旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

7月21日(日)選挙だよ。

2019年07月13日 22時39分37秒 | 日々のこと
新聞のテレビ欄をみても選挙の文字が全然見当たらない。
あれ?選挙だよ。選挙。
大事なことを決める人たちを選ぶ日だよ。

ワイドショー大騒ぎしてもいいんじゃないの??
ネタ満載やん。
政治家の不倫の話は大好物なのに、その政治家を選ぶ選挙にはなぜ触れない??

私なんか、NHKを批判しまくっている謎の人のことが気になって調べまくって
睡眠時間減ってしまったよ・・・(ああ、不毛)
結局とてつもなく怪しいことだけが分かったのが収穫。トホホ。

山本太郎ががんばっているから応援しているけれど、三宅洋平のようにすぅーと
フェードアウトしていかれたら(今は別のことに力を注いでおられるけれど)
自分がいかに流されやすい人間なのか再びショックを受けてしまいそうだし、
自分の判断能力に全く自信が持てない・・・だけど選ばないと。うんうん唸って
考えないと。

とにかく、あなたにも私にも一票を投じる権利があるということ。
その素晴らしさと尊さを、どうか「投票」という行為を通じて次の世代に
つなげていって欲しいと願うことはどこか間違っているのかな。

こんな当たり前のことが「間違っている??」と不安になるほど選挙の存在が
かすんでいるように感じるのは私だけ?

世間の空気をつくるのが私たち一人ひとりの生き方や暮らし方なのだとしたら
私は「選挙に行く」と大きな声で宣言して、大股歩きで胸を張って、投票所に行きたい。
そして晴れ晴れとした気持ちで投票できた喜びをできればみんなでシェアしたい。
この道を切り拓いてきた人たちに心から感謝したい。選挙が執り行われることのできる平和に
感謝したい。それって最高に素敵なこと。絵にかいたような幸福な休日やと思うのだけど
これって合ってる??よな。

と自信を失いそうになるのがたまらなく不安。「おいっ!しっかしろ私!」と自分で自分の
背中をたたきたくなる。

7月21日(日)選挙です。できるだけ多くの人が「これが最善だ」と選んだ社会に私は住みたいです。

どっちも切ない

2019年07月10日 21時39分14秒 | 日々のこと
パン焼き機をセットしようとすると「パン!パン!パーン!」と言いながら必ず飛んでくるつばさと青。
ピッと押すのが何よりの楽しみ。福と星はしらーん顔して漫画か本を読んでいる。

あれ?ついこの間まで福と星が飛んできてどっちがスイッチを押すかで毎回ケンカしていたのに。
そんな時期はいつの間にか過ぎていったんだ・・・そして過ぎていったことに私は気づきもしなかったんだ。

子どもの成長は本当にあっという間。

保育園から届いた卒園式のDVDを観て、星が布団の中で号泣していた。それはもうびっくりするぐらいの
号泣だった。クラスメイト全員同じ小学校に進級して毎日顔を合わせているのに・・・だ。
「懐かしい、会いたい」といって泣いている。「明日も会えるやん」と言葉をかけても「違う」といって
泣き続けている。

そうだね、違うよね。あの時のみんなに会いたいんだよね。わかるよ星。すごくわかるよ。

義父の手術が急に決まった。まだ何もわからない状態だけど、自分でもびっくりするぐらいうろたえてしまった。

もう誰にも死んでほしくない。いた人がいなくなることの喪失感をもう味わいたくない。もういやだ。
そんなことは叶わない、ただの甘えた泣き言だと分かっているけれど、いやなものはいやなのだ。
大人になったっていやなのだ。一度経験したら慣れるのかと思っていたら全然違った。前よりももっと怖い。
もっともっと怖い。

子どもが大きくなることも切ない。
歳を重ねた人間が順番にいなくなることも切ない。
決して止まらない“時間”は残酷で、だけど時にそれに救われる。

流れている自分を俯瞰できない時、茫然とその場に立ちすくんでしまう。
進むことも戻ることも許されない厳しさに、行き場を失ってしまった気持ちはどこまでも宙ぶらりんのまま。

それでもその気持ちをまるごと抱えて、今日も眠ろう。明日も起きよう。それしかできない。がんばろう。








本質をつくひとこと

2019年07月09日 09時26分26秒 | 日々のこと
つばさ3歳。会話が成り立つようになり一日中しゃべっている。
保育園から帰る車の中でも今日一日の出来事をずっと話している。

つばさ→「きょう、ばった、おってん。つばさ、つかまえてんで!」
わたし→「ほんまー。すごいなー。ばった、なにしてた?」(テキトーな受け答えですいません)
つばさ→「いきてた」

笑ったら失礼なんだけど、あんまりにも本質をついていてガツンと響いた。

「足、何本やった?」
「ばったさんは、なにを食べるのかなあ?」

そんな風に会話を広げていくのが子どもの経験を頭に落とし込むのに必要なことなのかも
知れないけれど、「ばった、いきてた」と答える子どもにこれ以上何を言うことが
あろうか。

「そっか、ばった、いきとったんか」

「そうやで」

満足そうに足をブラブラさせながら海をみているつばさの表情を私はずっと
覚えているだろうなーと思った。

海に行こう!17時から行こう!

2019年07月07日 23時13分14秒 | 淡路島のこと
晴天の休日。ああ幸せ。
布団を干して、洗濯干して、野菜をどんどん切って、きのこも干して、ごぼうも干して、
靴も洗って、とにかくこの太陽の恵みを一瞬でも無駄にしたくない!!

晴れ仕事が一段落したら図書館へ。
子どもたちが一週間分の本をせっせと選んでくる。全部で40冊。ありがたや。
これで午後からは少し静かになるぞ。

海に行くのは夕方から。
それまでにせっせとちらし寿司とおすましを作っておく。よしっ、後は食べるだけ。
これで私もこころおきなく遊べる。食事の支度さえしておけばこわいものはない。

17時近くになってから海にでかける。車でブーンと二分くらい。でかけるというか
坂をおりていくだけ。もちろん全員水着。福はシュノーケルも装着済み。
車の屋根にはカヤック。身軽だけどある意味フル装備。

19時近くまで海で遊んで帰ってきた。カヤックフィッシングに挑戦中のダンナ氏いわく
「魚はいなかった・・・」そのすぐ横で福が「とったー!!!」と生きている魚を素手で
つかまえていた。もう笑うしかない。魚みたいに潜って跳ねて星といつまでもじゃれあっている。
つばさと青もそれぞれの手仕事!?に没頭している。

水色にピンクが混じって、だんだん青が深くなってきて、夕方のおしまい。
まるで島を旅行している時のような時間の使い方。ここがどこなのか、このメンバーがなんなのか
一瞬わからなくなる。たった一人でこの時間と空間と向き合っている気がする。いっぱいいるのに
心のどこかはいつも一人。それが淋しいのではなく、嬉しいのでもなく、ただ淡々とここにいることの
心地よさだけで心が満たされる。

家に帰って、風呂に全員ほりこんでいる間に片づけと食事スタンバイ。
寿司桶いっぱいのちらし寿司があっという間にからっぽ。ドタドタドタと全員が下に降りて
「おやす・・・」み。も言わずに寝てしまった。

私はまた一人。

なんか毎日がドリフのコントみたいで、「静」と「動」の差が激しすぎる。
17時から海に行って、こんなに楽しめる日常を手に入れたことが、まだ嘘みたいに思える。
休日のこの時間を夏の最優先にしよう。車が砂だらけになるとか、洗濯物が増えるとか、
準備がめんどくさいとか、翌日がしんどいとか、子どもたちのあの遊び方を見ていたらなんにも
言えなくなる。明日が雨でもいいやん。今日を楽しもう。それが今の暮らしを切り抜ける唯一の方法。

さあ、私も寝よう。コジマ家勝手に海開き記念日、無事終了。