旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

なんなんだ、これは

2015年09月17日 21時27分50秒 | 社会と政治のこと
無念。

私は法案に反対だが、賛成の人もこのやり方で可決されたことに疑問を感じないのだろうか。
法案そのものも大問題だが、国にとって大切なことがこんな茶番劇のような子どもに見せられない、
説明できない方法で決定されることに対して憤りを感じる。

やましいから、こんなやり方でしか可決できなかったことは明らかだ。

デモに行くことをバカにしたり、否定したり、誹謗中傷することは簡単だ。
したければすればいい。

私はまた行く。

納得できない。

もう一度問いたい。「国を守る」ってなんだ? 
辺野古で見たことが、この国の隅々にまで広がる日が近づいている。怖い。

大阪のヨドバシ前に行ってる友人からメールが何通も届く。
同じ想いの人が隣にいるあったかさを私も感じたかった。

寒い。うすら寒い。怖い。

公聴会 濱田郁夫氏と奥田愛基氏

2015年09月15日 22時14分53秒 | 社会と政治のこと
ふくのすけが昨日ケガをした。顔面強打&ずるむけ。目も当てられない顔になっている。
今日は朝から星を保育園に連れていく→福を病院へ連れていく→保育園に連れていく→私、出勤。もちろん遅刻→仕事→ちびの保育園から電話→二人ともりんご病かも知れないから受診して欲しいとの連絡→仕事、早退。→保育園に迎えに行く。→荷物を置き、保険証を用意して二人を病院へ連れていく→りんご病ではないとのこと→全てに疲れて、もうこれ以上何もしたくないと思う→公園で二人が遊んでいる間にベンチで休憩(魂抜けてたと思う)→気を取り直してお好み焼きを食べて帰宅→疲れて眠くてしんどくて、もうフラフラなのに公聴会の中継を見直す。→濱田氏と奥田氏が素晴らしすぎて私も何かせないかんと思う→今に至る。

知性と品性と理性を大切にとおっしゃった濱田氏。「かしこい人」ってこういう人のことを言うんだな、と背筋が伸びる思いだった。(疲れすぎて伸びない)表情はにこやか、ヘラヘラではない笑みを浮かべながら辛辣な発言をされたが、そこに棘は感じられなかった。「言葉を操る」ってこういうことなんだ。

シールズの奥田氏。(失礼かもしれないがどうしても奥田君と呼びかけてしまいそう)
言葉はたどたどしく、目線も定まらない。言葉に詰まることも度々・・・それを誹謗中傷する書き込みもたくさん目にしたが、20歳そこそこの若者が国会議員相手にたった一人の「個」として立ち向かっていることのすごさがわからないのだろうか。奥田君、本当におつかれさまでした。そしてありがとう。

デモの文化は確実にこの国に根付いていく。
あんだけの人が国会前に集まって、車ひとつひっくりかえされない素晴らしさよ。略奪も暴力もない素晴らしさよ。

光る国会きれいだった。

あと、マイナンバーで買い物履歴を管理しようとしているけれど、あれって100パーセントとんでもない災害が起こって人々がパニックになったりしたら(たとえば原発爆発して本土壊滅とか)「カードがある人しか食料は渡せません。一人○個です」とか言われるんだろうな。絶対にそうなると私は確信している。
そして本当に生活に困っている人に対して「後から還元されます」という言葉は届かない。これも私は確信している。今日生き延びるのに精いっぱいの人が「明日」のことなんか考えられない。そんなことよりも今日110円ではなく、108円でしかパンが買えないのだ。2円であきらめることだってあるのだ。あるのだ!!それが偉い人間にはわからんのか?

風呂掃除も明日の朝ごはんの準備も長そでのパジャマも扇風機の片付けもできていない。言いたいことはいっぱいある。落ち着いて書きたいこともいっぱいある。しっかり考えないといけないこともたくさんある。
どれかに集中すると全部がガタガタ崩れていく。
国会で寝ているオッサン、起きろや。これがあんたの仕事やろ。それで金もらっとるんやろ。飯くっとるんやろ。オッサン絶対自分でパンツ干したことないやろ。そんな人間が暮らしを語るな、平和を語るな。

民主主義ってなんだ?

2015年09月14日 22時26分03秒 | 社会と政治のこと
昨日の大阪のデモ、2万人の人が「個人」の意思で参加したそうだ。
私はどうしても参加できなかったが、夕方から夜にかけてそわそわして仕方なかった。
「デモに行きたかった」そんな感情を自分が持つようになるとはびっくりだ。
遠い世界の誰かがやってると思っていたデモ。一度でも参加するとその考えはひっくりかえる。

二人の知人からメールがきた。
「今、靭公園にいるよ」「初めてデモに参加したよ。いってよかった。」

たった二人。この小さな数字は民意というにははかなすぎるし、政権にとっては脅威でも恐れでも
ないし、黙殺するにも足らないほどの小さな数字だ。

だけど、7月に私が「もう黙っとれん!私は安保法案に反対する」と表明した時は私の周りで
デモに行ったことのある人はいなかった。そして何よりも「デモに行ったよ」と言えるこの雰囲気、
世界は少し明るくなったのではないかと私は思うのだ。その代償が安保法案可決というのであれば
あまりにも代償は大きすぎるが。

「賛成議員を落選させろ」全ては選挙で決まるというのなら、私たちにできるのはこれしかないのか。

はあ・・・なんか。この国、悲しい。

そして今日、沖縄の翁長知事が辺野古埋め立ての承認を取り消した。
キャンプシュワブのゲート前では「翁長知事を支えるぞ」と人々が声をあげていた。名護市長も「翁長知事を
全力で支えます」と会見していた。
私はそれを見ながら「民主主義ってなんだ?」と考えずにはいられなかった。

まともなのは一体どっちだ?

シリア難民受け入れを表明する国がどんどん増えている。ヨーロッパはともかく、アメリカ、オーストラリア、
ブラジル・・・万単位で受け入れている国もあるというのに日本は1年間で3人。

なんなんだ。この国。そしてこの国に生きる私。

今どきの若いもんは・・・

2015年09月10日 21時17分36秒 | 日々のこと
もうおばちゃんやから、言うてやる。大きな声で言うてやる。

「今どきの若いもんは・・・・けしからん」

仕事帰りの電車はいつも混んでいる。学生が乗り降りする駅をいくつも通過するから、入り口付近に大きなカバンを
持った学生が円陣をくんでいることがよくある。

おしゃべりの声が大きいことなんて構わない。お菓子を食べるのもぎりぎり許そう。学生生活なんてそんなもんだ。

でも今日、私が降りる駅に到着して、電車のドアも開いているというのに誰一人場所をあけようとしない女子高校生たちに降車を阻まれて思わずブチッ。
「降ります。のいて!」とわりと大きな声で言ったら「あー、やだやだ」と言われたのだ。
確かに私の声にはトゲがあっただろうし、「のいて下さい」と言えばよかったのかも知れない。

だけど、それでもどかない彼女らに「やだやだ」と言われる筋合いはこれっぽっちもない。
思わず振り向いて「今、言うたん誰やねん、コラ」と言おうかと0.5秒思ったが、なんせ電車のドアはすでに開いているわけで、ものすごく嫌な気持ちで電車を降りた。

保育園までの道のりをイライライライラしながら歩いていたのだけれど、到着すると荷物をまとめたり、先生や他の保護者の方とあいさつをしたり、子どもの話を聞いているうちにすっかり忘れていた。

子どもが寝て、洗濯を干していたらふつふつと思い出して、またイライライライラ。

税金も納めていないガキ(違う。お子様)が社会のルールを守らずに大人に文句言うなんて100年早いねん。

自分もそんな高校生だったのだろうけど、それは棚にあげて、言うてやる。「今どきの若いもんは・・・」

はあ、疲れてるわ。私。

那覇・農連市場②

2015年09月07日 22時11分06秒 | 旅のこと

市場の中から外をみるとこんな感じ。

ものすごく暑いけれど、その暑さが中の静かさを際立たせていたような気もする。

アジアの市場はどこもこんな「静」と「動」を持ち合わせている。
スーパーマーケットにはないこの感じが好きでたまらない。

農連市場の周りをあてどもなく歩き回りながら、気付けばやちむん通りに戻っていた。
沖縄の静かな時間を思い出すと、どれだけ深呼吸した後よりも穏やかな気持ちになる。
身体の芯はへなへなーっとなるけれど。

ブーゲンビリアが曖昧に境界をまたぎながら広がる感じも好きだし、
空に向けて迷いなく咲くハイビスカスも大好きだ。

両極端のものが共存している沖縄には、いつまでもやられっぱなしだ。