旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

散歩時間と地域猫

2018年02月23日 16時45分53秒 | 淡路島のこと
今日も畑をひとまわり。大根を一本抜いて、ほうれんそうと水菜を収穫。
私の車がまだ届かないからどこにも行けないけれど、畑があるって無敵だ。
私たちが育てたものはまだなにひとつないけれど、土をなでたくなるほどありがたい。

それから家の周りをひとまわり。なんと“地域猫”がいるのだ。24匹!
全員に名前がついているらしいけれど、まださっぱりわからない。
町内会費で去勢手術を行い、あとは猫たちのご自由に、というスタイルらしい。
よく来る家と全く寄りつかない家があるそうで・・・我が家はもちろん後者になりそう。
見かけるだけで「にゃーーーーー!!」とつばさが大騒ぎしているから猫からしたら
大迷惑だろうな。

本当におおらかだ。
猫に優しくできるほど、みんな暮らしにゆとりを持っている。

なんとなく気づいたけど、高齢者に限らず時間に縛られない仕事をしている人が多い。
朝の8時ごろ帰ってくる軽トラは漁業かな?夕方でていくあの車は夜勤かな?
みんなそれぞれの暮らしがあるんだなー、と当たり前のことを今さら思う。

「いいところがあるんよ」とお年を召した女性と猫の“ちこちゃん”が私たちを
案内してくれたのがこの場所。漁の安全を祈願する神社が横道を入っていった突きあたりの
やぶの中に現れ、こんなにたくさんの桜が植えられていた。
「ここにおにぎりを持ってきて、好きなだけいたら、お金なんか一円も使わないわよ」と
笑っておられた。桜が咲くのが待ち遠しい。

まだ旅行者の目でこの海を眺めている自分がいるけれど、これから時間をかけて
ここを自分の居場所にしていきたい。「帰ってくる場所」にしたい。

船が出ていく。船が帰ってくる。
そうだ、私は港も大好きだったんだ。

なーんもすることがない御蔵島で6時間座っていたこともあったなあ。
「誰か旅人がこないかなぁ」と波照間島で船を迎えにいったこともあったなぁ。
知り合いがおりてくるのを待つ島の人がうらやましかったっけ。
そっか、今は私が島の人なんだ・・・自分のどこか深いところから言いようのない
喜びがあふれてくる。


近所の少年はこの海を「じいちゃんの海」と表現した。
うちの子どもたちにとってもここが「じぶんたちの海」と思える日がきますように。
心に自分の海を持ってたら、この先何があっても大丈夫。いつかあの子たちがこの海の
広さに支えられ、乗り越える力になる日が必ず来るはず。かあちゃんはもう本当にあと少しの
時間しか君たちになにかしてやることができないから、(食事とか身の回りの世話とか
話を聞いてあげることとか)あとはここでずっと祈っているよ。

山に行った子どもたちは、近所の人に手伝ってもらってブランコづくりをしていたらしい。
「ロープ、ロープ、ロープ」と叫びながら帰ってきた。今の私にロープだなんて(涙)
ブラックジョークもいいところだわ。子どもたちの自転車のかごにはのこぎりとナタ・・・
おいっ!!!それはやめてくれ、と思ったけどどこまで大人が介入していいのかわからず
6年生男子に「いっつもこんなんして遊んでるの?」と聞いたら「はいっ!」と。
笑顔で。きっぱりと。かあちゃん黙って引き返してきました。

今日も無事に帰ってこい。アゲイン。



山と海と

2018年02月21日 16時06分55秒 | 淡路島のこと
今日はふくのマラソン大会。
保護者、長靴率高し・・・そしてみなさん若い!

そこらへんの畑の横で上着を脱ぎ捨て、田んぼの間を走っている子どもたち。
「大きい声でがんばれって言わんといてな」と言って朝出て行った息子。
「がんばれー!」って思わず口に出したら星に「しーっ」と注意をされたよ。トホホ。

山と海に挟まれて、人間のエリアのなんてせまいことか。
鳥は自由だなー。

隣の人にも「車でうっかり山の方に入っていったら、バックできないことが多いから
気を付けてね」と言われた。

遊びに来た男の子がごく普通の会話の中で「じいちゃんの海」と表現していたことが
素敵だった。(じいちゃん漁師。もうすぐいかなご漁始まるで、と教えてくれた)

窓の外から「おーい」と声が聞こえるから外にでてみると前に住まわれていた方が
ワカメをどっさり届けてくれた。「そこの海で拾ってきた」と(笑)

夕食変更。ワカメのしゃぶしゃぶにしよっと。

毎日がミラクル。私が差し出せるものはまだ何もないけれど、せめて毎日ニコニコ
していたいと思う。

「山行ってくる!」と言って福星が飛び出していったけれど、大丈夫かな?
山ってどこや??全部山なんですけど・・・試されているのはいつだって親の方。
本当はドキドキしているのだけど、何事もなかったかのように帰りを待とう。

今日も無事に帰ってこい。それだけ。

引っ越しの理由

2018年02月20日 16時39分27秒 | 日々のこと
去年の今頃も引っ越しで大混乱だったことをぼーっと思い出す。
つわりとのダブルパンチでほとんど何も記憶がない。
今思えば「とにかくふくを小学校に入学させねば」それだけだったと思う。
それまで住んでいた家から通う小学校は建て替え工事が始まるところで
5年間は運動場をまともに使えない、と分かったのが引っ越しのきっかけだった。
「小学生男子が運動場を使えないなんて・・・無理やろ」それが私たち夫婦の共通した思いだった。

新しく見つけた家はもちろん気に入って購入したし、リノベーションも結構がんばった。
期待に胸をふくらませて「さあ、ここで始めるぞ!こうなったら四人目もがんばって育てるぞ」と
決めたはずだった。まちを歩き、子どもたちに道を教え、道路のわたり方を教え、図書館へもせっせと
通った。出会った人には必ずあいさつするように教え、私ももちろんそうした。

なのになんでだろ。

なぜかなにもかもがうまくかみ合わなかったのだ。ちいさな「あれ?」と思うことが引き金と
なって次の「あれ?」がやってくる。「いやいや気のせい」とそのたびやり過ごすのだがやっぱり
ちいさなひっかりはとれないまま。違和感だけが募っていく日々。

周りの家はいつも雨戸が閉まったまま。ごみ捨てのネットと箱を時間通りに出すかじっと監視されて
いるのがものすごく苦痛だった。手があいているなら自分が出せばいいのに、と思ったけど
かたくなに当番制を守るシステムだったようだ。どの家にもベタベタ貼られたセコムのシールも
怖かった。

「洗濯を干すな、来客が多い、うるさい」と言われたのはちょうど夏休みを迎える頃。
「ここはあななたちのような人が住む地域ではない」とも。

そういわれた時の衝撃は今も忘れられない。変な汗がぶわーって出たのを覚えている。

臨月のおなかを抱えて、子ども3人との夏休み。ダンナ氏は産後しばらく在宅で仕事をすることに
決めていたので出産前は出張続きだった。
家に居場所がなく、外は35度を超えていて、自分の身体はまったくいうことをきかないまま
検診は週に一度のペース。この時が一番つらかった。本当は臨月で一番幸せな時期だったはずなのに。
最後の3人の子どもたちとの時間を楽しむはずだったはずなのに。

朝ごはんを食べさせて、芸術文化センターの日陰で図書館が開くのを待ち、9時になったら
福星に図書館でDVDブースに入ってもらい、私はつばさを連れてベビーカーを押しながら「寝てくれ、
寝てくれ、頼むから寝てくれ」と念じながら少しは涼しい図書館内をうろうろ。
図書館にいるのに本を手に取れない虚しさと言ったら・・・マイナーな隅っこの専門書の棚で
何度涙をこぼしたことか。日中は暑くて歩けないのでタクシーで帰宅して昼ご飯。無理やり子どもたちには
昼寝をしてもらってそこからなんとか部屋で過ごし、18時をまわって少し涼しくなったらもう一度
公園へ。とにかく、とにかく家にいるのがこわかった。(そりゃ何度も怒鳴り込まれたら怖くもなる)

そこまで気をつかっていたのにダメだった。あおのすけが生まれて産院から連れて帰った日に
「泣きやませろ」と怒鳴られた時に私の何かがぷつんと切れた。初めてダンナ氏に「引っ越ししたい」
「もうここにいるのは無理だ」と言った。ダンナ氏は私がここまで追い込まれていることにはまったく
気づいておらず、私も「買った家には住むのが当たり前」「自分は一円も出してないんだから我慢して
当然」という遠慮があってどうしても言うことができなかったのだ。
ダンナ氏の答えはいたって明快だった。「ここに住み続ける理由はどこにもない。いい家があれば
また引っ越せばいい。だけどそこがここよりもいい家とは限らない。そんなことは誰にもわからない
んだから。でもそれならまた次の家を探せばいい」私が「私のわがままとは思わないの?」と聞くと
「それはない」と言ってくれた。その一言にどれだけ救われたことか。本当にこの人と結婚して
よかったなと思った瞬間だった。この話し合いをした時が結婚した時よりも嬉しかったかも知れない。

それからはうんと気が楽になったけれど、実際の生活には変わりがなく、あおのすけが泣くと
つばさも泣くという時期が続き、夜中につばさの口をふさいでしまったこともあった。(完全に
これ虐待でアウトです。隣にダンナ氏がいてよかった。私、殺していたかも知れなかった)
睡眠が全くとれない中、つばさとあおが交代で泣き続ける夜が延々と続き、夜になるのが本当に
怖かった。一日の切れ間がなくて四人目にしてスコーンと産後うつの状態に。
自分がいつ寝たのか、いつ顔を洗ったのか、自分の服を洗濯したのがいつだったのか、鏡をみることも
なくまともに座って食事をすることもなく、新聞すら読めなかった。時々訪ねてきてくれる友人だけが
私と世界をつないでくれる命綱だった。そんな中あかりが喘息の発作を起こし、あおが生後2週間で
病院にかかり、つばさが熱を出し・・・毎日病院通い。あかりが発作を起こしても「またうるさいって
言われる」としか考えられなかった。最低な母。

いろんな人に相談をして、たくさんのアドバイスをもらったけど、それが解決してくれるわけではなく
産後の体で物件を見に行くこともPCを開くこともできず、もう無理だって泣いても子育ては待ったなし。

久しぶりに、本当に何年かぶりに、強烈にしんどい日々だった、

とどめは家の隣にあった平屋豪邸、周りはほぼ森。の家がある日突然ぶっ壊されて、木が全て
切り倒されて、更地になって、ちっこい家が6件たつと決まったことだった。
工事が始まると我が家はほぼすっぽりと影におおわれて・・・もう笑うしかなかった。
この場所と縁がなかったことを決定づけた出来事だった。木を切り倒す工事業者の人に
「これ全部切るんですか?」とたずねるとそのおじいさんは「もったいないなー、って俺も思う
んやけどなー。しゃあないな」と悲しそうに笑っておられた。それぐらい立派な木々だった。

閑静な住宅街で全てがスマートでさっぱりしていて、何不自由なくそろっていて、整然としていて
なんにもないからっぽのまちだった。無関心を装った監視社会の縮図みたいな場所だった。
そして私はそんな場所が一番苦手だということが嫌というほどわかった。これも人生の肥やしになると
信じてこうして書き残しておこうと思う。学んだこともたくさんあったはず。どんなに嫌なことも
何年もたてばきっと役に立つ日が来ることをもうすぐ40歳になる私は知っている。昔のように
泣いてばかりじゃいられない。そこからの立ち上がり方も学んできたはず。できるはず。
そう自分に言い聞かせて必死の引っ越しだった。

もうあんな日々は終わったのだ。
子どもたちには(特につばさ)謝っても謝り切れないひどいことをした。
これも忘れてはならないこと。母ちゃん逃げ切ったよ。でもちょっと間に合わなかったことも
たくさんあったね。ごめんね。本当にごめんね。つばさの寝顔をみていると毎晩そう思う。

私がこの引っ越しをなぜこんなに喜んでいるのか、これがその理由。

もしも、同じようなことで悩んだり悲しんだりしている人がいたら、そこからの打開策のひとつとして
逃げることをすすめます。経済的なことや現実に移動する大変さを考えるとそりゃ足がすくむのも
わかるけれど、それでもやらなあかん時ってあるのかも知れない。やってみてそう思います。

生活を変えるエネルギーってそれはそれは大変だけど、誰かを憎むエネルギーってその何倍も何十倍も
自分を消耗させる。それなら私は憎むよりも前に進むエネルギーで消耗したいって思った。それで
燃え尽きても構わないって思った。これが今回一番学んだこと。
さ、書いたからもう忘れよう。終わった。全部終わったのだ。終わらせたのだ。ふう。


畑からつながる台所

2018年02月19日 17時28分23秒 | 淡路島のこと
台所から見えるのがマイ畑。(昨日の写真はリビングの定位置から)
この家を譲ってくださったご夫婦がそれはそれは丁寧に畑を手入れされていて、なんと耕運機付き(笑)
畑のまんなかには文旦といちじくの木。それから一年分のたまねぎとにんにく。大根と白菜とキャベツと
小松菜たち。たくさんのハーブ。家の周りはノウゼンカヅラ。私が運んできたブーゲンビリアはここに
根付いてくれるかな?

畑仕事なんてプランターでちょろっとトマトを育てたぐらいだし、こんな立派な畑を維持できるのか
不安はいっぱいだけど、(なにがわからないかすらわからない)幸いなことにすぐ近くの平地に
居を移されたこのご夫婦がいつでも様子を見に来て教えてくださるとのこと。家族で力を合わせて
やってみようと思う。どこまでできるか全く未知数だけど。あっという間に草ぼうぼうの荒れ地になって
近所の笑いものになってしまう可能性も大。なんせ私は人の世話で手いっぱいやし。

ちびたちはここで作った野菜を売って、アイスクリームを買うと大はりきりだけれど。さて。
福がここに引っ越したいといった理由は「お金がかからないから」だった(笑)
「魚は海で釣れるし、畑があるし、ぶんたんもあるやん。いちじくジャムもできるー」と。
“理想と現実”ロハスとかエコとか持続可能な環境の暮らしとか、さすたなてぃぶな暮らしとか
そういうおしゃれな言葉が吹っ飛ぶほどの現実をここで体験してみたいと思う。
結局スーパーまで近いのに車で行って、ジャガビーとか甘いパンとかパックのコーヒー牛乳とか
買ってバカ食いしている自分が目に浮かぶけれど。まあ、それはそれということで。

あおのすけがのびのびと泣いている。いくら泣いてもいいよ。赤ちゃんは泣くのが仕事。
ようやくそれを穏やかに見守ることができるようになった。

とんびが空を飛んでいる夕方。

今日はおでん。
誰に言っていいのかわからんけど「ありがとう」ってつぶやきたくなる。

ちびたちが近所の子どもたちと外を走り回っているのが見える。
前は同じ学年の子としか遊ばなかったのに、ここでは何年生とか関係なく群れて遊んでいる。
星は自転車たちこぎで必死についていっている。がんばれー。






新生活

2018年02月18日 21時58分31秒 | 日々のこと
引っ越しが無事に終わりました。
すっと流れるように淡路島での暮らしが始まりました。

大きな窓からいつでも海が見えます。
晴れてる日は光が注ぎ込み、雨の日は雨が海に還っていくのがよく見えます。

淡路島は思っていたよりも「島」です。
そして思いだしました。私は島が大好きだったことを。八重山トリップしたことを。
ハワイに長期滞在したことを。

なんでだろ、すっかり忘れてた。
たまらん居心地のよさがあります。本当に、本当に引っ越してよかった。

これからここでもいろんな困難はあるだろうけれど、引き受ける覚悟は決まりました。

すとんと落ち着いた生活。
なるようになることってあるんだなー。と不思議な気持ちでいっぱい。

そして毎日の暮らしの中で気づきがいっぱい。なんだか旅をしているみたい。
すこしづつそれらの気づきを書き記し、穏やかな島の暮らしをシェアできることを願っています。

橋がかかったのなんてほんの20年ほど前の話。
それより前に培われた暮らしがここにはいきいきと今もしっかり根付いています。
「なんやろこの感じ?なんやこの思いだせそうで思いだせない夕方の雰囲気?」「なんやったけ?」
暮らし始めて3日目に「あっ!!これは八重山や。ハワイや。」と気づいた時の喜びといったらもう。

夢だった「島」暮らし。
まさかこんな形で無意識に始まるとは・・・(淡路島を島と思ってなかった)

人生何が起こるかわからないものです。
ここにたどり着くための今までだった、のかも知れません。
それぐらいしっくりときてます。

哀しみも、さびしさも、やりきれなさも、後悔も、山ほど抱えたままだけど
それでも私はここで生きていきます。

そうかここは「島」だったか・・・
なら小さく手を振ろう。「バイバイ」「またね」

私はこっち側にきちゃった。そんな感じです。