日曜日、サーカスに行ってきた。
子どもたちは初めての体験。私は子どもの時以来のサーカスだった。
サーカス。
あんなに面白いとは。
二部の後半なんて、立ち上がる勢いで夢中になった。
テントは思っていたよりも小さくて、入ると草の匂いがした。
当たり前だけど床は地面の上にシートをかぶせただけで、イスもとても簡易なもの。
もっと大掛かりなものを想像していた私は少し不意打ちをくらったような気がしたけれど
始まると同時に「あっ、これ私の好きなやつや!」とすぐに分かった。
脈略のない演目が次から次に繰り出される滑稽さ。目の前で人間が真剣に身体を使って何かを
成し遂げているのに、その顔と衣装のけばけばしさとのギャップ。
突如現れた猛獣使い(イギリス人)と本物の猛獣たち。その猛獣がぺこりとお辞儀をした
時のやんややんやの大喝采。空中ブランコのこの世のものとは思えない超絶技、(これをひらがなで
表現した中原中也の偉大さにしびれた)
子ども向けのショーだと思っていたのに、その期待は見事に裏切られた。
なんとも言えない官能的な空間と妖艶さで隣にいた福星のことをすっかり忘れている自分がいた。
サーカス、大人になってから体験した方が絶対に絶対に楽しい!!
途中休憩で売店をのぞくと、ビールを発見。「えっ?飲んでいいんや」そんな雰囲気。
もちろん子連れが圧倒的に多かったけれど、私たちの前に並んでいたのは50代くらいのおっちゃん
4人組。どういうやりとりがあってここに来ているのかすごく気になった(笑)
終了後、子どもたちと興奮気味にテントをあとにする。外はもう暗い。あったかいテントから出た途端
時空がぐにゃんとねじれたような気がした。人の流れについてのろのろと歩き始める。振り返ったら
そこにテントがあるはずなのに、なぜか怖くて振り返ることができなかった。振り返ったらそこは
ただの原っぱだった。そんなことがもしあっても不思議ではないような気がした。梅田のど真ん中なのに
どこでもないどこかにいるような気がした。
空中ブランコのお兄さんも、ピエロたちも、猛獣使いも、ありえない数のフラフープをくるくる回していた
陽気なおねえさんも、チケット売り場のバイトちゃんも、ぞうも、シマウマも、みんなそこにいるはずなのに
サーカスが終わると同時にどこかに消えていくことの哀愁がたまらなかった。
「うーん、知ってるぞ。私、この感じを知ってるぞ。うーんうーん」とずっと考えて、夜中に思い出した。
その昔、カンボジアにあったナイトクラブだ。ナイクラや。サーカスはあれと一緒だった。
洗練された美しさではなく、もっとドロドロした官能的な場所。人間の泥臭いにおいのする場所。
あるのにないような幻のような空間。
ものすごく有名なサーカスなのに、まさかこんな原始的な喜びを味わえるとは。
私、どんだけ娯楽に飢えてるねんっ!とひとりつっこみながら帰ってきた。
昔の人や私が訪れた時代のカンボジアの人たちにとって、サーカスがいかにとっておきの娯楽であり
夜のお楽しみだったかが、染み入るようにわかった夜だった。あの時のクメール人の笑顔の理由が
ようやくわかって、そのことが嬉しくてあの時、あの場所にいた人たちともう一度会いたくなった。
もうどこにもいないけれど。幻のような場所だったけど。もしかしたら今日のサーカスもそんな
思い出のひとつになるのかも知れない。そんなことを思った。
子どもたちのサーカスについてはまた次回。
子どもたちは初めての体験。私は子どもの時以来のサーカスだった。
サーカス。
あんなに面白いとは。
二部の後半なんて、立ち上がる勢いで夢中になった。
テントは思っていたよりも小さくて、入ると草の匂いがした。
当たり前だけど床は地面の上にシートをかぶせただけで、イスもとても簡易なもの。
もっと大掛かりなものを想像していた私は少し不意打ちをくらったような気がしたけれど
始まると同時に「あっ、これ私の好きなやつや!」とすぐに分かった。
脈略のない演目が次から次に繰り出される滑稽さ。目の前で人間が真剣に身体を使って何かを
成し遂げているのに、その顔と衣装のけばけばしさとのギャップ。
突如現れた猛獣使い(イギリス人)と本物の猛獣たち。その猛獣がぺこりとお辞儀をした
時のやんややんやの大喝采。空中ブランコのこの世のものとは思えない超絶技、(これをひらがなで
表現した中原中也の偉大さにしびれた)
子ども向けのショーだと思っていたのに、その期待は見事に裏切られた。
なんとも言えない官能的な空間と妖艶さで隣にいた福星のことをすっかり忘れている自分がいた。
サーカス、大人になってから体験した方が絶対に絶対に楽しい!!
途中休憩で売店をのぞくと、ビールを発見。「えっ?飲んでいいんや」そんな雰囲気。
もちろん子連れが圧倒的に多かったけれど、私たちの前に並んでいたのは50代くらいのおっちゃん
4人組。どういうやりとりがあってここに来ているのかすごく気になった(笑)
終了後、子どもたちと興奮気味にテントをあとにする。外はもう暗い。あったかいテントから出た途端
時空がぐにゃんとねじれたような気がした。人の流れについてのろのろと歩き始める。振り返ったら
そこにテントがあるはずなのに、なぜか怖くて振り返ることができなかった。振り返ったらそこは
ただの原っぱだった。そんなことがもしあっても不思議ではないような気がした。梅田のど真ん中なのに
どこでもないどこかにいるような気がした。
空中ブランコのお兄さんも、ピエロたちも、猛獣使いも、ありえない数のフラフープをくるくる回していた
陽気なおねえさんも、チケット売り場のバイトちゃんも、ぞうも、シマウマも、みんなそこにいるはずなのに
サーカスが終わると同時にどこかに消えていくことの哀愁がたまらなかった。
「うーん、知ってるぞ。私、この感じを知ってるぞ。うーんうーん」とずっと考えて、夜中に思い出した。
その昔、カンボジアにあったナイトクラブだ。ナイクラや。サーカスはあれと一緒だった。
洗練された美しさではなく、もっとドロドロした官能的な場所。人間の泥臭いにおいのする場所。
あるのにないような幻のような空間。
ものすごく有名なサーカスなのに、まさかこんな原始的な喜びを味わえるとは。
私、どんだけ娯楽に飢えてるねんっ!とひとりつっこみながら帰ってきた。
昔の人や私が訪れた時代のカンボジアの人たちにとって、サーカスがいかにとっておきの娯楽であり
夜のお楽しみだったかが、染み入るようにわかった夜だった。あの時のクメール人の笑顔の理由が
ようやくわかって、そのことが嬉しくてあの時、あの場所にいた人たちともう一度会いたくなった。
もうどこにもいないけれど。幻のような場所だったけど。もしかしたら今日のサーカスもそんな
思い出のひとつになるのかも知れない。そんなことを思った。
子どもたちのサーカスについてはまた次回。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます