淡路島での暮らしがこんなにも快適なのか、幸せなのか、その理由がポンと分かったのだ。

ここに住むようになってから休日を待つ気持ちがすーっと薄くなった。
なんというか「今日が休日でも平日でもどっちでもいいや」そんな感覚になったのだ。

海が見たければ、窓を開ければいい。もっと近くに行きたければ坂を下ればいい。10分も歩けばそこが海だ。
オーガニックショップを探さなくても9時に開く産直に行けばそこに新鮮な野菜と花がたくさん置いてある。
それも驚くような安い値段で。旬の時期でないものは置いていないけれど、それがどした?旬になったら
食べればいいだけの話だ。ナスやトマトやピーマンやキュウリ・・・長いこと食べてない。
でも私はもう知っている。あと何か月もすれば、毎日毎日畑の夏野菜たちがこれでもかというほど台所まで
追いかけてくることを!!それは夢の中まで追いかけてくるんじゃないかというくらいピーマンが収穫できることを。

ちょっと休憩したければ、美味しいカフェやレストランにフラッといけばいい。週末は近づくこともできない
けれど平日はのんびりしたものだ(のんびりしすぎて営業していない日が多いけれど)
「これ、居留地で出したらいくらするんやろ?」みたいなサラダをモリモリ食べる時、ああ幸せやなと思う。

釣りに行きたければ早起きすれば行けるし、散歩コースもランニングコースも島中が絶景ポイントみたいなもんだ。
肉は肉屋へ、魚は魚屋へ。私は日本酒飲めないけれど、うちの家から坂を下ると酒蔵だから新鮮なお酒もすぐに
手に入る。

そう、「休日に行きたい場所に住んでいる」のだ。そりゃ幸せに決まってる。いつもいつでも嬉しいに決まってる。

社会人になってからは休日のために我慢をする生活が当たり前だと思っていた。休日のリフレッシュこそが
喜びの全てだった。それでもストレスから逃れることはできなかった。
もちろん今の生活にストレスがないかと言えばそんなことはない。だけど、自分で自分の暮らしを組み立てることの
できるこの環境は私にとってとても心地がいい。

自然の力が雄大で、人間がそれをせっせと追いかけている感じも悪くない。いつだって自然の方が何歩も先を
いっている。人間がコンビニでせっせと季節を追っかけているのをみると「気の毒に・・・」とすら思う。
雨が降ったら土の匂いがして、晴れたら待ちきれない感じで畑に座っているおじいちゃんおばあちゃんとかみると
あまりにもまっとうな光景すぎて胸がいっぱいになる。

よそ者だから見えること、それをまっすぐ見ていきたい。


大丈夫。みんな一年生になるんだよ

2019年02月20日 14時19分32秒 | 日々のこと
保育園で家庭で、親が先生がじいちゃんばあちゃんが、言うてませんか?

「ごはん早く食べないと一年生になれないよ」
「ひらがなかけないと一年生になれないよ」
「お友達とケンカするような子は一年生になれないよ」
「自分で着替えができないと一年生になれないよ」
「ほら、もう、早くして!そんなことじゃ一年生に・・・(省略)」

違うよ。そんなことで子どもを不安にさせないで欲しい。

「あなたも、おともだちも、みんなみーんな一年生になれるよ。大丈夫!!」

字が書けなくても大丈夫。学校はそれを教えてくれる場所なんだよ。楽しみだね。
ごはん早く食べられなくても大丈夫。「減らしてください」って自分で言えたらサイコーだね。
友だちとケンカしても大丈夫。学校はケンカして仲直りの方法を学ぶ場所なんだよ。
着替えができない?大丈夫。今からゆっくり一緒に練習しよう。きっと3日でできるようになるよ。
早くしなくても大丈夫。ゆっくり、ていねいに、落ち着いて。それでも間に合わないと困る場面も
あるよね。よしっ、ちょっと早めに準備にとりかかろう。おうちの人はその時間を確保してあげてね。

どの子も一年生になるのを本当に楽しみにしている。それはもう大人の想像をはるかに超えて
“学校”という場所に憧れを抱いている。待ちに待っているその気持ちを簡単に踏みにじらないで欲しい。

星が「〇〇ちゃん給食食べるんめっちゃ遅いねんで。一年生なれへんなー。」「〇〇くん、いっつも
先生に怒られてるねん。一年生なれへんなー。」と言うのがとても嫌で、でも待てよ。これって周りの
大人がそういうプレッシャーを与えているからだよな、と考えさせられた。

私は声を大にして言うていこう。

「みーんなみんな、6歳のお誕生日が来たら一年生になるんだよ。お話ができないお友だちも歩くことが
できないお友だちも、日本の言葉が分からないお友だちもいるかもしれない。でもね、みーんな
一年生になるんだよ。先生や周りの大人はそんなあなたたちのお手伝いをするためにここにいるんだよ。
だから大丈夫。悪い子なんてどこにもいない。もうすぐみんな立派な一年生!」

桜が咲いたら一年生。

脅しはいらない。不安を煽るような言葉もいらない。全ての子どもたちに祝福を。

毎日繰り返される日常の中で、こんな正しい気持ちを保ち続けることの難しさもじゅうぶんわかっている。
私がこれをできてるかというと、ああ・・・涙がでる。できてない。
でも「できてない」と開き直ってしまうのではなく、毎日反省して、リセットして、正しい気持ちを
心の真ん中において、そしてまた次の日を迎えるしかない。がんばろ。

今から収穫した大量のホウレンソウをゆでてゆでてゆでまくって、冷凍庫へ。
明日はほうれんそうカレー。



続 サーカス

2019年02月19日 11時14分57秒 | 日々のこと
今回サーカスに行くきっかけになったのは、子どもたちと眠る前に読んでいる
「長くつしたのピッピ」のお話だった。このお話の中になんとも愉快なサーカスの話があったのだ。

子どもたちのサーカスの予備知識はこの本のみ。ピッピがライオンをもちあげたり、空中ブランコに
飛び乗ったり、それはそれは破天荒な物語なので知識といえるのかどうか・・・
ダンナ氏にも「間違ってもパソコンで動画見せたりせんといてよ」と注意しておく。「おう、当然」
と返事してもらえて、やっぱり我が家にテレビはいらないな、と再確認。

この日に備えて双眼鏡も購入。行きの電車の中でも双眼鏡をのぞいて大興奮の二人。
座席に座って「さあ、いよいよ!」という時になって双眼鏡を座席の下の謎の空間に落としてしまう
というトラブルに!福、涙目・・・っていうか泣いてる。星が「しゃーない、しゃーない」と
なだめている。私「ムスッ(無言)」ああ、幕が開いてしまう・・・星が正しい。気持ちを切り替えて
福に「もう、いいやん。見えるし。チケット失くして入られへんよりマシやん。忘れよ!!」と言うも
なかなか難しく、もうええわっ!!放置。

休憩の時に係員さんに事情を説明して探してもらうと、あったはあったのだが、見事に割れていた(涙)
かたっぽづつバラバラになった双眼鏡を見て星がまたひとこと「これやったら、二人でいっぺんに
使えるやん!!」片目で覗き込む星。正しい。

福は全然しゃべらないので、まだ拗ねているのかなと思っていたけれど、どうも違ったらしい。
あまりにもびっくりして目を見開いたままそれを受け止めるだけで精一杯だったらしい。
最後に漏らしたひとことは「かあちゃん、サーカスまた行きたい」だった。

星は無邪気に楽しんでいた様子。細部までよく見ているのはいつものこと。
翌日、早速家の前で猛獣使いになりきり、棒を振り回しながらつばさに肉をあげる真似をしてゲラゲラ
笑っていた。「これええわー!星もこうやってごはん食べてみたい!!」だって。

子どもの目にどんな風にうつったのか、私からあれこれ聞くことはないけれど、なんかとんでもない
非日常の空間があったことを心のどこかで覚えていてくれたら、連れて行ったかいがあったなーと思う。

次回またどこかでサーカスがあったら、今度はリング席のど真ん中でかぶりつくように見たい。

ゆあーんゆよーんゆあゆよん。

小学校で習ったその時はただ幻想的に響いただけだったけれど、大人になって深く理解できたことも
嬉しかった。学びと体験が結び付く快感って、ものすごく気持ちいいものだ。あれ?もしかして
これが「勉強する」ってこと?この世界にはまだまだ知りたいことがあふれている。

ゆあーんゆよーんゆやゆよん

2019年02月18日 13時38分59秒 | 日々のこと
日曜日、サーカスに行ってきた。
子どもたちは初めての体験。私は子どもの時以来のサーカスだった。

サーカス。
あんなに面白いとは。
二部の後半なんて、立ち上がる勢いで夢中になった。

テントは思っていたよりも小さくて、入ると草の匂いがした。
当たり前だけど床は地面の上にシートをかぶせただけで、イスもとても簡易なもの。
もっと大掛かりなものを想像していた私は少し不意打ちをくらったような気がしたけれど
始まると同時に「あっ、これ私の好きなやつや!」とすぐに分かった。

脈略のない演目が次から次に繰り出される滑稽さ。目の前で人間が真剣に身体を使って何かを
成し遂げているのに、その顔と衣装のけばけばしさとのギャップ。
突如現れた猛獣使い(イギリス人)と本物の猛獣たち。その猛獣がぺこりとお辞儀をした
時のやんややんやの大喝采。空中ブランコのこの世のものとは思えない超絶技、(これをひらがなで
表現した中原中也の偉大さにしびれた)

子ども向けのショーだと思っていたのに、その期待は見事に裏切られた。
なんとも言えない官能的な空間と妖艶さで隣にいた福星のことをすっかり忘れている自分がいた。
サーカス、大人になってから体験した方が絶対に絶対に楽しい!!

途中休憩で売店をのぞくと、ビールを発見。「えっ?飲んでいいんや」そんな雰囲気。
もちろん子連れが圧倒的に多かったけれど、私たちの前に並んでいたのは50代くらいのおっちゃん
4人組。どういうやりとりがあってここに来ているのかすごく気になった(笑)

終了後、子どもたちと興奮気味にテントをあとにする。外はもう暗い。あったかいテントから出た途端
時空がぐにゃんとねじれたような気がした。人の流れについてのろのろと歩き始める。振り返ったら
そこにテントがあるはずなのに、なぜか怖くて振り返ることができなかった。振り返ったらそこは
ただの原っぱだった。そんなことがもしあっても不思議ではないような気がした。梅田のど真ん中なのに
どこでもないどこかにいるような気がした。

空中ブランコのお兄さんも、ピエロたちも、猛獣使いも、ありえない数のフラフープをくるくる回していた
陽気なおねえさんも、チケット売り場のバイトちゃんも、ぞうも、シマウマも、みんなそこにいるはずなのに
サーカスが終わると同時にどこかに消えていくことの哀愁がたまらなかった。

「うーん、知ってるぞ。私、この感じを知ってるぞ。うーんうーん」とずっと考えて、夜中に思い出した。
その昔、カンボジアにあったナイトクラブだ。ナイクラや。サーカスはあれと一緒だった。

洗練された美しさではなく、もっとドロドロした官能的な場所。人間の泥臭いにおいのする場所。
あるのにないような幻のような空間。

ものすごく有名なサーカスなのに、まさかこんな原始的な喜びを味わえるとは。
私、どんだけ娯楽に飢えてるねんっ!とひとりつっこみながら帰ってきた。
昔の人や私が訪れた時代のカンボジアの人たちにとって、サーカスがいかにとっておきの娯楽であり
夜のお楽しみだったかが、染み入るようにわかった夜だった。あの時のクメール人の笑顔の理由が
ようやくわかって、そのことが嬉しくてあの時、あの場所にいた人たちともう一度会いたくなった。
もうどこにもいないけれど。幻のような場所だったけど。もしかしたら今日のサーカスもそんな
思い出のひとつになるのかも知れない。そんなことを思った。

子どもたちのサーカスについてはまた次回。





釣り男と釣り子

2019年02月16日 17時53分12秒 | 淡路島のこと
海はすぐそこにあるのだけれど「小学生は子どもだけで海に近づいてはいけません」と
学校から厳しく指導されている。小学生男子を単独で海に近づける度胸はさすがに私もないわ。

ということで、福と星と近所の男子が午後1時からダンナ氏の帰りを外で待っている・・・
「帰ってくるの夕方だよー」と声をかけても聞く耳もたず。

で、17時にダンナ氏の車の音が聞こえると、3人で車を追いかけて家まで走ってきた。
そして「ちょっといってくるわ」と出かけたまま帰ってこない・・・

しかも近所の子は「帰りはじいちゃんの家で降ろしてな(じいちゃんの家港のすぐ横)」と
しっかり指定。ライフジャケットもすでに装着済み。

釣りの魅力恐るべし。
釣ってきたらいいのに、釣れないんだよねー。

ダンナ氏の誕生日にグローバルの出刃と柳刃をプレゼントしたのに、まだ出番なし。
釣りにいくなら釣ってこい!!と喉元まででかかるがぐっとがまん。

この育児のゴールデンタイムにでかけるのやめてほしいんやけど(苦笑)
釣り男にとってもこの時間はゴールデンタイムらしい。

大人の釣り男は最近路肩に車を停めて、はっ??と二度見するような場所へ降りていく釣りを
している模様。心配してもしゃーないけど、帰ってくるまでやっぱり気になる。
「釣れるところで釣りなよ」と言うと「それの何がおもしろいの??」と真顔で聞かれて
「だよね・・・」と会話終了。

今日も釣り男と釣り子たちを無事に家まで帰してください。

嬉しくて、おもしろくて、心配で、ちょっとだけイラっとする夕方。
誰かこの微妙な感じ分かってくれるでしょうか。やれやれ

明日はサーカスいくで!!ライオンガオーや!!帰りは焼き鳥や!!