旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

待つ

2017年09月20日 20時31分10秒 | 日々のこと
朝起きて、星の弁当をつくりながら子どもたちの朝食を次々だしていく。朝起きた時ぐらい好きなものを食べたい
だろうから「納豆ごはん」「ふりかけごはん」「ぱん」「マカロニきなこ」この中から選んでもらっている。
週末はダンナ氏がホットケーキを焼いてくれることが多い。(自分が食べたいからだと思う)
あとはとにかく野菜。そして果物。
それと並行しながら洗濯をまわし、家の中を整え、掃除機をかけて・・・だいたいここまで起きてから1時間半。

星を幼稚園に連れていき、つばさの散歩に付き合う。これで2時間。

帰宅してつばさと一緒にうたたね。これで2時間。(うたたねというには長いか!?)

時間差で帰ってくる星と福を迎えて(今月はファミサポさんにお迎えをお願いしている)おやつと宿題。
つばさがしっかり歩けるようにならないと産後の外出が厳しいので、夕方も散歩。これで2時間。

帰ってから夕食、洗い物、お風呂、ごろごろ絵本、これで2時間半。

こんな時間の使い方をしている「今」を20年後の私はどんな風に思い出すんだろう?
嫌ではない、楽しいわけでもない、なんていうかものすごく“無”だ。一日の感想がない。

臨月妊婦。結構暗いです。
産まれたら真っ赤な自転車を買って、前と後ろと身体にひとりひっつけて、空と緑と水があるところに行くのが
今の一番の希望。

待つ。
今の時代を生きる私たちが一番苦手なことなのかもなーと思う。
そして四人目だからといって、お産を知っているわけではない。ベテランでもない。怖いものは怖い。
痛いものは痛い。余裕だよねー、ってそんなわけない。

母ちゃん、気が立ってるんだわ。


9月の空

2017年09月10日 22時21分33秒 | 日々のこと
今の家からは残念ながら抜けた空を見ることができない。
眺望がないわけではないが、前の「眺め部屋」から比べると・・・ない。
5階までの階段をえっちらおっちら上がっていくのは確かにしんどかったが
その分得ることのできた開放感は今思えばプライスレスだった。

昨日は川の河口でエビカニ採り。臨月になってまでエビ探さんでもええと思うんやけど
自分一人の都合で一日を過ごせるわけではないので仕方がない。網を杖のようにして
ヨタヨタ歩いていく。

そこは思いがけず空が広くて、久しぶりに腹の底まで深呼吸ができた。
川は流れていて、その“留まらない”感じがなんかよかった。すぐそこはもう海で気持ちよかった。

なんやかんやいうて、私はまだ今の家に慣れていないんだな。安心して生活できてないんだな。
いつもどこかで緊張している。いつもビクビクしている。というのがよく分かってしまって
少し(いや大分)落ち込んだ。そこに赤子を連れて帰ろうとしていることが不安で仕方ない。
家は箱ではなくて、やっぱりそこに関わる人で決まるんだなと思う今日この頃。


それはキミが決めること

2017年09月08日 11時41分30秒 | 日々のこと
37週。
検診の時に助産師さんが「上のお子さんがいたらいつ産まれるか本当にヤキモキするでしょ。運動会とか大丈夫?」と心配して声をかけて下さった。“計画分娩”という方法があることも。それは予定日の少し前に先生と相談して産まれる日を決めてしまい、それにあわせて先生が卵膜を軽く破り(ってめっちゃ痛そうやん・・・軽く言わないでよ。ビビるから。)お産の始まりを早めるというもの。無痛分娩や促進剤を使うわけではないけれど、まあようは周りの都合に合わせてお産できますよ、という話。

確かに9月10月は学校行事、幼稚園行事で大忙しだ。つばさの預け先のこともあるし、お産がいつ始まるかあらかじめ分かっていれば今の不安の8割は解消されるような気もする。「ちょっと考えさせてください」と言って病院をあとにしたものの、ある意味この魅力的な提案をどうしたものか・・・

いろんなシュミレーションを繰り返す。それはもうありとあるゆる場合を想定して。頭をフル回転させて。
でも、わかった。わかったことはたったひとつ。

「産まれるタイミングぐらい自分で決めたらいい。私はただ覚悟を決めるだけ」

子どもたち3人を見ていて本当に思うことは「こんなに幼いのに、あっという間にいろんなシステムや社会制度に組み込まれていって、自分で選択できることなんてわずかなんだな」ということ。そして「親の価値観によい意味でも悪い意味でも影響をうけまくるのが子どもなんだな」ということ。その子のオリジナリティーを大事にしましょう、なんて言ってるけど、完全なオリジナリティーなんてそもそも人間にあるのかな、と思う。

だったらなおのこと。産まれる時ぐらい完全に赤子の意思に任せてやりたいな、という結論に達した。私はただ待てばいい。それがどれだけ難しことか。どれだけ心細いことか。「自然なお産がしたい」というそういうお花畑のフワフワした甘い夢を語っているわけではない。お産が子育ての最初の第一歩であるのなら、やっぱりその一歩は私が手を引くのではなく、「おいでおいで」とゴール地点を決めるのでもなく、静かにその一歩を歩みだす姿を後ろからみたい。

もういいよ。かあちゃん待つよ。
運動会の日の朝でもいい。夜中でも嵐でも構わない。一人で子ども3人みている時間でもいい。朝でも昼でも夜でも何でもいい。大丈夫よ。何の根拠も自信もないけれど、自分で決めて出ておいで。待ってるよ。