旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

持ち物問題 男とか女とか

2019年02月13日 17時24分04秒 | 日々のこと
学校生活で必要な様々な道具類。
ランドセルに始まり、習字道具、絵の具セット、鍵盤ハーモニカ、給食エプロン、マスク
筆箱、色鉛筆、体操服袋に、絵本バッグ・・・数え上げるときりがない。

いい加減にやめてほしいことがある!!!
男は黒か青で、女はピンク、ってその決めつけ!!!

自分で用意する袋類や筆箱はまだ選択できるけれど(でも市販品はほとんど選択の余地なし)
どうしても買わないといけない鍵盤ハーモニカや絵の具セットの選択が青かピンクしかないのは
なんでなんや!!!「男でもピンクを選べばいいやん」「そんなん気にしなければいいやん」
それ、小学生の時の自分に言えるか??自分ならできたか??
できる子どもになってほしいという親の願いはあるが、それを今求めるのは過酷すぎる。
集団生活の縛りを思い出すだけでゾッとするが、子どもたちは今からそこを通過しなければいけないのだ。

性別の異なる兄弟がいれば、シェアできたほうが断然いいし、だいたい学校で買うものが高すぎる!!
体操服なんか「このなんのつぶしもきかない白い服に2500円・・・」と絶望的な気分になったほど。

今から習字道具を注文しなければいけないのだが、そのカタログのダサさと固定観念にふつふつと
怒りが湧いてくる。だいたいなんで習字道具のかばんに「LOVE ALL」とか「THE MOST FREEDOM AREA]
とか書いてあるんや??全く意味わからん。ミズノのロゴもアディダスのロゴも何の関係も
ないやろうに。(ああ、ロゴに価値があるのね。)
しかも全部のかばんに英語でなんか書いてあるし。なんかもーよーわからん。はっきりいっていらん。

アマゾンで買うか・・・やれやれ。

ほんま、腹立つ。男は青で女はピンク、集団生活ですりこむなって言いたい。こんなんやってるの
日本だけちゃうか?と本気で思う。

ああ、ビールがすすむわい。

↑↑
って昨日の夜中書いて、そのまま酔っぱらって寝てた。
肝心の注文は途中で終わってた。







シティービューとオーシャンビュー

2019年02月12日 11時53分06秒 | 淡路島のこと
前回の小旅行の時にびっくりしたことがあった。

あのオーシャンビューの部屋に通されて海が目に入らなかったのだ。
もちろん視覚としては海をとらえているが、それをなんとも思わない私たちがそこにいたのだ。

淡路島に暮らすまではこんな部屋こそが旅行の理想だったし、窓一面から海が見えるだなんて
贅沢そのものだった。「ひゃーー!!」と歓声をあげて窓に顔をくっつけて海を眺めていただろう。

海のある暮らしが日常になったんだなーと感慨深いものがあった。

淡路島でも「海が見える家を!!」と鼻息荒く土地を探しているのはほとんどが島外の人たちで
生まれも育ちも淡路島という人たちは「スーパーに近いところ」「便利なところ」と驚くほど
海にこだわりがない。もう海は求めるものではなく、ただそこにあるものなんだろうきっと。
それはそれでものすごい贅沢なことだけど。

たまたまこの小旅行の前日に神戸のホテルに行く用事があった。そこはシティービューの部屋だった。
馴染みに馴染んだ神戸の景色。ハーバーランドの観覧車とポートタワー、六甲山と神戸大橋・・・
そのどれもが息をのむほど美しく見えた。それこそ窓に顔をくっつけて見とれてしまったくらい。

いつの間にか私の感性は反転していた。
今なら旅行に迷いなくシティービューを選ぶ。(笑)
「シティービュー??そんなん選ぶ人っておるん??」と今まで本気で思っていたが、それはただ
自分の見えている世界が違っていただけだったのだ。


シティーホテルのロビーで大きく深呼吸する。様々な人たちが行き交うこの空間がやっぱり大好きだ。
帰りの車で明石大橋を渡るとき、まだ「ん?」というちょっとした違和感はあるけれど、それも時間の
問題なんだろう。きっと。

休日を長引かせる方法

2019年02月07日 11時10分37秒 | 淡路島のこと
少し前の話になるが三連休に入った途端
・どっか行きたい
・上げ膳据え膳されたい
・誰かに作ってもらったお酒が飲みたい 家事放棄の発作が起きた。一大事。

「どっかいこ、どっか!!」「とにかくすぐでよ!!どっかいくねん。いますぐに!」と
鼻息をフンガフンガ言わせながら検索するも大人2、子ども4、これを入力した途端どのサイトも
たいていエラー表示がでてチーン終了。
でもここで負けるわけにはいかない。とにかくもう人参一本切りたくなりのだ。麦茶を沸かすのも
嫌なのだ。コメ一粒洗いたくないのだ。

三連休ということもあり、どこもたいてい満室か予約自体を締め切ってしまっている。
それでもちょっとだけホテル経験のある私は知っている・・・ふふふ。ホテルは全室満室に
しないことを。直前電話なら意外といけることを。そしてこの時期インフルやノロでキャンセルが
非常に多いことも。ふっふっふ。やるでわたしは!このミッションを成し遂げてみせるで!!

ここならいけるはず、と目星をつけたホテルに電話をかけると案の定空室があった。
「よっしゃー!!」少し気持ちを落ち着けて冷静に値段を聞く。8万円ぐらいするやん・・・
メモを取る手が止まった。うーむどうするべきか。一晩8万、一晩8万・・・一気に弱気になる。
「えっと、一度考えて後でもう一度電話させてもらいます」と一旦電話を切る。

「どうする?」ダンナ氏に聞いてみる。
「どうする?ってもう行く気なんでしょ」
「そうやけど、8万って・・・」

下手したら一人で海外行けるやん。むむむ。

微妙な気持ちで仕方なく麦茶を沸かしていると突然ひらめいた。「月曜に泊まって、火曜の
朝にそっから登校、出勤したら平日料金やん!!」

もう一度電話で確認してみると、月曜はもちろん空室ありでしかも8万→3万8千円だった。
よし決定。

家からわずか20分ほどのところにある温泉。しかも日本一のフィッシングホテルと宣伝しているだけ
あってホテル敷地内にプライベート釣り場があった。しかも部屋をアップグレートしてくれていて、
なんかいいことだらけ。さあ、のびのびするぞ。のびのびのびのび。

夕食はバイキング。福と星は最初から自分で作るパフェコーナーにまっしぐら。嬉しそうだからマル。
温泉にもゆったりとつかり、夜釣りにでかけたダンナ氏と福を眺めながら(ベランダからちょうど見えた)
ルームサービスで美味しいお酒を一人ゆっくりと。ああ、幸せ。しかも持ってきてくれるのがネパールから
来たきさくな兄ちゃんで、なお旅気分。(ネパールよりも淡路島のほうが田舎ですることがないと言われた。
そのぶんお金が貯まっていいけどねーと)

翌朝もしっかり温泉に入ってから朝食を済ませ、福を学校の前で降ろしてひとときの夢の時間終了。

非常に充実したリフレッシュとなった。
観光地に住むとこんなこともできるんだなーとニヤニヤしてしまう。これ、多分、またやる。

親に寄り添うとは

2019年02月04日 18時09分43秒 | 社会と政治のこと
また虐待によって小さな子どもの命が奪われた。
アンケートの翌日一時保護されたということから、担任を始め学校の先生は
相当がんばったと思う。そこからの対応は問題だらけだったとしても。

みんな心が痛いだろうな、といたたまれない気持ちになる。
もちろん一番絶望したのは殺されてしまった小さな女の子だけれど。
「助けて」と書いたアンケートを父親から見せられたその時彼女はどれだけ怖かったことか。
「もうダメだ」と思ったに違いない。

保育や教育を志し、勉学に励んだ4年間。具体的な虐待の対応や、無理難題を突き付けてくる
保護者対応について学んだ記憶は一度もない。
私はここが一番問題なのではないかと思えて仕方がない。(もしかしたら今はしっかりそのような
授業もカリキュラムに含まれているのかも知れないが)
かわりに学んだのは「子育て支援は親を含めた支援です」「親を支えることも保育者の大事な
役割のひとつです」そんなモヤーっとした言葉が並んだ授業をぼーっと聞いていただけだった。
その頃はもちろん周りの仲間も親になっていなかったし、子どものことを想像することはできても
子どもを育てる親のことを想像するのは「想像してみよう」とも思わないほど遠い世界のことだった。

資格を取得して保育の現場にでてみると、子どもの対応よりも親の対応に悩む方ががはるかに多かった。
子どものことは試行錯誤しながらいろいろな方法でアプローチすることができたが、親の対応は一発勝負。
待ったなしのケースがほとんどだった。それがどれだけ難しかったことか。怖かったことか。
経験の浅い保育者の心が折れてしまうほとんどの理由はここだと思う。低賃金とか重労働とかもちろん
そういう外的要因もあるけれど、保護者対応のプレッシャーに堂々と立ち向かうことができるほどタフな
心を持つには相当な経験と時間がかかるのだ。(今も全く自信ないです・・・)

子どもの様子がいつもと違う時、家庭で何かがあった時、毎日接している私たちはそのサインに
気付くことができる唯一の大人だ。(そうであると信じたい)

もっともっとこの分野での専門性を高めてから現場に出ることができるようになって欲しい。
手遊びも大事、絵本を上手に読むことも大事、ピアノも大事、記録を的確にとることも大事、
アンパンマンの主要キャラクターをペン一本で書けることも(多分)大事。←私はできないが。
だけど、それら全ては私たちの子どもが生きて保育園に来てくれるからこそなのだ。
子どもが家で虐待されて殺されてしまったら、こんな小さなスキルになんの意味もない。

ニコニコしている保育者はたくさんいるが、ニコニコしているだけじゃダメなのだ。
その目の奥は怒りに燃えてないとダメなのだ。子どもが味わっている怖さに共に震えていなければダメなのだ。

子どもを守る、親に寄り添う。時にそれは全く正反対の行為を伴う。その覚悟を保育者はいつも問われている。
どっちに立つのか?答えは簡単だ。いつもいつでも、何があっても誰に指図されても、子どもの側に立つ。
絶対に立つ。

今回恫喝に負けてアンケートを渡してしまった職員の行為は許されるものではないが、もっと大きな
間違いがこの事件のあちこちに隠れているような気がする。

亡くなってしまった小さな女の子がせめて今は怖い思いをしていませんように。
どこかで怖い思いをしている子どものSOSに気付くことのできる大人が一人でも増えますように。

テレビ欄みただけやけど

2019年02月01日 14時25分19秒 | 社会と政治のこと
テレビないのに、新聞のテレビ欄からみる私。
矛盾してるような気もするがまあそれは置いといて・・・

東京に雪が降るのがそんなにニュースなんか??
そのニュース、本当に全国テレビでしつこくしつこく報道する必要があるんか??

なんか隠してないか?
国会やってるけど、それはどうした??どこいった?

全国民が嵐に興味があるわけではないし、24時間天気の心配してる人間ばっかりではないんやけど。
それ、そんなに大事なんか??

北方領土はどうなるんや?
消費税はどうなるんや?
辺野古の工事は正当なんか?

ほんまか??

今日も新聞に目を落としたまま考え込んでしまう朝だった。