旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

暮らしを「開放」した一カ月

2016年05月29日 17時09分23秒 | 日々のこと
産後一カ月がたった。
新生児期と呼ばれる特別な時間もそろそろ終了。
私の身体もずいぶんと回復してきて、そろそろ始動できそうだ。

この一カ月のことを少し。

・産後実家に帰らないという選択をした今回の出産。
 上二人の生活リズムをなるべく崩したくないというのが表向きの理由ではあったが
 もう帰る家はここにしかない、というのが本当の理由。
 母は言葉にはしないものの、悲しかったと思う。多少傷ついたとも思う。
 棘のある言葉は何度も何度も胸にしまったが、それでも「もうあの家には帰らない」
 という私の暗い決意は伝わってしまっただろう。甘えるのが親孝行だとは分かっている。
 母はまだつばさを一度しか見ていない。

・ダンナ氏ときちんと話し合いをしたわけではなかったが、なんとなく私の気持ちを察して
 全て私のやりたいようにさせてくれたことに本当感謝している。ちびたちの世話と生存に
 関わる家事は全てやっていた。(食器は洗うが、シンクは洗わない。洗濯は干すが、シワは
 のばさない。風呂は洗うが、カビは見えてない。送り迎えはするが、連絡ボードはみていない)
 ←いちいちこだわっていても仕方ないので、もうこれで十分と私もようやく思えるようになった。

・友人の紹介で午前中の2時間、お手伝いの方に来ていただいている。マッチングのポイントは
 「食べ物に対する価値観が共有できる方」この一点のみだった。そして出会ったのは本当に
 素敵な方で、毎日ピンポンと鳴るのを心待ちにしている。友人ではダメだったと思う。
 適度な距離感、ある程度割り切った関係であることがとても心地よい。
 最初の二週間は本当にパジャマのままボサボサの頭でうろうろとしていた私。(半分乳も放り出し
 てるような状態やし)思考能力も全くないので食事と掃除&整理整頓の全てをお任せしていた。
 食事作りが助かることはもちろんだが、本当に助かったのは冷蔵庫の管理。これに尽きる。
 野菜がしなびたり、食材が余ったり足りなかったりするのが何よりも苦手な性格なので、何も
 考えずともいい具合に食材がまわっていくことが本当にありがたかった。献立を考えるって結構
 エネルギーがいることだと分かった。そしてろくに睡眠もとっておらず赤ちゃんにふりまわされて
 いる産婦にそれは無理だということも。
 「大根の皮がもったいないからきんぴら作ったよ。」「ささみをゆでた汁がもったいないから
 明日スープにしますね。」「ついでだから梢さんのお昼ご飯もつくっときました。」
 こんな小さな気遣いが最高に嬉しかった。掃除機をかける時はいつでもエコモードだし、つばさが
 泣くとすべての手を止めて、様子をみてくれるところも。あと一週間お世話になる予定。

・パパッときて、ササッと帰っていく近所友だちの存在に本当助けられた。それは引っ越し計画を
 ためらうほどに。「あれ?いつの間にかこの地にこんなに根を張ってたんだ、これはこれで
 悪くないんじゃないか」と気持ちが揺らぐ。「カレー作ったから冷凍しといてね」「ひじき作り
 すぎたから食べて」とメールや電話もなくダイレクトに来てくれる友人。「今晩はふくちゃんの
 大好きなごぼうの天ぷらです。いかがですか?あとでふくちゃんに取りにこさせてね。」とメールを
 くれる下の階の住人。会うたびに「あなた本当にがんばってるわね。子どもたちはいい子ね。」と
 毎回同じセリフで褒めてくれるおばあさん。同じ時間に機嫌よく歌をうたいながら通るいつものおじさん。
 黙って会釈しあう工事の警備員さん。約束も責任もない関係ではあるが「他人」ではない人たち。

他にもいろんな気づきがあったが、今回が一番おだやかに身体を休めることができた。
内にこもることが休息だと思っていたが、暮らしを“開放”していろんな人と役割をシェアすることで
私は休みながら力を蓄えることができた。

子育ては一人ではできない。(だからみんな手伝え)とあちこちで叫んでいるが、一人で育てられない
なんて当たり前。人は一人では生きていけない。子育てが特別なのではない。人は人と関わりたい生き物
なのだと思う。全身を震わせて、ありったけの声で人を求めて泣く赤ちゃんを見ているとたまらなく愛しくなる。

つばさ、産まれて一カ月。
無事に過ごすことができました。感謝。

雨の中近くの池にエビ採りに行ったふくあかり。
結構降ってきたけど、そろそろ帰ってくるかな?


ゴキゲンで何より

2016年05月28日 05時20分41秒 | 日々のこと
ビーズのひも通しができるようになった星。
とにかくいっぱい身に着けたくて仕方ない。

でも、ちょっとひもが短いね。

福はもう少年に片足つっこんでいる。
今一番恐ろしいことは「歯が抜けてごはんが食べられなくなること」

上の歯が抜けたら一緒に土に埋めよう。
下の歯が抜けたら一緒に空高く放り投げよう。

今日は田植えにいってきます。(父&ふくあかり)
かあちゃん夜明けの青に包まれながらおにぎり握ったよ。
さあ、また今日が始まる。



主要7か国首脳会議の主要って?

2016年05月27日 11時01分22秒 | 社会と政治のこと
今日はサミット。
新聞を読んでいてふと思ったのだけど
主要7ヶ国首脳会議の「主要」って一体なんだろう?
誰にとっての?この7か国の国民にとって?
それとも世界にとって?で、これを主要だと認めたのは誰?
間違いなくこの7か国の人間であることは想像にたやすい。

なんか偉そうだなぁ、と朝からまたプリプリ怒っている私。
サミット=頂上というネーミングもどうかと思う。
自分たちは頂点に立っているってことなのかな。

ふーん。さぞや素晴らしい話し合いがなされているのだね。

もしも「主要」から外されたら「○○のせいだ」「あいつが悪い」「あの国が悪い」と
言い立てるこの国のマスコミの動きが目に浮かぶ。
少し外にでてみるとよく分かるけど、日本のことなんか誰もたいして気にしてない。
私たちの大多数が毎日ソマリアの情勢を追っかけているわけではないのと同じように。
(高野秀行は追っかけているはずやけど)
日本人だけが、日本を世界の中心、もしくはその周辺に位置していると錯覚していることに
気付くためには外にでるしかないのかな。

昔、誰かデザイナーが言ってた。「クールジャパン」なんて言葉、日本人が作り上げた幻想ですよ。
フランスでは誰も言ってない。いいものはいいし、ダメなものはダメ。クールジャパンなんて
言葉を聞くたび恥ずかしいです。って。

主要7ヶ国首脳会議の「主要」にもこれと同じ種類の恥ずかしさを感じるのは私だけ?
決してこの国を嫌いなわけではないけれど。オバマ氏の声は好きだけど。
ヨーロッパにもいつか行ってみたいけど。

0歳はゼロではないよ

2016年05月26日 10時17分46秒 | 日々のこと
つばさが眠っている顔をみていると、妊娠中にエコーで見たのと同じ顔をしている。
当たり前といえば当たり前だけれど、その寝顔を見ていると「お腹の中でもこうやって
眠っていたんだなー、あの時も、あの時も。」と妊娠中の日常がよみがえる。

誕生がゼロなのではなく、目には見えないけれど、抱っこすることはできないけれど、
確かに確かにお腹の中で“生きて”いたトツキトオカの時間。
自分で大きくなって、光を感じて、音を感じて、月が満ちたらでてきたんだね。

お腹の中にいた時間はゼロではないし、誕生と同時に始まるのは育児であって、
赤ちゃんはその前からうんとがんばっていたんだな。

産まれる命、お腹の中で終わってしまう命、
どんなに言葉を紡いでも足りない「命」の現場がお産だと3回目にしてようやく分かった。

陣痛がピークに達してから出産まで、助産師さんたちが3人ほど私の周りを囲んでいて
痛みで記憶が途切れる中「あー、お産は女のものなんだな」と妙に冷静に感動したのを
覚えている。本当に痛くて、自分でも聞いたことのないドスの聞いた声とか勝手にでてくるし、
身体からいろんなもの垂れ流しだし、だいたいパンツとかはいてないし、助産師さんはなんの
ためらいもなく私の股に手を突っ込んでくるし、日常ではあり得ないことばかり。

どれだけ文明が発達しても、3Dの機械が開発されたとしても、人間はこんなにみっともなくしか
産まれることができない。ちっともスマートなんかじゃない。わめいて、さけんで、さらけだして、
かっこ悪いことこのうえない。「これが男にできるかー!ボケッ!」「こんな痛いのに、絶対に
勝手に殺させたりせえへんからな、覚えとけよ!(誰に言うてるんやろうか?)」とか
痛みのあまりものすごい怒りが湧いてきたことも忘れないでおこうと思う。

左手はずっとダンナ氏の手を握りしめて(握りつぶして)いたはずなのだけど、今回はそれすら
忘れかけるほど痛かった。赤ちゃんがでてきてからしばらくしてハッと左を見ると、いつもの
淡々としたダンナ氏がいて、ほんの数分前までの修羅場と、この静かな時間とのギャップが
恥ずかしくてへへへーと笑ってごまかしておいた。なんか気の利いた言葉とかあるかなーと
思ったけどそんなものはやっぱりなくてゴシゴシっと頭をなでられただけだった。でもその時
「あー、生きて終わったな。」と深く安堵した。みんな生きてる。それだけでよかった。
やっていける。と思った。



反応するのもどうかと思うが

2016年05月25日 11時33分52秒 | 社会と政治のこと
ラジオのニュースを聞いていて、最初は聞き間違いだと思った。
そんなアホなことを言う人がおるんやろうか、まさか?

沖縄県で米軍基地反対の運動をしている人たちのことを自民党の県議が
「基地の外にいる方ということで、《基地外(きちがい)》の方と呼んでいる。
これは神奈川も同様で、大変苦慮している」との発言があったらしい。

こんなレベルの低いやりとりが公共の電波で流されるという事実。
新聞が取り上げることが日常になっている事実。

小学生の学級会よりもひどいレベル。
恥ずかしくて子どもに説明できない。

「差別的な意図はない。イントネーションも正しい。」

はっ?議員なんでしょ。公人なんでしょ。教養のある大人なんでしょ。
なぜ「基地の外にいる人」と言えば済むことを、わざわざこんな誤解を招く表現を使うのか。
それが狙いなのか?騒動を起こすことで認知させるのが目的なのか?
だいたい「反対の人は基地外」って文脈として何の意味もないやん。

情けなくて目がくらむ。きっと沖縄の人はもう相手にもしないだろうけど。

「武道を習得して、日本の女性はもっと強くならなければいけない。」と言った議員もいた。
はっ?何を言ってるんや。襲われる女性が悪いのか?夜の八時に家の近所を歩くことすらできない
環境の方が異常なんじゃないのか?退役軍人に身ひとつで歯向かえとでも?

SEALDsの活動を追ったドキュメント「わたしの自由について」が公開されている。
いい顔した若者と、のっぺりとした中年男性の間にある溝はどのように埋めたらいいのだろうか?
自主上映をしている場所もいくつかあるようだが、今は観に行けないなーさすがに。
自主上映しよかなー、とちょっと思った。おばちゃんの小さな逆襲や。あれ?いいかも、いいかも。