旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

考えることをやめないことの難しさ

2015年08月23日 23時31分46秒 | 日々のこと
にちようび。

土曜日に飲んだくれて帰宅し、パンツ一枚で寝てたワタシ。
なぜかリビングでぶどうを食べ散らかしていた・・・最後のぶどうだったのに
全く覚えていない。ああ、もったいないことをした。

二日酔いでグダグダなのに、約束は約束なので5時半に起きて
みんなでカブトムシを探しに行く。山の中は気持ちいい。
カブトムシはおらず、川で朝ごはんを食べてすごすごと退散。

まだ朝の7時だったけど、そのまま庭で過ごすことにした。
ハンモックをつって、「吐きそう・・」と思いながらも眠気には勝てない。
ちびたちは勝手に遊んでいる。あきらめられているのかも。

作り置きしていたカレーを食べて昼寝。
夕暮れから三宮に繰り出し、またビールを飲んで帰宅。ちび連れの外食もどんどん楽に
なってきた。もう着替えもエプロンももちろんベビーカーもなしでどこへでもいける。

シールズの京都デモへいきたかったが、今日は断念。
やりたいことが多すぎて、8月はあっという間に過ぎていった。

政治のことって難しいことでもなんでもなく、暮らしのことと同義語なんだと思う。
暮らしのことを考えない人間はいない。政治イコール暮らしだと気づいたら、今の社会に
希望をもてるのではないだろうか。政治をよくしたいと思う人は少ないかもしれないが、
暮らしをよくしたいと思う人はたくさんいると思うから。

クックパッドのレシピを検索するような簡単さで、政治にを身近に引き寄せることができたら
社会はかわると思う。

酔っぱらって書くのはやめようと思いつつ、このライブ感が好きでもあるのだよ。

「火花」をかしてもらったので、読み始めた。 おもしろい。 深い。

なつやすみ

2015年08月17日 22時02分26秒 | 日々のこと
みじかい夏休みはあっという間に終わり、今日からまた仕事。

ダンナ氏&ふくは長野へ帰省。
私と星はここで留守番。(自由人ダンナ氏の夏休みは長い)

夜はすっかり涼しくなり、窓をあけていると山からの風が
寝室を吹き抜けていく。

風呂の中でバスごっこ。運転手は星だ。
洗面器をぐるぐる回しながら、くるっと振り返って
「かーちゃん、どこいきたいの?いうてごらん」だって。
「おきなわまでおねがいします」と頼むと
「ハイ!おきわな、ですね。出発しますよ」と。

おきなわとおきわな。沖縄と置き罠。
むむむっ。深いなあ。

な、わけない。

はあ、涼しい。寝よっと。

我が身を振り返って唇をかむ

2015年08月16日 20時09分14秒 | 日々のこと

8月15日
今年の夏ほど社会と民主主義と平和と戦争について考える夏は今までになかった。

人に「どうよ?」「考えようよ」と言っておきながら私はどうなのか。
開けることを拒否していた自分の蓋をあけてみたら、何もなかった。知ってたけど。
だから嫌だったのだけど。

私は両親、祖父母、親戚から戦争体験なんて聞いたことがない。
それどころか、祖父母の名前もよく知らない。墓参りにいったのも母方の祖母一人だけだ。
父方の祖母は市内に生きているが、会うこともないし、会いたいとも思ったこともないし、
たとえ葬式にでたとしても何の感慨もわかないだろう。
憎しみがあるわけではない。思い出がないわけでもない。ただ何の感情も持てないだけだ。

父のルーツ、母のルーツ、知ってるような知らないような、確かなことは何も知らない。
気まぐれに話をきかされたことはあったが、話は毎回コロコロ変わっていて、そんな話に
つきあわされるのがうっとしくて仕方なかった。話の矛盾点を指摘すると「あんたはうるさい子や」
とものすごく嫌な顔をされた。「伝える」という使命などさらさらなく、ただ自分の都合の
いいように想い出話をしたかっただけだったのだろうか。
小学生の時母に「お母さんは国民学校だったの?」と聞いたら(多分、授業で習ったのだろう)
ものすごくバカにされたように笑われて「あほちゃうの」と言われてから、二度とこの人には
聞くまいと思ったことは覚えている。

あの時代の人たちが命を投げ出して守ってくれたから今の自分がいる。と言われても正直まったく
ピンとこない。仏壇もないし、墓もないし、名前も知らないし写真もきちんと見たことがない。

うちの家族に特別問題があったわけではなく(いや、あったか)父は私と会話する言語をもっていないし、
私も父と会話する言語をもっていない。残念ながら。まともに話したのはいつが最後だろう?そもそも
まともに話したことなんてあったのだろうか。母はただ単に説明することを放棄しただけだろうと思う。
自分がよくわからないからそのまま棚上げして今に至るのだろう。母たちは満州から引き揚げてきた
ので、混乱も甚だしく記憶も混沌としているのだろう。

で、私はどうするのか。

両親は幸いなことに健康な状態でまだ生きている。聞けないことはない。しかし私が両親に
聞くことはないだろう。二人が死んで後悔することになっても、私は後悔することの方を選ぶ。
どこで間違ったんだろう、私の家族。一人ひとりは悪い人間ではないし、激しいケンカをすることもないし、
憎みあっているわけでもない。だけど家族としてはまったく機能しなかった。

それを寂しい、と思う感受性が私に育たなかった。

昔つきあっていた彼氏に「どうして他人とはそれだけうまくやっていけるのに(その時は接客業だった)
自分の家族のことになるとそこまで攻撃的で、わかろうとしないの?ぞっとするほど冷たいよね」と
言われたことがあった。「こいつには二度と家族の話をするまい」とその瞬間から私はかたくなになり、
わかって欲しいとも誤解を解きたいとも全く思わなかった。
その彼氏の言ってたことは当たっていたと思う。

平和とか子育てとか語っておきながら、私はどうだ。からっぽだ。修復できる環境にありながら
かたくなにそれを拒否しているのは私だ。

本当は、“昔の人が築き上げた「今」を「未来」の子どもたちに引き継ごう!”とか言われても全然わからない。

わからない。


それを認めたところで私の心の中にはたくさんの「??」と行き場のない哀しみだけが残るだけだけど。







今年も海へ

2015年08月15日 23時26分01秒 | 日々のこと
7月の後半から二週続けて週末は海で過ごしていた。
福は何のためらいもなく海へずんずん入っていくようになった。
岩場にいるカニしか目に入らないようだ。
星は自分のタイミングで海に入っていった。「大丈夫」と決めるのは
親ではなく自分なんだと星をみているとよく思う。どれだけ誘っても、
抱っこしても、自分で納得するまでかたくなに拒否するのが星らしい。

一週目は前の勤務先保育園の海部仲間で。
働く場はそれぞれ変わってしまったけれど
海にいると何一つ変わらないような錯覚にとらわれた。
みんなよく笑う。よく食べる。そしてよく見てる。
一緒に仕事をしてきた仲間なだけあって、あうんの呼吸の素晴らしいこと。

二週目は福と同じクラスの友達家族総勢19名で初の海合宿。
子どもたちは大興奮、ケンカしてても「やれ、やれ、いっとけー」と言い合える
大人の関係がどれだけありがたいことか。
これだけの人数が集まっても、話題はいつも楽しいことばかり。明るいことばかり。
誰も人の悪口を言ったり、愚痴を言わないところが本当に素晴らしい。
職種も家族の形態もそれぞれ違うが、それだけにいつも新鮮な驚きや発見があって
面白い。0歳4月のスタートを一緒にきった“同志”の絆はなかなか強いものがある。

結局二週とも日曜日の18時過ぎまで海にいたのはうちだけで、最後福と星は
「うみー、ありがとうー! カニー、ありがとう!」と海に向かって叫んでいた。
私は夕方の海がたまらなく好き。海にいる時間は他のどの時間よりも特別。
なんで海は飽きないんだろ?それをずっと考えていたのだけど、泳いだり、魚をとったり
することは太古の昔からずっとずっと人間がしてきたこと。私たちの遺伝子の中には
今でもその記憶が残っているのかもしれない。ふとそんなことを思った今年の海でした。

音楽がなくても、文字がなくても、波の音だけで一日過ごす贅沢よ。

また来年もいこう。

沖縄旅・島ぐるみバス

2015年08月14日 22時50分57秒 | 旅のこと

大事なことを忘れていた。
私が今回辺野古にいくことができたのは、県庁前から毎日バスがでていたからに他ならない。

「島ぐるみ会議 辺野古バス」で検索するとでてきます

県庁前を毎日9:30に出発して17:30頃戻ってきます。
往復で1000円。(←安すぎる)

大型の観光バスでトイレ休憩もありました。
私が乗った日、27人が島の方で、私ともう一人の女性が本土の人間でした。

大型バスが毎日島の人で埋まる、というこの事実にまずはびっくりしました。
近所の女性3人組がお弁当を持って「週に何回かだけだけど・・・」と控えめに乗っていたり
自作ののぼりを持ったおじさんが乗っていたり、職場の仲間で乗っていたり、
主婦も、若い人も、おじさんおばさんも、おじいさんおばあさんも(←一番元気だった)
いろんな人がいろんな思いを抱えて乗っていました。

レンタカーを借りていくのもひとつの手段ですが、このバスだと車内でいろいろな話を
聞けることが、辺野古を理解するうえで非常に貴重な時間になると思います。

県庁前(那覇)からだけでなく、宜野湾市、うるま市、北谷町、沖縄市、名護市からも
同じバスがでています。申し込みは不要。

何かを強制されることは一切ありません。「とにかく知って欲しい」そんな思いがひしひしと
伝わってきました。

ひとつおもしろかったのが、帰りのバスの中で一人ひとりマイクを持って(話したい人は)話す
機会があったのですが、ひとりの男性が「どうしても歌いたいんだけど、今は歌の順番じゃないから・・・」
と言ったとき、すかさずみんなが「歌いたい時が歌の順番、今でいいの。はい、歌って」と答えて
突然民謡大会になったこと(笑)
それまで固い内容の話がずっと続き、島の人たちの「本気で新基地建設を止める」という意気込みに
圧倒されていた私ですが、この展開には別の意味で圧倒されました。
民謡の合いの手のうまさといったら・・・「うっわー!私、今、完全アウェー」とおかしくなりました。
それまでは標準語?日本語?でそつなく会話をしていた人たちが、いきなりスイッチを切り替えて
うちなー口で語り始め、一番威厳のあったスタッフ?の女性が顔の表情を一気に柔らかくして歌い始めた
時は、「本当はみんなこうやって穏やかに過ごしたいだけなんだよな」と今さらながら気づきました。

そうこうしていると、歌集みたいな歌詞カードみたいなものが配られ始め、県庁に近づく頃には
みんなで大合唱。運転手さんもノリノリで歌ってたのがミラー越しに見えて、さすが沖縄。

島の人は生きる幅が広いよなー。とノリ切れなかったわたしは小さくなってバスを降りたのでした。

“毎日バスを出す”ことがどれだけ大変なことか。
バスのことを公表するのにどれだけ勇気がいることか。(妨害も多数あった)

それでも今日も、明日も、バスに乗る人がいる。お弁当を持って、三線を抱えて、暑い暑いゲート前へ。
私はそれを忘れないでいようと思う。これだけ土地の人に愛される沖縄はやっぱり幸せだと思う。