旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

置いてけぼりの気持ち

2018年03月30日 22時58分33秒 | 日々のこと
夕方に一本の電話。
よじのぼるたびに突き落とされるいつもの繰り返し。
離乳食の人参をすり鉢ですりながら考える。「結局私はこのお椀のふちにつかまることは
できても、ここから出られることはないんだな」と。

青をおぶって、つばさの手をひいて、福星を探すついでに散歩にでかけて気分転換を
はかるけれど、もう桜もきれいには見えなかった。

飲み込んだ言葉たちが「ここから出せ」って言ってる。
ごめん、出すところがないんよ。

じゃあ、ぶつけてみる?そしたら崩壊や。

自分の生まれ育った家で、自分の親が死んだのを見た娘の気持ちなんてどこにも行き場所がない。
乳飲み子を抱っこしておんぶして死んだ父親の隣に乗り込まされて、助手席に座る母に「代わって」
と言えなかったことが何度も何度も何度も何度も繰り返し思い出されて涙があふれてくる。

言いたいことが山ほどある。「寂しい」と言って泣く母。
受話器を耳から離して相槌をうつ私。どっちが限界なんだろうか。

海も空も星も花も風もなぐさめてはくれるけれど、解決にはならない。
一人で飲んでも意識はクリアになるばかり。置いてけぼりの気持ちはどこにもいけずたまるばかり。

私はいつも一言多いらしい。
それが本音なんだけど、その一言があまりにもどす黒くていろんな人を傷つけてきたのだろう。
自分でもわかっている。沈黙という抵抗。長い反抗期は終わりそうにない。


図書館にたまげた

2018年03月30日 12時49分20秒 | 淡路島のこと
春休みである。

朝ごはんを食べたら昼まで帰ってこない福星。
昼ご飯を食べたら夕ご飯まで帰ってこない福星。
時々声がきこえてくるのを確認して私も好きに過ごしている。

畑の前にテント。ベンチ。水筒。
あちこちで桜が満開。わざわざお花見に行かなくても桜の中に集落があるみたい。

車でブーンと坂道をくだって図書館にいってきた。
とにかく本がきれい!!そして新刊がそろっている!!
本好きの私にとっては嬉しさと興奮と「これを片っ端から読みたい」という欲求で
軽いめまいが・・・その場に倒れそうになったほど。

今のこの生活で本を読む時間も体力も限りがある。でも読みたい。
「そうだ、時間はつくるものだ」自分のやりたいことに対してはこんな風にいくらでも
努力ができるというのが身勝手だけど、たぶんそれが生きる原動力なんだろう。

本生活、再開します!

人が少ないって本当にいいもんだ。買い物も役所も図書館も郵便局も道路も
まず混むことがないからとても気が楽。誰もイライラしてないから場の雰囲気がどこも穏やか。
選択肢はうんと少なくなったけど、実はそんなことで「暮らし」のクオリティーはちっとも
さがったりしない。衣食住で一番に手放すことができるのは「衣」だし。
なぜそれを手放すことができたのかというと、納得のいくものしか着てこなかった日々が
あったからだし、そういう大切さを教えてくれた旅や山があったから。
「ああそうか、全てはつながっているんだな」と気づく日々。ちっともオシャレじゃないし、
流行とも無縁だけど、好きな服を着た時のウキウキした気持ちや、とっておきの日にとっておきの
服で装う大切さも忘れてはいけないなと思う。っていうかそんな心動かされることを忘れるわけないし。

こんな気持ちの良い日にはやがてやってくる夏の暮らしを想像しながらパタゴニアの水着を
買いに行きたいなあ。季節に一度、そんな時間があればそれだけでもう十分なのだ。

よい週末を!

春の朝

2018年03月28日 23時38分03秒 | 淡路島のこと
早起きした子どもたちが散歩にでかけて花を摘んできてくれた。
ここで暮らし始めてから切り花を買うことがなくなった。
前は狭い花屋の奥までベビーカーで入ることができないから
店頭にある花をそれでも必死で一輪買い求めてそーっと持ち帰っていたのに
今は家に飾る必要がないくらいに花があふれている。

淡路島はフローラルアイランドらしい(笑)

つばさが外に出るたびに「きれいね。きれいね。」と言うようになった。
光る海を指さして「かーちゃん、きれいね」
咲き始めた桜を見上げて「きれいね」
そして自分を指さして「かわいいね」と。

ここで暮らしている人たちが、自分たちの暮らしや住んでいる場所のことを
ちっとも謙遜しないところがとても素敵だなーと思う。
みんな(私が出会う人がたまたまなのかも知れないが)「ここは本当にいいところよ」
「○○は本当においしいよ」「淡路島はいいよー」となんの屈託もなく様々な情報を与えてくれる。
自分の暮らしや住んでいる土地のことをこんな風に自然に誰かに伝えられるって幸せなことだ。
謙遜する必要のない会話はそばできいているだけで楽しい。




子どもでいることの不自由さ

2018年03月22日 23時29分10秒 | 日々のこと
自然の中に解き放ったらすっかりアホ?やんちゃ?調子乗り?怖いもの知らず?に
なったふくのすけ。私を超えていこうと反抗期まっただなかである。
片付けもしなくなったし、とにかく全てが雑になった。口のききかたもひどいもんだ。
あんまり干渉しないように気を付けているつもりだが、それでもつい口を出してしまうことも多数。

サッカーボールも給食のナフキンもポケットに入れるタオルもお道具箱のこまごまとした道具も
いろんなものを次々紛失した挙句、近所の人にお菓子をねだっていることが発覚。
近所の子どもたちもまとめて全員集合。私が鬼の形相で「サッカーボールをみつけるまで帰ってくるな」と
言い渡すと、今度は山の斜面の反対側から声が聞こえる。どうやってそっちに行ったのか・・・
ああ、落ち着かん。

今日は「かあちゃんいいこと考えた」と言って、星と二人せっせと何かを作っている。絶対こっちに
来るなと言うので放置。夕方ふと玄関の外にでると【つくし売ります!おいしいよ。】と看板が(笑)
ちゃんと佃煮の作り方まで図解説明してあってなかなかいい感じ。
帰宅した二人に「売れたかい?」と尋ねると、「一個も売れへんかった」とケロッとしている。
つくしはしなびてぐったり(笑)おひたしみたいになっている。

【つくし売ります!おいしいよ。無料!!】これじゃ売れないよ。ふくのすけよ。
まだまだちょろいなーとほくそ笑んだ母ちゃんなのでした。

理不尽に怒られたり、指図されたり、兄弟の世話を押し付けられたり、ふくにとっては嫌なことも
たくさんあるだろう。思い通りにいかないことがほとんどだろうし、言葉の語彙数が足りないことや
知識がほんの少し足りないことで分からないイライラもたくさんあるだろう。子どもってそんなもんだ。
決して楽にのほほんと生きているわけではない。いつでも必死に物事を吸収しようとしているし
得た知識を落とし込むのにどれだけ脳みそを働かせていることか。

毎晩布団に倒れこみ、赤ちゃんの時と同じ顔で眠っているのを見ると「あんなことやこんなことを言って
しまったけど、この子はまだ子どもなんだ。私が言い方を工夫するべきだった」と反省することしきりだが
ついカチンときて言ってしまうんだなあ。

靴はいつでも泥だらけ、そして3か月持たずに破れてる。服装をとやかく言うのはもうあきらめた。
二人ともお客さんが来るたびに張り切って半袖になるのは本当にやめてほしい。星は私がみていないところで
尻まで出しているらしい・・・はあ。

見ないふりをするのって難しい。つい自分の所有物みたいに扱ってしまう。
でも、本当に「見ない」でいると、死んでしまうのが子ども。世話をしないとあっという間に死んでしまう
存在なのに、なんであんなに屈託なく私のことを信じているんだろう?と不思議に思う。

「かあちゃん、かあちゃん」この声をどうかいつまでも覚えていられますように。


電動自転車海を渡る

2018年03月20日 17時03分01秒 | 日々のこと
小さなお子さんを持ったお母さんに電動自転車を無事に譲ることができました。
わーい!

つばさ→あかり→あおのすけ 順番に咳と鼻水が。

たったそれだけのことなのに、それだけで何となく気が晴れない。
私もついダラダラ過ごしてしまう。暗い気分のまま。

母と子。たったそれだけのことなのに。もっと気持ちを切り離せたら楽なのに。
難しいなあ。

足はずいぶんよくなりました。
車が届いたので運転を始めました。10年ぶり・・・かな。

30分後、家の壁にすりました。ズズズズズー。やれやれ。

収穫をさぼった水菜の花が満開です。(笑)
人間の都合なんか関係ないもんね。冷蔵庫の食材に追われるだけでなく、畑にも
追われるようになってしまったよ。私、仕事とか当分無理ちゃうの??
自信ないなぁ。

雨の一週間。心静かに。心穏やかに。

運転って、センスよなぁ。
私にそれが全く備わっていないことを乗るたび思い知らされて小さく落ち込むけど
がんばろ。

できないことと向き合うのはしんどいなぁ。こどものしなやかさを見習いたい。
うう、がんばれワタシ。