産後一カ月がたった。
新生児期と呼ばれる特別な時間もそろそろ終了。
私の身体もずいぶんと回復してきて、そろそろ始動できそうだ。
この一カ月のことを少し。
・産後実家に帰らないという選択をした今回の出産。
上二人の生活リズムをなるべく崩したくないというのが表向きの理由ではあったが
もう帰る家はここにしかない、というのが本当の理由。
母は言葉にはしないものの、悲しかったと思う。多少傷ついたとも思う。
棘のある言葉は何度も何度も胸にしまったが、それでも「もうあの家には帰らない」
という私の暗い決意は伝わってしまっただろう。甘えるのが親孝行だとは分かっている。
母はまだつばさを一度しか見ていない。
・ダンナ氏ときちんと話し合いをしたわけではなかったが、なんとなく私の気持ちを察して
全て私のやりたいようにさせてくれたことに本当感謝している。ちびたちの世話と生存に
関わる家事は全てやっていた。(食器は洗うが、シンクは洗わない。洗濯は干すが、シワは
のばさない。風呂は洗うが、カビは見えてない。送り迎えはするが、連絡ボードはみていない)
←いちいちこだわっていても仕方ないので、もうこれで十分と私もようやく思えるようになった。
・友人の紹介で午前中の2時間、お手伝いの方に来ていただいている。マッチングのポイントは
「食べ物に対する価値観が共有できる方」この一点のみだった。そして出会ったのは本当に
素敵な方で、毎日ピンポンと鳴るのを心待ちにしている。友人ではダメだったと思う。
適度な距離感、ある程度割り切った関係であることがとても心地よい。
最初の二週間は本当にパジャマのままボサボサの頭でうろうろとしていた私。(半分乳も放り出し
てるような状態やし)思考能力も全くないので食事と掃除&整理整頓の全てをお任せしていた。
食事作りが助かることはもちろんだが、本当に助かったのは冷蔵庫の管理。これに尽きる。
野菜がしなびたり、食材が余ったり足りなかったりするのが何よりも苦手な性格なので、何も
考えずともいい具合に食材がまわっていくことが本当にありがたかった。献立を考えるって結構
エネルギーがいることだと分かった。そしてろくに睡眠もとっておらず赤ちゃんにふりまわされて
いる産婦にそれは無理だということも。
「大根の皮がもったいないからきんぴら作ったよ。」「ささみをゆでた汁がもったいないから
明日スープにしますね。」「ついでだから梢さんのお昼ご飯もつくっときました。」
こんな小さな気遣いが最高に嬉しかった。掃除機をかける時はいつでもエコモードだし、つばさが
泣くとすべての手を止めて、様子をみてくれるところも。あと一週間お世話になる予定。
・パパッときて、ササッと帰っていく近所友だちの存在に本当助けられた。それは引っ越し計画を
ためらうほどに。「あれ?いつの間にかこの地にこんなに根を張ってたんだ、これはこれで
悪くないんじゃないか」と気持ちが揺らぐ。「カレー作ったから冷凍しといてね」「ひじき作り
すぎたから食べて」とメールや電話もなくダイレクトに来てくれる友人。「今晩はふくちゃんの
大好きなごぼうの天ぷらです。いかがですか?あとでふくちゃんに取りにこさせてね。」とメールを
くれる下の階の住人。会うたびに「あなた本当にがんばってるわね。子どもたちはいい子ね。」と
毎回同じセリフで褒めてくれるおばあさん。同じ時間に機嫌よく歌をうたいながら通るいつものおじさん。
黙って会釈しあう工事の警備員さん。約束も責任もない関係ではあるが「他人」ではない人たち。
他にもいろんな気づきがあったが、今回が一番おだやかに身体を休めることができた。
内にこもることが休息だと思っていたが、暮らしを“開放”していろんな人と役割をシェアすることで
私は休みながら力を蓄えることができた。
子育ては一人ではできない。(だからみんな手伝え)とあちこちで叫んでいるが、一人で育てられない
なんて当たり前。人は一人では生きていけない。子育てが特別なのではない。人は人と関わりたい生き物
なのだと思う。全身を震わせて、ありったけの声で人を求めて泣く赤ちゃんを見ているとたまらなく愛しくなる。
つばさ、産まれて一カ月。
無事に過ごすことができました。感謝。
雨の中近くの池にエビ採りに行ったふくあかり。
結構降ってきたけど、そろそろ帰ってくるかな?
新生児期と呼ばれる特別な時間もそろそろ終了。
私の身体もずいぶんと回復してきて、そろそろ始動できそうだ。
この一カ月のことを少し。
・産後実家に帰らないという選択をした今回の出産。
上二人の生活リズムをなるべく崩したくないというのが表向きの理由ではあったが
もう帰る家はここにしかない、というのが本当の理由。
母は言葉にはしないものの、悲しかったと思う。多少傷ついたとも思う。
棘のある言葉は何度も何度も胸にしまったが、それでも「もうあの家には帰らない」
という私の暗い決意は伝わってしまっただろう。甘えるのが親孝行だとは分かっている。
母はまだつばさを一度しか見ていない。
・ダンナ氏ときちんと話し合いをしたわけではなかったが、なんとなく私の気持ちを察して
全て私のやりたいようにさせてくれたことに本当感謝している。ちびたちの世話と生存に
関わる家事は全てやっていた。(食器は洗うが、シンクは洗わない。洗濯は干すが、シワは
のばさない。風呂は洗うが、カビは見えてない。送り迎えはするが、連絡ボードはみていない)
←いちいちこだわっていても仕方ないので、もうこれで十分と私もようやく思えるようになった。
・友人の紹介で午前中の2時間、お手伝いの方に来ていただいている。マッチングのポイントは
「食べ物に対する価値観が共有できる方」この一点のみだった。そして出会ったのは本当に
素敵な方で、毎日ピンポンと鳴るのを心待ちにしている。友人ではダメだったと思う。
適度な距離感、ある程度割り切った関係であることがとても心地よい。
最初の二週間は本当にパジャマのままボサボサの頭でうろうろとしていた私。(半分乳も放り出し
てるような状態やし)思考能力も全くないので食事と掃除&整理整頓の全てをお任せしていた。
食事作りが助かることはもちろんだが、本当に助かったのは冷蔵庫の管理。これに尽きる。
野菜がしなびたり、食材が余ったり足りなかったりするのが何よりも苦手な性格なので、何も
考えずともいい具合に食材がまわっていくことが本当にありがたかった。献立を考えるって結構
エネルギーがいることだと分かった。そしてろくに睡眠もとっておらず赤ちゃんにふりまわされて
いる産婦にそれは無理だということも。
「大根の皮がもったいないからきんぴら作ったよ。」「ささみをゆでた汁がもったいないから
明日スープにしますね。」「ついでだから梢さんのお昼ご飯もつくっときました。」
こんな小さな気遣いが最高に嬉しかった。掃除機をかける時はいつでもエコモードだし、つばさが
泣くとすべての手を止めて、様子をみてくれるところも。あと一週間お世話になる予定。
・パパッときて、ササッと帰っていく近所友だちの存在に本当助けられた。それは引っ越し計画を
ためらうほどに。「あれ?いつの間にかこの地にこんなに根を張ってたんだ、これはこれで
悪くないんじゃないか」と気持ちが揺らぐ。「カレー作ったから冷凍しといてね」「ひじき作り
すぎたから食べて」とメールや電話もなくダイレクトに来てくれる友人。「今晩はふくちゃんの
大好きなごぼうの天ぷらです。いかがですか?あとでふくちゃんに取りにこさせてね。」とメールを
くれる下の階の住人。会うたびに「あなた本当にがんばってるわね。子どもたちはいい子ね。」と
毎回同じセリフで褒めてくれるおばあさん。同じ時間に機嫌よく歌をうたいながら通るいつものおじさん。
黙って会釈しあう工事の警備員さん。約束も責任もない関係ではあるが「他人」ではない人たち。
他にもいろんな気づきがあったが、今回が一番おだやかに身体を休めることができた。
内にこもることが休息だと思っていたが、暮らしを“開放”していろんな人と役割をシェアすることで
私は休みながら力を蓄えることができた。
子育ては一人ではできない。(だからみんな手伝え)とあちこちで叫んでいるが、一人で育てられない
なんて当たり前。人は一人では生きていけない。子育てが特別なのではない。人は人と関わりたい生き物
なのだと思う。全身を震わせて、ありったけの声で人を求めて泣く赤ちゃんを見ているとたまらなく愛しくなる。
つばさ、産まれて一カ月。
無事に過ごすことができました。感謝。
雨の中近くの池にエビ採りに行ったふくあかり。
結構降ってきたけど、そろそろ帰ってくるかな?