旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

小学生男子の頭の中

2019年11月20日 23時56分44秒 | 日々のこと
小学3年生。9歳。
“常識”という概念が育っているようで育っていない感じが
言葉を操り始めた2歳後半と重なって仕方ない。

勘違いや言い間違い、もうあんなに笑わせてもらえることはないと思って
いたけれど、そんなことは全然なかった!

例えば今日の会話はというと。

(19時50分)
あくびばかりしながらこたつで本を読んでいる福にむかって
(星はすでにこたつで白目むいて倒れていた)

私→「もう寝たら?」
福→「いやっ、それはできひんねん。」
私→「なんで?」
福→「いっつも20時になってから布団に入るやろ。先生が毎日
  同じ時間に寝て、同じ時間に起きなあかんって言うてたから
  それはしたらあかんねん」
私→「・・・っそれは、ちょっと違うんちゃう?早く寝るぶんには
  かまわないと思うけど」
福→「そういうわけにはいかへんわ」

と、かたくなに20時まで布団に入らず本を読みながらうとうとしていたり。

私→「早起きして何してたん?」
福→「誰も起きてない時間やったら人形としゃべれるかも知れへんと
  思ったからしゃべりかけてた」
私→「で、どうやった??」(興味津々)
福→「あかんかったわ。人形やったわ」

という夢見る夢男くん的な会話だったり、なかなか予測不可能。

ひとついえることは、担任の先生の影響が絶大だということ。
小学校の先生ー!!先生の一挙一動が子どもの人格形成にめちゃめちゃ影響
しまくっておりますー(笑)いつもありがとうございます。ペコリ。

農業と保育 家庭菜園と育児

2019年11月19日 21時27分21秒 | 日々のこと
雑誌のタイトルみたいだけど、そうではなくて仕事観についての話。

知人に農業を生業としているご夫婦がいる。
「島の食卓」という淡路島で定期的に開催されているオーガニックマーケットに
出店すると連絡をもらったので、いそいそと会いに出かけた。

休日の青空のもと、オシャレーな雰囲気とゆるゆるな空間のちょうどいいバランスで
そのマーケットはなかなかの盛況。彼女たちのブースにもひっきりなしにお客さんが
立ち寄って野菜を買ったり、おしゃべりしたりしていた。

ものすごく穏やかな雰囲気なんだけれど、私の目からみると「本気(と書いてマジと読む)」
おいそれと近づくことのできない仕事の最前線の場所に見えた。

うちにも畑があるが(最近“ぼちぼち畑”と心の中で呼んでいる)それは本当にただの
趣味というか遊びの範囲で家庭菜園にすら届いていないレベルであることは十分自覚している。
そんな私が彼女たちに向かって「野菜づくりって大変ですよねー」なんて絶対に言うことはできない。
「今年は天気に恵まれないから困りましたねー」なんて世間話のレベルでも同じ立ち位置で
話すことはできない。もうただただ野菜や米をつくり続けるその労力に尊敬の思いしかない。
「はっはーーー」と拝みたくなる。それくらい丹念な仕事をしている(はず)

これって、何かに通じるなーと考えていたら、そう。保育と育児も私の中ではこれと同じなのだ。
どれだけ上手に家庭菜園でトマトをたわわに実らすことができる人であっても、その人が農家さん
なのか、というとそれは違う。在庫を管理して、出荷の調整をして、人様の口に入ることを想定して
作り続ける。そしてその対価で生活をやりくりしている人と「今年もいっぱい実ったわー!」と
微笑んでおすそ分けしてくれる人とは次元が違うのだ。どっちがいい悪いの話ではなくて
ただ単純に根本から違うのだ。

この違いにピンときた人には「私、子育てしてきたので保育できます」と面接で平気で発言する
ママさん保育士(もどき)のことを私が一切信用していない気持ちがわかってもらえるだろうか。
「子どもが好きなんですー」とキラキラした目で恥ずかしげもなく言えてしまう自称子ども大好き保育士に
いい仕事をする人間がほとんどみあたらない説に納得してもらえるだろうか。

そしてもうひとつ。
私が家で子ども4人の育児をしながら、保育士を続ける理由もここにある。
10人いたら10人の人に「そんなに子どもが好きなんですね。天職ですね。」と言われるので
「別に子どもが好きなわけではなくて、ただ仕事としておもしろいからです」と答えていたのだけれど
相手はポカンとしているだけでわかってもらえないことがほとんどだ。
たしかに説明するのは難しいのだけれど、この例えをこれからは持ち出してみようかと思う。

本当に保育の仕事を生業としている素晴らしい人はどれだけ一緒にいても目が泳いでいない。
ヘラヘラしていない。顔は笑っていなくても、子どものことを包み込んでいる。

淡路島に来てから農業を生業としている人に会う機会増えたが、農業を生業とする人ってめちゃくちゃ
かしこい。頭の中たぶんものすごく理系だと思う。「自然を大事に」とか「自給自足」とか
言ってるだけ、やってるふりだけの人とは全然違う。

農業と保育。家庭菜園と育児。
“暮らし”の中にある気づきはシンプルで奥が深い。


やっと沖縄が「みえた」かも知れない

2019年11月11日 22時00分38秒 | 旅のこと
旅の終わり、私はいつも帰りの飛行機の中で手帳に思いついたことをどんどん書きつける。
ハワイからの帰りなんて、それだけで日本に着いてしまってびっくりした。いきなりドンって
音がしたから何事かと思ったら、着陸していた・・・それぐらい集中して書きつける。
多分この時間が一番鮮やかにその旅を「言葉」に変換していると思う。

今回もそれは変わらず。

沖縄に通い始めて22年。今回の旅でストンと腹におちたことがあった。今までモヤがかかって
どうしてもわからなかったことが、本当にある瞬間「あっ!今わかった」とわかったのだ。
思わず立ち止まって、まわりを見渡して、空を見上げて、ふぅと息をはいて、誰にかはわからないけれど
「ありがとう」って心の中でつぶやいてしまった。

それは読谷祭りの夕方のことだった。
読谷村のヨナハさんに連れられて、祭り会場で飲んで食べてうたって踊って、とにかくもういい感じに
できあがりつつある夕方だった。福星もなんとなく雰囲気をつかんで自分たちであちこち歩きまわっては
インチキ臭いあてもんで小銭をせっせと巻き上げられたり、周りの大人にいろんな食べ物をもらって嬉しそうにしていた。
私と友人とヨナハさんは泡盛とビール片手にバカ話。牛汁のうまさに感動しつつ、まつりに身をゆだねていた。

読谷村にももちろん米軍の基地がある。基地を中心に町があるといっても過言ではないぐらい
基地がドカンとそこにある。私たちのホテルも基地のゲート真正面だった。ギョッとしたけれど
これが読谷村の「暮らし」であるならば、それをほんの少しでも体感したいと思った。
基地があるということはその基地に関係する人の「暮らし」もそこにある。それはとても身近で
すっと馴染んで、おそらくここからここまでと線引きできるものではない。人間の「暮らし」は
そんなシステマティックにはできていない。

祭りにも大勢の基地関係者(というと仰々しいが、ようは同じ村に住むご近所さん、みたいな
感じで短パン、タンクトップ、でっかいベビーカー連れの家族や友人たち)が来ていた。
ものすごく当たり前だけれど、私たちと同じようにビールを飲み、ウインナーをほおばり、
子どもをあやし、トイレに並んだりしている。そりゃそうだ。

そんな光景をいい感じにネジのゆるんだ頭で俯瞰していると、あまりの平和さに「あれ?
もしかして沖縄の人が願っているのはただただこういう夕方なのでは?」と思った。
軍人でも観光客でもゆるやかに受け入れてくれるおおらかさとしたたかさ。混ざり合った
状態を「不安」ととらえるのではなくここからうまれるものに希望をもつことのできる人たち。

『基地に反対しているのではなく、戦争に反対しているんだ。だから基地に反対しているんだ。』

やっとやっとそれがわかった。私が今まで見ていた視野のせまさが心から情けなかった。
なんで沖縄の人たちがここまでやりこめられても抵抗を続けるのか。なんであんなアリとゾウが
戦っているみたいな辺野古の現場から撤退しないのか。なんであんなに強くなれるのか。
なんであんなに優しく戦えるのか。

ずっとずっと探していた答えを私はようやく自分で見つけることができた気がした。
この答えは私の答えであって、マルではないかも知れない。あなたの答えとは違うかも知れない。
でもそれで構わない。私は私の見つけた答えを信じて生きていく。考えていく。
それしかできないから。

基地に反対していることだけを見ていたら、きっと私もいつか見失っていただろう。
沖縄の人は心から平和を求めている。平和の尊さを本土の人間の何倍も知っている人たちが
まだまだ現役世代にたくさんおられる。私が阪神大震災の揺れを体にこびりつけて年を
重ねているように、沖縄の人は戦争の恐ろしさと大事な人を理不尽に失う悲しみを抱えたまま
ここまで年を重ねてきたんだ。一緒や・・・

もう心底戦争が嫌なんだ。もう二度とあんな目にあいたくないんだ。
あんな光景をもう一度見るくらいなら、どれだけ勝ち目がなくても抵抗を続けたほうがまだ
マシだと思っているのかも知れない。だからこそ「あきらめる」という選択がはじめから
ないのかも知れない。

「わかった」ことはすぐに伝えたい。ヨナハさん聞いて、今すぐ聞いて、と話したら
顔の全部で笑ってくれた。「こんな沖縄をもっともっと知りたい」と言うと「まつりを
最後までみなさい」と誇りに満ちた顔で(いや、ただの酔っぱらいのゆるみきった顔だった
かもしれない)ビールを追加された。福星は行方不明やけど、多分大丈夫。どっかにいる。
(いた)

まつりの最後は再現された立派な船の出航と、(すいません知識不足)
大輪の花火とカチャーシー。

ほんのすこし沖縄が「みえた」夜。「わかった」だなんて一生言えないけれど
旅をしたから「みえた」こと。そこにいたから「みえた」こと。
私は私の答えを自分でみつけたいだけ。自分のものさしをもっていたいだけ。

平和を求めるために抵抗を続ける沖縄の現状はやっぱり異常だ。
抵抗の先にあるものは、この日の夕方、読谷まつりの会場に全部あった。
言葉にすると恥ずかしくてすっ飛ばしたくなるけれど、愛、平和、共生。
そしてこのみっつがあるところでしか人は穏やかに「暮らす」ことができないのだ。
読谷村の小さなまつりが教えてくれたこと。ヨナハさんが教えてくれたこと。
今度は私が誰かに伝えたい。そう今このブログを読んでくれているあなたに伝えたい。

「好き」の力はこれぐらいすごい。私は沖縄が大好きだ。
(淡路島も好きです。デヘッ)







旅の名残

2019年11月01日 23時09分12秒 | 日々のこと
昨日布団に入ってからふと思い出した。

「カメラ洗ってないな・・・」

水中で撮ることができるようにダンナ氏のカメラをひとつかりていたのだ。
(非常にすぐれもの)

ニヤリ。どうしても今すぐやりたいことを思いついてしまった。

抑えきれない衝動が・・・もうダメだ。今すぐやりたい。
むくりと起き上がって再びリビングへ。

カメラをペロッとなめる。
予想通り、海の味。一度でやめときゃいいのに、もう一度ペロッとなめる。
大満足。海がまだここにあったことが嬉しかった。

変態やなぁ、と自分でも思うけれど、しゃーない。思いついたんだから。
やりたいんだから。

それをわざわざ公表して、アホちゃうか、とも思うけれど
「おまえならしそうやな」と笑ってくれる友人の顔が思い浮かぶし、
「・・・気持ちはわからんでもない」と言ってくれそうな友人も多分いると
思うので、変態を公表してまで旅の名残を追い求めている私がここにいる。

“好き”ってこういうことなんちゃうのかなあ?
“夢中”ってこういう状態のことなんちゃうんかなあ?

ちがう??か。

で、カメラ・・まだ洗ってない。はよ洗え!!私!!