旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

仕事のこと

2019年09月27日 21時41分48秒 | 日々のこと
大学で保育士になる勉強をしていた時、「手と頭と心を使いなさい」と
何度も繰り返し教わった。

現場に出て、本当にその通りだと思った。

今はもう担任を持つこともないし、会議に出て意見を述べることもないし、
カリキュラムを書くこともないし、後輩を責任もって指導することもない立場。
もちろんその場の保育の流れを妨げるような行いはできない。

「・・・私、なにやってるんだろ」

今は仕事に全力を注ぐことはできない。自分の子どもが4人いて、そのそれぞれの
毎日を満たしてやるには私一人の身体では追い付かない。がまんさせていることが
いっぱいあると思う。
たった5時間のパート勤務の私を、もう一人の私が冷ややかに見ている。

今日、お昼寝の時間に寝かせた子どもの数をかぞえてみた。
0歳3人。2歳4人。合わせて7人。フリーで動いているのでいろんなクラスを
流れるように動き回っている。

7人のおちびちゃんが私がトントンすることで、安心して眠ってくれた。
「意味はある。意味はある・・・はず」自分で自分にそう言い聞かせるけれど
どこにも響かない言葉がどんどん自分の中にたまっていく。

保育の仕事は手と頭と心を使って、その持てるスキルと経験と愛情のすべてを
目の前の子どものために使い切るもの。

本当は育児の片手間でできるような仕事じゃないのだと、自分が一番よくわかっている。
それでも現場にいたいと思ってしまう私はワガママなのか、と悩む日々。

きれいにサラッと書くと、こんな感じなんかな。
本当はもっとドロッと濁った気持ちとどす黒い腹の中が気持ち悪い。

勇敢な朝

2019年09月25日 12時13分20秒 | 淡路島のこと
今日は休み。週4日で仕事をするリズムがとても合っている。
この平日「1日」があるから週末きげんよく過ごせるのは確か。

今朝は窓ふきからスタート。台風でいろんなものが飛んできて汚いことこのうえない。
ほこりやら土やら虫の死骸やら枝やらいろんなものが・・・さあ、やるぞ!

朝日を浴びながらホースで水を撒く。「あらっ!?これ、もしや、たっ楽しい??」
そう、いやだいやだと思っていた窓ふきが意外と楽しかったのである。
水圧であっさりと汚れが取れることにも驚き。やってみなければわからないもんだ。

窓枠の上に枝のかたまりを発見。水をかけても全然取れない。なんか怪しい・・・
台を持ってきて近くでみるとなんかわからん生き物がくっついていた。
ここで冬を越すつもりなのか!?死んでいるのか?生きているのか?わからん。
そのまま放置。

足元に違和感。ガサガサしている。ムカデや!木の枝ではさんで山に放り投げる。
(うちのすぐ横は山というか雑木林というかなんかそんな感じ)

思っていたよりも早く窓ふきが終わったので、そのまま草むしりを始める。
週末ダンナ氏がトゲトゲの枝をだいぶん切ってくれたので、安心して手をつっこんでいたら
「おまえ!まだおったんかいっ!!」今日もまたトゲトゲにやられる。(めっちゃ痛い)
このトゲトゲ、名前はわからんのだけど、ものすごい繁殖力で上へ下へ好き放題伸びまくっていて本当に怖い。チクッどころではなく、グサッと刺さる。本当に痛い。
ハサミと軍手でトゲトゲと格闘。おまえと決着をつけないとおちおち花も植えられない。
ようやく根っこまでたどり着いたので渾身の力を込めて掘る。絶対に今日で決着を
つけたい。30分ほど格闘してひっこ抜いた。ものすごい達成感。やったでワタシ。

かわらずなにをやらせてもへっぴり腰やけど、ここでの暮らしでちょっとは勇敢に
なったような・・・うん。なってるはず。

窓がきれいになると思いのほかスッキリする。まだ10時だし。
今日のこの休みを日常仕事で脅かされたくなかったので、必要な買い物は昨日
済ませている。なんといっても休みなのだから、やらなければならないことを
するのではなく、やりたいことをするのだ。絶対に。

ということで、ケーキを買って帰ってきました(笑)
昼はおでんの残り汁でうどん。自分のために焼くぎょうざ。ちょっとだけビール。
そしてケーキ。食い合わせものすごく悪そうやけど大丈夫かなあ。

こどもたちようんと寄り道して、帰ってこいー。頼むー。

幸せ休日。



青之介2歳になりました

2019年09月22日 22時18分00秒 | 日々のこと
家に赤ちゃんがいなくなりました・・・すがすがしい気持ちとちょっとさびしい気持ち
と両方。母の心はなかなか複雑なものです。

青之介はというと、兄弟のやることなすこと全部自分もできると思い込んでおり
「あおも!」「あおも!」と一日中後を追いかけまわしています。
あの根拠のない自信は一体どこからやってくるんだろう。すごいなぁ。

抱っこすることも少なくなり、たまに抱き上げるとズシッとした重さによろめくほど。
わたあめみたいにフワフワだった記憶は遠く遠くにかすんでゆくよ。

母ちゃん、なんにも覚えてないや。もったいないな・・・と思うけれどどうしようもない。
動画は一枚もないし、スマホじゃないから写真はデジカメ持っている時しかとらないし。

でもね、決めたんだよ。これは。福が生まれた時に二人で話し合って決めたこと。
「残さないことで、残るものに賭けよう」って。

青之介、誕生日おめでとう。
明日もいい日だよ。笑って起きといで。

そごうと大丸

2019年09月17日 22時43分30秒 | 日々のこと
三宮のそごうがもうすぐ閉店する。寂しい気持ちはあるけれど、時代は移り変わる。
全てが同じままなんてことはあり得ない。人も、物も、街も、自然も。

新聞を読んでいると、震災後長期的な計画で修復をした大丸との差がくっきりと
現れそれが今の結果に至る。というようなニュアンスの記事を目にしてそれは
事実だけれど、でもそれだけで評価するのはどうなのか?と強く思った。
「この記事書いた人、震災の時の神戸を知らない人なのかな?」とも思った。

覚えてますか?
震災後、まだ3月か4月の寒い時に、街がぐっちゃぐっちゃだった時に、そごうが
「おい、これがデパートかよ」という姿で必死に再開した時のことを。
おしゃれな人なんて全然買い物に来てなくて(来れなくて)、みんなが
みんなそこに寄りあうように集まったことを。工事現場の中に商品が置いて
あるような状態で、それでもみんな「そごうや、そごう!」と喜んだことを。

大丸は本格的に解体して(したっけ?すいません記憶があいまい)居留地もろとも
素敵なピカピカのエリアに生まれ変わったけれど、でもそれまでの神戸を支えたのは
傷をさらけ出してそれでも営業を続けたそごうだった。あの時そごうも一時閉店
していたら、私たちはどれだけ落ち込んだことか。街が暗くなったことか。

私の大学入学のスーツを買ってもらったのもそごうだった。仮設店舗で営業中
だったと思う。何を選んだらよいのかも分からず、まだごちゃごちゃした決して
おしゃれとか言えない雰囲気の中、店員さんが立派に包んでくれた箱を持って帰るのが
ちょっとだけ嬉しかったのを覚えている。

あの震災を経験した人間は、大丸も大好きだけど、そごうに対する特別な
思いもきっと持ち合わせていると思う。リスペクトに近いそんな気持ち。
老朽化した建物も、いつの間にか止まってしまった大きな時計も、屋上の
ビアガーデンも、全部が記憶の中にしか残らないのは寂しいけれど、それでも
ここにあったそごうのことはいつまでも忘れない。

震災の後、どんな状態であっても営業を続けてくれてありがとうございました。
赤ちゃんを連れて買い物に行く時、(大丸よりもゆったりできる)そごうに
何度もお世話になりました。小さくなった靴を持っていくと、ザンビアに寄付できて
500円還元してくれるシステムも大好きでした。

神戸もどんどん変わっていく。追いかける情熱はもうないけれど
次の世代の人たちが、私たちと同じように神戸が大好きでいられますように。

もしこういう気持ちを愛というのなら、私のふるさとはやっぱり神戸だ。
それは淡路島に何年住んでも変わらないような気がする。






稲穂が垂れる秋

2019年09月11日 17時26分51秒 | 淡路島のこと
どれだけ暑くても、「この日差しは9月ちゃうやろー」と思っても、
空にはいわしぐも。田んぼの稲穂は収穫を待つばかりに垂れている。

なんとなーく、そわそわしている雰囲気。

収穫は最大の喜び。
稲刈りの時期を見計らっている島の人々の息遣いが伝わってくる。

「子どもを保育園に送ってきて、今から畑ー。ああしんど」ってメールが
届いた。想像するだけでぐったりするけれど、でもその彼女がうんと素敵なのは
彼女の仕事が農業で、ピカピカの野菜を毎日作り続けているからだということを
私は知っている。

我が家の畑は・・・雑草天国。(涙)
いちじくが実をつけているのに、取りに行けない状態(涙)

島の秋は実りの秋。8月の緑がもう恋しい。