旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

もう帰ろう、船乗ろう

2019年03月29日 17時31分08秒 | 日々のこと
用事があって明石へ。
春休みでどこにいっても人が多い。(淡路島の車も多い)

落ち着かないランチ、公園も人が多い。
私がのっぴきならない事情でここにいることを感じている子どもたちの
落ち着かなさ。顔色をうかがっている微妙な雰囲気。

「ごめんな」と思うものの仕方ない。

公園の池をのぞきこんでいたつばさの「メバルがいるーー!!」
「ふく、釣ってーー!!」の声に笑いがこぼれる。
池にメバルはいないよ。つばさ。

ようやく用事が済み、歩き出した途端「もう帰ろう、船乗ろう」と
福と星が言った。「せっかくやから、ケーキでも買ってかえろうよ」
「もう少し(公園の)遊具のある方にいく?」と聞いても
「もういい。家の前で遊びたい」と断ってきた。

「そっか・・・帰ろっか・・・」港に向かって歩いていく。
ケーキもまんじゅうも本屋も雑貨屋もコーヒーももういいや。

船に乗るといつも「なんじゃこりゃーー!!!」というほど猛烈な睡魔に襲われる。
今日もそうだった。幽体離脱13分。

淡路島に帰ってきて海沿いを車で走り出すと、ほんの30分前のことが違う世界の
ことのように思われる。子どもたち後ろで爆睡。

島からでてもやることがどんどん少なくなってきた。
モノでつながる関係はほとんど消滅した。残ったのは「人」と「食」

マルや。

卒園しました

2019年03月27日 21時50分53秒 | 日々のこと
星、無事に保育園を卒園しました。4月からはピカピカの一年生。

生後8か月から保育園に通い始め、家族の生活環境が変わるたびに
一番変化に対応した星。3つの保育園と1つの幼稚園、そしてファミリーサポートの
お世話になったことは仕方がなかったとはいえどれだけ本人にとっては大変だったことか。

実は星の卒園に関して、私はほとんど関心をもっていなかった。(ごめん)
保育園の他のお友だちのこともほとんどわからないし、通ったのは1年足らずだし、
親同士の交流もほとんどなかったため、「まあ、適当に、サラッと流せばいいか・・」と
考えいた。福の時は0歳児クラスからの持ち上がりで親同士も団結していたし、他の子どものことも
わが子と同じように成長を見守ってきたから感慨もひとしおだったというのに・・・

でも、卒園を前にした2月。最後の写真販売ということで園生活のスナップ写真を何気なく
見ている時にハッと気づいて手が止まった。「もしかして福の6年間よりも、何倍も何倍も
星はがんばってきたのでは?」「どこの環境でもそこになじもうと努力し、自分で友だちを作り、
毎日を楽しんできた星はすごいのでは?」「何度もはじめまして、とさようなら、を繰り返し
それを乗り越えてきた力に私は気づいていたのか?そのがんばりを認めていたのか?」

サラッと流すつもりでいた自分が情けなくて、星のがんばりに気付かなかった自分が情けなくて
一枚も笑っていない星のスナップ写真を見ながら茫然と立ちすくんでしまった。ごめん、本当にごめん。

と同時に「間に合ってよかった」と心底思った。卒園する前に気付くことができてよかった、と。

そこからはいつもクールに一人で車から降りて、走るでもなく振り向くでもなくスッと保育園に
向かう星の姿をいつまでも見送るのが日課になった。星は気づいていないだろうけど。

そして卒園。
卒園証書の記載は1年1か月だけれど、星は6年間本当によくがんばった。入院したり、喘息がでたり、
雪の中自転車の後ろに乗せられたり、雨で休まざるをえなかったり、突然ファミサポさんのお迎えに
なり、帰ったら母ちゃんが寝ていることもあった。仕事をしている時は7時ギリギリまで事務所で
待たせたこともあった。振り回しに振り回した6年間だった。

「なんでもええよ」「どっちでもええよ」「まあ、それでええよ」が口ぐせの星。
そう言わせてきたのは私かも知れないし、星のおおらかな性格に甘えてきたのは私の方だった。

3歳の終わりに保育園を転園した時、園では笑顔で「さよならー」「また遊びくるわ」とケロッと
していたのに、園を出た途端、大雨の傘の中「星は本当はどこにもいきたくない!!!」と号泣したね。
あれがきっと星の本心だったのだと思う。あれが最初で最後の抵抗だった。

ここに流れ着いたことは全く予想もしなかったことだけど、星の根っこをここで伸ばしていきたい。
もうどこにもいかないよ。次は星が行きたいところに自分のタイミングで出て行ってくれるのを待つよ。

結局女の子グループには入ることができなかったようで、男の子とばっかり遊んでいた星。
女子の中で唯一のショートカットを貫き通した星。母ちゃんはそんな星のことを心から尊敬するし、
誇りに思う。そのわかりにくい性格、かわりものと呼ばれる裏にあるまっすぐな気持ちを見失うこと
なく、親子の時間をもうしばらくの間大事に育んでいきたいと思う巣立ちの春。

星、卒園おめでとう。

うらやましい遊び

2019年03月23日 11時14分14秒 | 日々のこと
子どもたちが8時過ぎから外で走り回っている。私はまだ布団の中。
ぐっすり眠って、てんこ盛りの朝ごはんを食べて、フルチャージ完了といったところか。
近所の子どもも一緒になって、みんなでギャースカ騒いでいる声が聞こえる。
いいねえ。

ダンナ氏が「なんか、ものすごい遊びしてるけど・・・」と半笑いでやってきた。

全員が自転車に乗りながら違う誰かになりきって、四つ角のところでゴツンとぶつかる。
それからその場で初めて会ったかのように自分を紹介しあう。という遊びを夢中に
なってやっているというのだ。
聞き耳をたてていると「あらー。はじめまして、あなたの名前はなんていうの?」
「あっ、おれは○○。近くに住んでるねん」なんて、全く架空の世界の架空の話で盛り上がっている。
しばらく会話を楽しんだ後は「じゃあ、そろそろドライブにでかけてくるわ」「ああ、私もかいもん
いってくるわ」とそれぞれ違う方向に散らばっていき・・・再び違う誰かになって、また出会う。
これのエンドレス。

もう、会話が笑えて仕方ない。ネーミングのセンスも絶妙。
自転車を思いっきりこぎながらゲラゲラ笑っている。おもしろすぎてすっかり目が覚めた。

この遊び、自然発生的にやり始めたのだろうけど、発達の過程でものすごく重要な要素を
いくつもいくつも含んでいる。

・他でもない誰かになりきること
・演じている自分と他人の世界に入り込むこと
・身体を動かしながら考えていること

難しい言い方をすればもっとあるのだろうけど(学生の時に学んだ教科書を引っ張りだしてこないと
忘れた・・・)だけど、これがこの子たちに必要な遊びであることははっきりとわかる。

「あー、子どもだけで遊ぶことができない子たちは、これの代替としてゲームの世界で何かに
なりきっているのかなあ?」とふと思った。大人の監視のないところで思いっきり自分を解放して
遊ぶこと。これこそが大事なんだけどなあ。ゲームの中ではこれが可能なのかも。
だとしたら、こんなバカげた遊びを保障してやる時間と場所と仲間こそが今わたしが子どもたちに
与えることのできるギフトだ。

大人になってもこれ、やってみたいよなー。
その人の本質がダダもれで表れるような気がする。ふふふ。

ごはん6合炊いて、さあお昼。ホーホケキョ。

ハロー☆ワーク(幼稚園教諭)

2019年03月21日 11時15分02秒 | 日々のこと
友人から「誰かおらんかー、ほんまにおらんかー」とお願いがあったので
お知らせします。

◆JR甲子園口近くの幼稚園もしくは認定こども園
◆年齢問わず
◆幼稚園教諭の資格が必要(おそらく保育士資格も)
◆その他相談に応じます

「おっ!!」と思った方は連絡ください。友人につなぎます。

待ってる子どもがおりますよー。
あっちにもこっちにも。世界中におりますよー。


進水式と餅まき 続き

2019年03月19日 22時21分20秒 | 淡路島のこと

こんな感じ・・・(笑)

餅まきが終わればさーーーーっとばらけてあっという間にほとんどの人が姿を消していた。
「あぁ、帰ったのね」なんてわかりやすい人たちだ。

写真ではよくわからないけれど、船が初めて海に出ていく時の音や匂いや時間の経過の仕方や
周りの人たちのそれぞれの思いが、なんだかとてもよかった。
「今、ここに、いる」ってものすごく思った。今ここにいないとわからないものがいっぱい凝縮
されていた。本でもテレビでも人に聞くのでもなく、ここにいたからこそ「わかる」感じが
たまらなく嬉しかった。こういう経験はたぶん忘れない。薄まることはあってもきっと一生
引き出しから大事なものを取り出すときのように「ゴソッ」とそのまんま出してくることが
できるような気がする。

子どもたちは何を感じただろう?餅まきのインパクトが強すぎたかな??
「今度進水式あるんやって」と何気なくダンナ氏に言ったら「それ、おれもいくわ」と言い
なぜか私たちよりも早く造船所にいたダンナ氏。仕事は??普段あんだけ家にいないのに、こういう時には
なぜかちゃんとそこにいる不思議よ。

家に帰って餅を焼いて、ビールを飲んで本日終了。

餅まき、かーなーりー気に入った。