旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

バイバイ8月

2018年08月31日 10時32分16秒 | 日々のこと
8月31日 ようやく8月が終わる。
暑い夏だったー。遊びほうけた夏だったー。明日になっても暑さはきっと変わらないけれど
9月と8月の差は大きい。

うんざりなほどの暑さだったのに、8月が過ぎてゆくことはやっぱりどこか淋しい。
私がまだ子どもなのか、子どもの世界で遊ばせてもらってるからそう思うのか。

畑のいちぢくが熟れてきた。とっても美味しいのに誰も食べない・・・
ぐちゃりむちゃりとほおばる私を気持ち悪そうに見ている子どもたち。「ああ、わかるわかる」と
自分の幼い頃を思いだす。やわらかくてぐちゃぐちゃで気持ち悪い実を美味しそうに食べる母のことが
気持ち悪かった。きっとそれと一緒だ。
大人になってから好きになったいちぢく。生ハムとキリッと冷えた白ワインがあればもう最高。
朝採りというか今採りしたいちぢくを食べる幸せよ。さすがに白ワインは夕方まで我慢。
お迎えの帰りに生ハムかってこよっと。今晩は8月おつかれさん会に決定。

台所でさつまいもを切っていると、つばさが隣で「グサッ、グサッ」と効果音をつけてくれた。
「グサッ」てなんか違う気もするけれど「トントントン」でもないしなぁ。
まとわりつく子どもたちを蹴散らしながら夕食の支度。時間は朝7時。今日はまだ始まったばかりだ。

8月ハナマル。いい夏でした。

カレーとスプーン

2018年08月30日 16時45分32秒 | 日々のこと
「かあちゃん、あかりまたスプーン忘れたから、カレーお箸で食べたで」

またやってしまった・・・

星の普段の持ち物はお箸セット。自分でメニューを確認してどんぶりやカレーの日は
スプーンを持っていくというシステムになっている。
月に何度かランダムにやってくるその日を私も星も忘れることが多い。毎日メニューの
確認なんかしてないし。(ほとんどの家庭がそうなのでは??)

スプーンを忘れるとどうなるのかというと、先生に注意されて、「次は忘れないようにしようね」と
約束してスプーンをかりておしまい、ではなく、先生に注意されてスプーンはかしてもらえないそうなのだ。
理由は「年長さんだから」

うーん。初めてその話を星から聞いたときはびっくりした。もちろん用意を忘れた私が一番悪い。
星に任せるのは難しいと思うので(例えば毎週金曜日とか決まった曜日に必要ならまだできる)
これは親の責任と言われても仕方ない。それは認める。
でも、なんか釈然としない思いが残る。前日に子どもに呼びかけるとか、ちょっとした貼り出しを
するとか、せめて忘れたときは子どもに注意したうえで親にもひと声かけるとか、そういう対応を
するのはそんなに難しいことなんだろうか。

「誰がどう考えたって食べにくいんだから、調理の先生にスプーンかしてください。って言ってみたら?」
と星に提案すると「それはダメって言われた」と即答。ダメの理由にやっぱり納得がいかない。

調理の先生は心をこめて作ったカレーをお箸で食べにくそうにしている子どもをみて何とも思わない
のだろうか。担任の先生はカレーをお箸で食べることが「楽しい食事」につながると思っているのだろうか。
用意を忘れた私が悪いのを棚に上げて言うのもなんだけど、“愛がないなー”とがっかりしてしまう。

夏場は家から持参する白ご飯をあっためてくれないのも不服。保育室に保管庫は年中あるのに・・だ。
理由を聞くと「ちょっと難しい」って。それ答えになってないし。
思わず担任に「先生も夏場は冷たいご飯を食べているのですか?」と聞くと言葉を濁して
おられたけれど・・・

忘れた子どもにスプーンをかすことも、あったかいご飯をひと手間かけて出してあげることも、
「おいしいものをおいしくたべたい」「こどもたちにたのしい食事の時間を」と考えると当たり前に
できることだと思うのだけど、どうもそうではないらしい。

忘れ物をした子どもがお箸でカレーを食べている給食の光景を想像すると(10人くらいいるらしい)
やっぱりそこには“愛がないなー”と思ってしまう。寒々しい。これ、相手が大人でも同じようにするのかな?
多分しないのでは??

星と話し合ってこれからはリュックにスプーンをしのばせておく、という対策で一件落着。インド方式で
手で食べたら?とも提案してみたけど却下された。

やれやれ。こういう融通のきかない現場が一番苦手だ。




船に乗っておでかけ

2018年08月29日 18時05分09秒 | 日々のこと
夏休みも残すところあとわずか。「休む」時間を確保するのにどれだけ
エネルギーを費やしていることか。自由っていうのは楽じゃないよ・・・トホホ。

今日は船に乗って明石へ。わずか13分の船旅だったけれど十分すぎるほど船旅だった。
福星はそのまま祖母の家におとまり。「ガスト、ガスト!!」とスキップで去っていった。
帰りはベビーカーを押しながら青と二人でしんみりと船に乗って淡路へ戻った。

明石が地元で淡路は遊びに来る場所だったのに、それがひっくり返っている不思議。
ここに自分の家がある不思議。

そしてつばさと青と二人だけになると・・・心もとない。えー!!!そんなアホな。と
何度も自分の心と対峙してみるけれど、やっぱり心もとない。静かで最高やん。ごはん適当で
最高やん。のはずなのに、こんなはずじゃないはずなのに。

動揺して夕方から飲み始めて今に至る。
うーん。このままいくと、いつか猫とか犬とか飼っちゃうんじゃないかと心配になってくる。

明石にでかけてゆっくり買い物する時間はたっぷりあったはずなのに、買ったものは
「Bの鉛筆2ダース」これもなんだかなあ・・・

敗北感でいっぱいの黄昏時。ツクツクボウシがないている。

2018年08月08日 21時25分45秒 | 日々のこと
2018年8月8日 ふくのすけ8歳の誕生日。

どこにでもあるなんてことない家族の小さな記念日。
「おめでとう」「ありがとう」そんなやり取りをしているその時間に翁長知事が亡くなられたことを
子どもを寝かしつけてから知った。

人は誰だっていつかは死ぬ。
それは頭ではわかっているけど、神様は残酷だ。

ご冥福を心からお祈りいたします。
感傷的になるくらいなら、それを力に変えて、行動で示したい。
“怒り”が原動力となることだってある。そしてその力は強い。

沖縄に基地はいらない。基地を作ってやってくるのは戦争だけだ。
平和は絶対にやってこない。

辺野古で出会った女性からメールがきた。静かに連帯する夜がここにある。



一文字違いで・・・

2018年08月07日 17時06分44秒 | 日々のこと
夕方西日の入るリビングでつばさが「まずしい、まずしい」「母ちゃんまずしい?」と
言いながら切なく苦しそうな表情で私の後をついてくる。しかもままごとの財布を握りしめて。
「えっ?母ちゃん貧しいの?」どこでそんな言葉覚えてきたのかなーと思いながらつばさに
きいてみると「うん。まずしい。」とやっぱり答える。

よーくよーく考えてみる。
あっ、わかった。

「つばさ、まぶしいの?」ともう一度聞くと。「うん。まずしい。」

何度思い出しても笑ってしまう一文字違いの大間違い。
たしかにこの部屋の夕方はまぶしい(笑)

朝のドタバタの中、なぜか向かいの家の子がうちのトイレで用を足していたり(あんた、なにしてるん?と
思わず素で聞いてしまった)カップラーメン持参で近所の子が乗り込んできたり、勝手にバケツに水を
はって水まきしとくわ、と言いながら自分たちが遊んでいたり、ザ夏休み。な毎日。
今も外の道端で野球らしきことをしているけれど、ピッチャーはつばさ。それどうなんや??
家の中が静かになるから、どうでもいいけど。