旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

情報の集め方

2016年06月30日 16時29分35秒 | 社会と政治のこと
長野に行ってる間、久しぶりにテレビを見たけれど、「これほんまにいらんな」と
改めて確認しただけだった。
低質な番組のことは初めから相手にしないとして、必要な情報が一体どれだけ公平に
報道されているのだろうか。

新聞もそう。ここに書いてあることが本当に真実なのか?市民の総意なのか?
こたえはノー。

じゃあ、どうやって情報を集めたらいいのだろうか?何を信じたらいいのだろうか?

わからん。考えれば考えるほどわからん。
メディア断ちという方法も検討したが、それをやってしまうと、アホな私は本当に
何もわからなくなる。自分の主観と感情だけで一人大暴走してしまうのが目に見えてる。

最近「偏ってる」という言葉をよく目にするが、偏っててなにが悪いんだろう?
全ての真ん中をうまいことすくいあげているだけの情報に何の意味がある?
そんな人間に魅力を感じる?私にはただののっぺらぼうにしか見えない。

正しい報道、そんなの本当はないのかも知れない。
だとしたら、やっぱり自分できゅうきゅう頭をふりしぼって考えるしかない。
一人ひとりの「正しさ」を議論して、ぶつけあわせて、そこからなんとか妥協点を
見出していくしかないんじゃないだろうか。
だからテレビや新聞の言ってることがバラバラなのはある意味まともなことだとも言える。
その方が考える側にとってはわかりやすい。
産経新聞と赤旗が同じことを言うようになったら、その時こそ本当に危ないのでは?
中立を叫ぶ人は一体なにを恐れているんだろうか。そこに何か隠れているのか?

本を読もう。人の話を聞こう。落ち着いて考えよう。
小学生の目標みたいやけど、これしかできない。家の中で全てが完結している最近の私。
三宅洋平のスピーチ聴きに、東京いきたいなー。いけるかなー。いこっかなー。あっ、いくかも。

福の思い

2016年06月29日 12時31分21秒 | 日々のこと
福之介がひらがなを書けるようになった。
書き順はむちゃくちゃだし、鏡文字だらけだし、大きさも、書く順序も
バラバラだけれど、それでも「文字」をどんどん自分のものにしている。

私は何も訂正しないし、何も教えていない。ふくが「どうやってかくの?」と
質問した時だけ簡単に答えるようにしている。

ふくが文字を習得していく過程をみていると本当に感動する。
字が書けるようになることに対してではない。ふくは誰かに何かを伝えたいのだ。
ふくにとっての文字は「あいうえお」ではない。自分の名前を何回も何回も
繰り返し書いたり、友達に手紙を書くことが、大きな喜びなのだ。文字で何かが
伝わることが嬉しくて仕方ないのだ。

けいさつが“けえさつ”になっていようが ふくの“く”がひっくり返っていようが
きりんのよこに“きりね”と書いていようが、どれもハナマル。
ものすごい筆圧で真剣に書いている姿を見ていると、「間違ってるよ、バツだよ」なんて
とてもじゃないけれど言えないし、言う必要もない。
そんなことは小学校に行ったら先生がプロのテクニックで教えてくれる。鏡文字なんて
自分で気づきさえすれば一回で直る。しゃべり言葉と書き言葉が異なるのに気づいた時、
それは素晴らしい発見になるだろう。

ふくが紙いっぱいに書いた「手紙」は脅迫文にみえないこともないけれど(笑)
そこにはふくが誰かに何かを伝えたい思いがあふれている。
学びの先にあるものが、いつでも「誰かに何かを伝えたい」という情熱でありますように。

そんなことを思いながら、かあちゃんはふくの手紙を大切にファイルに入れてるよ。





三宅洋平かっこいいがな

2016年06月28日 22時15分27秒 | 社会と政治のこと
この人、自分の言葉で、自分の心で、目の前の人に向かって訴えてる。
会ったことないけど、握手したら絶対にガシッて私の一番好きな握手をしてくれる気がする。

山本太郎を笑うのは簡単だ。

でも本当にバカにされているのは一体誰なんだろう。
ただ生きているだけで、人間まで消費されているこの国の形はおかしい。

必死になってお金を使って、消費の快楽で不満を見えなくしているけれど
本当に欲しいものはそこにあるのかな?

三宅洋平の演説を聞いて、あきらめている自分が恥ずかしくなった。
嫌われてもいいや。うっとおしがられてもいいや。敵を作ってもいいや。
離れていく友達がいてもいいや。

とにかく選挙へ。そしてできれば三宅洋平のことをチラリとでも知って欲しい。
私の友達はみんな言うだろうな。「ああ、コズエの一番好きな顔やな。」と。
そうそう、そうなんだよ。いいやんか(笑)

政治を自分の言葉で語る山本太郎と三宅洋平に気づかされることがたくさんある。
なんとなく心にひっかかっていることが、すっきりした。

若者はそれが欲しかったのかな?

2016年06月28日 00時30分49秒 | 社会と政治のこと
18歳以上に選挙権が引き下げられたけれど、さて、はて、
若者はそれを望んでいたのだろうか? 若者が選挙に行けるよう、
大人が必死になってお膳たてしているのが、私には奇妙に見えて仕方がない。

18,19歳の若者が必死に運動をして、勝ち取った権利であるのならまだしも
ここまでちやほやして、投票に行っていただかなければいけないのか?

若者に期待!未来を決めるのはキミたちだ!みたいなことを言ってるけど
そんなことよりもまずは大人が選挙でまともな政治家を選ぶ姿を見せたほうが
いいんじゃないか?投票率50パーセント切るなんて、おかしくないか?

丸投げするなよ若者に。選挙の大切さを訴えるなら、まずは自分の身近なところから
なんとかしようよ。

若者は(子どもは)バカじゃない。大人がどういう風に社会と関わっているのか、
何に対して真剣になっているのか、ちゃんと見抜く力を持っている。
大人のほぼ半分が参加していない選挙なんて、なんの説得力もない。

つくづく子ども扱いするのが大好きな国なんだなーとがっかりする。
選挙権は与えたけれど、本当は子どもに大人になって欲しくないんじゃないかと勘繰りたくなる。
長い間子ども扱いした後は、親になった途端急に大人になれと要求し、歳をとったら再び
子ども扱いに戻る。なんなんだ?この窮屈さ。

自分の生き方を自分で選ぶために、私は選挙にいこうと思う。
できれば、あなたにも行ってほしい。何を選ぶかは人それぞれ。(そりゃそうだ。それが選挙だ。)

選挙ができなくて、国がボロボロで、出ていくしかない人がたくさんいる。
「こうなったらいいね」そんな議論さえできない人がたくさんいる。日本だってほんの少し前まで
「女だから」という理由だけで選挙に参加することができなかった。

それを忘れないでいたいと思う。

パソコンの線がちぎれておりました

2016年06月18日 00時01分24秒 | 社会と政治のこと
ある朝起きたら、パソコンの線がイスに絡みついたままちぎれていた。
なんとも悲しい姿・・・

そういえば昨日の夕方あいつとあいつが回転イスに二人乗りして
「キャッホー!ウギャー!」と大騒ぎしていたっけ(遠い目)

残りの電力でamazonで買えるかと調べてみたが、その途中で画面が真っ暗に。
チーン。

今日メーカーから届いてようやく復活。
でも、なければないで、別に全然困らないんだよなぁ。

選挙が近い。
ぼーっとしている自分に腹が立つのだけど、どうしても深く物事が考えられない。
24時間の区切りがなく、自分のことよりも他人!?の世話を優先しているからなのか。

舛添氏は誰にはめられたんや?
甘利氏の睡眠障害ってなんなんや?おい。
東京オリンピックはもうやめた方がいいんじゃないか?
原発推進のCMを復活させてジワジワ元に戻そうとするって無神経すぎないか?
マスコミは一体何様なんや?(実際に見てないからなんとも言えないが、これはイジメの
構造と何が違うんや?)

そして、選挙、どこに入れたらいいんや?誰に入れたらいいんや?

言えることはただひとつ。とにかく投票にいこう。そこからしか始まらない。

明日からしばらく長野へ。