旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

親に寄り添うとは

2019年02月04日 18時09分43秒 | 社会と政治のこと
また虐待によって小さな子どもの命が奪われた。
アンケートの翌日一時保護されたということから、担任を始め学校の先生は
相当がんばったと思う。そこからの対応は問題だらけだったとしても。

みんな心が痛いだろうな、といたたまれない気持ちになる。
もちろん一番絶望したのは殺されてしまった小さな女の子だけれど。
「助けて」と書いたアンケートを父親から見せられたその時彼女はどれだけ怖かったことか。
「もうダメだ」と思ったに違いない。

保育や教育を志し、勉学に励んだ4年間。具体的な虐待の対応や、無理難題を突き付けてくる
保護者対応について学んだ記憶は一度もない。
私はここが一番問題なのではないかと思えて仕方がない。(もしかしたら今はしっかりそのような
授業もカリキュラムに含まれているのかも知れないが)
かわりに学んだのは「子育て支援は親を含めた支援です」「親を支えることも保育者の大事な
役割のひとつです」そんなモヤーっとした言葉が並んだ授業をぼーっと聞いていただけだった。
その頃はもちろん周りの仲間も親になっていなかったし、子どものことを想像することはできても
子どもを育てる親のことを想像するのは「想像してみよう」とも思わないほど遠い世界のことだった。

資格を取得して保育の現場にでてみると、子どもの対応よりも親の対応に悩む方ががはるかに多かった。
子どものことは試行錯誤しながらいろいろな方法でアプローチすることができたが、親の対応は一発勝負。
待ったなしのケースがほとんどだった。それがどれだけ難しかったことか。怖かったことか。
経験の浅い保育者の心が折れてしまうほとんどの理由はここだと思う。低賃金とか重労働とかもちろん
そういう外的要因もあるけれど、保護者対応のプレッシャーに堂々と立ち向かうことができるほどタフな
心を持つには相当な経験と時間がかかるのだ。(今も全く自信ないです・・・)

子どもの様子がいつもと違う時、家庭で何かがあった時、毎日接している私たちはそのサインに
気付くことができる唯一の大人だ。(そうであると信じたい)

もっともっとこの分野での専門性を高めてから現場に出ることができるようになって欲しい。
手遊びも大事、絵本を上手に読むことも大事、ピアノも大事、記録を的確にとることも大事、
アンパンマンの主要キャラクターをペン一本で書けることも(多分)大事。←私はできないが。
だけど、それら全ては私たちの子どもが生きて保育園に来てくれるからこそなのだ。
子どもが家で虐待されて殺されてしまったら、こんな小さなスキルになんの意味もない。

ニコニコしている保育者はたくさんいるが、ニコニコしているだけじゃダメなのだ。
その目の奥は怒りに燃えてないとダメなのだ。子どもが味わっている怖さに共に震えていなければダメなのだ。

子どもを守る、親に寄り添う。時にそれは全く正反対の行為を伴う。その覚悟を保育者はいつも問われている。
どっちに立つのか?答えは簡単だ。いつもいつでも、何があっても誰に指図されても、子どもの側に立つ。
絶対に立つ。

今回恫喝に負けてアンケートを渡してしまった職員の行為は許されるものではないが、もっと大きな
間違いがこの事件のあちこちに隠れているような気がする。

亡くなってしまった小さな女の子がせめて今は怖い思いをしていませんように。
どこかで怖い思いをしている子どものSOSに気付くことのできる大人が一人でも増えますように。