旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

鳥取砂丘

2020年06月30日 21時59分53秒 | 日々のこと
行ったのは5月下旬。まだ休校中だった時。
朝6時に家を出発して、9時前には砂丘入り口に到着。
ほとんど誰もいない・・・そりゃそうだ。

何かひとつくらい「初めて」の経験をさせてあげたかった。
超ド級で印象に残るものならなおよろし。

行き先は迷わず鳥取砂丘に決定。
誰もいないだろうし、閉鎖されているわけでもないし、とにかく密になりようがない。

駆け出す子どもたち。追いつかない私。海までたどり着けなかった自分の体力の
衰えに年齢を感じたけれど、まあもういいや。

「これを見せたい」「ここに連れていきたい」「この本読んでみて」「この音楽聞いてみて」

押し付けになるのは分かっているけれど、自分が感動したものや影響を受けたものを
かたっぱしから紹介したいという気持ちが抑えられない。そして感想を聞いてみたくて
仕方ない。聞いたらあかんのも分かっているけれど、好きな人が自分の好きなものを
どう受け止めるのかに興味があるのは当然だし、なかなか悩ましい。

私と同じような感想をもつことがあれば「ほほう」と思うし、全く違う見方をすることもあって
それはそれで「ほほう」と思う。どんな価値観をもった大人になるのか、想像もつかないけれど
やさしい考え方のできる人になってほしいな、とこの殺伐とした世の中で願わずにいられない。
まずは私がやさしくならないとな、まるくならないとな。・・・だな。

今ならわかる

2020年06月29日 23時07分36秒 | 日々のこと
ひょんなことから畑と庭を所有する生活を始めて3年。
前に住んでいたご夫婦が大切にされていた木も全部残しているので
畑と庭をぐるりとひとまわりすると、自然といろんなことを考えるようになった。

昔、父と母が大喧嘩をしたあげく、母が怒り狂って私が学校に行っている間に出て行ったことがあった。
(そんなことを言っても、覚えていないと言い張るに違いないし、私の勘違いなのかも知れないけれど
あの時、まだ小さかった私がそう認識した事実は変えられないことなので、真相は今更どっちでも構わない)
私は学校に行っている間、不安で不安で仕方なく、帰る時には友達がわざわざ家までついてきてくれた。
母が帰っていたのか、夜になって帰ってきたのかは覚えてない。覚えているのは二人が怒鳴り合っていたことと
母がヒステリックに「いかに父親がダメなのか」を私に向かってしゃべり続けている姿だけだ。

その大喧嘩の理由は、母が庭に木を植えたら、父が勝手に引っこ抜いた。という子どもにとっては全く
意味不明の理由だった。父の言い分は「木は根っこを張る。こんな狭いところに木を植えたら根っこを張れない。
もう二度と木を植えるな」というものだった。母は植物の世話に関しては本当にセンスのある人で、
いつもきれいな花を庭中に咲かせていたし、楽しそうに手入れをしている姿は幸せそうだった。私も一緒に
よく苗屋さんに連れて行ってもらっていた。(そのわりに私に栽培のセンスが一切、そう一切!ないのはなぜだー)

その時は母からの一方的な話しか聞いていなかったので父が悪いと私は思い込んでいた。思い込むだけでなく
憎んですらいたと思う。大好きなお母さんを苦しめる悪いお父さん、と子どもが思うのは仕方ない。
でも今なら父が植えたばかりの木を引っこ抜いた理由がわかる気がする。
夫婦のことは夫婦にしかわからないのだろうけど、子どもの前でお互いをののしりあうのだけは
やめて欲しかった。説明してくれたら子どもの私にも分かったのに、あの時私と対等に話してくれる人は
どこにもいなかった。
夫婦の溝にすっぽり落ちてしまうのは当人だけじゃない。子どもも突き落とされる。
大人は這い上がり方を知っているのかも知れないけれど、子どもはまだそれを知らない。落とされても
落とした親が拾い上げてくれるのを待つしかない。

父が大好きで夏に咲き誇っていたノウゼンカズラが、今の家のシンボルツリーになっているのは
なにかの因縁なのか・・・咲いても咲いてもまだ咲くこの花の勢いに目眩がする。


海があるだけで

2020年06月26日 11時25分41秒 | 淡路島のこと
生活のすぐそばに海があるってこんなにいいものなんだ。

例えば習い事のピックアップで45分待ち時間があった時、
都会ならカフェに入ったり、本屋に立ち寄ったり、買い物を済ませたり、
「用事」をこなすためにその時間を使うことがほとんどだと思う。

でもそれって、赤ちゃんや小さな子どもがいるとできないことばかり。
ローソンでコーヒー一杯飲むことも叶わないのが、乳児連れのお母さんなのだ。
赤ちゃんはお母さんが休憩しようとすると、ほぼ100%それを察して泣き出すという
謎のおきてがあるしね・・・(涙)

たった45分でもこうやって海に行けば子どもは子どもの時間を過ごしている。
私は私の時間を過ごすことができる。
「用事」を済ますことはできないけれど、とても満たされた時間。

しかも、タダ。

駐車場を探したり、車を止めるためにお金を払ったり、もうそういうところからかなり
遠いところにたどり着いた淡路島暮らし3回目の梅雨。

兄弟ゲンカの顛末

2020年06月25日 22時33分38秒 | 日々のこと
青之介(2歳半)が福之介(9歳)の大事にしていた工作をぶっ壊した。
福は泣きながら「もう・・・青・・・」と絶句して、ぐしゃぐしゃの工作を抱えて違う部屋に
消えていった。
星(7歳)は「やっべー」という顔で自分はどの立ち位置にいけばよいのか試案していた。
つばさ(4歳)は「かーちゃん。大変大変!!青が!青が!」と私を呼びに来てくれた。

福が長い時間をかけて大事に作っていたのは私も知っていた。(それが何なのかはイマイチ
よくわからんのだけど)
青がそれを本当は触りたいけれど我慢しているのも知っていた。
福がいろんな気持ちを必死にこらえて、なんとかクールダウンしようとしているのが分かった。
青も「なんかよくわからんけど、どうやら自分はものすごくドエライことをしでかしてしまったようだ。
どないしよう・・・」とモジモジしているのも分かった。

星が青を諭すように「一緒にごめんねって言うたるから、福のところにいこう」と説得してくれる。
つばさは「青、だめでしょ。コラッ」と怒っている。

さて、どうするか。
このまま子どもたちに解決を任せても、それはそれでうまいこといきそうな雰囲気だった。
でもそれだと、福が我慢して終わりになってしまう。福はまたひとつあきらめてしまう。

年齢や性別や体格や環境、自分で選べないもののことで子どもを叱ることだけは
したくないといつも意識している。四人に対して平等に接することは私が子育ての中で特に
大事にしたいと思っていることだ。子どもたちに「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と呼ばせないこともそう。
「お兄ちゃんだからお姉ちゃんだから我慢しなさい」と言ったことは多分一度もない(はず)
「年齢が大きいからじゃなくて、心が大きいから譲ってあげることはできないかな?」と説得を試みる
ことはあるけれど。

青を福のところに連れていき「福かなしくて泣いてるよ。青の大好きな福が、泣いてるよ。見てごらん」と
言うと、それだけで大体のことは理解できたようだった。そして福に「今、青を叱るのは母ちゃんじゃなくて
福だよ。我慢しなくていい。福の思うようにしなさい」と言った。たたくかな?怒鳴るかな?物を投げつけるかな?
興味津々で見守っていると福はこう言った。「コラッ、青。今度おんなじことしたら青の顔にマジックでヒゲ書く
からな!!猫のヒゲ書くからな!にゃーーやで。わかった?青、分かった?」と精一杯怖い顔で、でも全然怒っていない
目で青のことを叱っていた。

青は福が本当は怒っていないことにすぐ気づいたようで「ふく、わかった。ごめんね」と言ってもう笑っていた。
星はホッとしていた。つばさはウロウロしていた。

見届けた私は「負けた・・・9歳男子に完全に負けた・・・」と嬉しいような、情けないような、複雑な心境だった。
私はこんな風に余裕をもって子どもたちに接することができているだろうか?一歩ひいて譲ることができて
いるだろうか?子どもたちにとっては圧倒的な力と権力を振り回して怒鳴ったり、命令したり、自分の都合よく
コントロールしようとしていないだろうか?

穴を掘るしかないと、思わされた夕方だった。

福8月で10歳。学校が再開してから違うステージに入ったんだな、と思うことが多い。
思春期の入り口の扉がもう見えている。一人で入っていくんだな。同じ景色を見ることはもうできないんだな。

7月から私自身新しい挑戦も始まり、いろんなことが動く夏になる予感。


ウミウシ探し

2020年06月15日 21時03分47秒 | 淡路島のこと
月曜日。今日からまたピックアップマシーン稼働。
待っている間、不毛な時間の隙間を埋めるのもだいぶん上手になってきた。
最近はつばさと青と海のすぐそばの公園で過ごすことが多い。
コンクリの階段を降りるとすぐ海なので、そこでウミウシを探すといるわいるわ。
20センチを超える大きなウミウシ。ひっくり返すと紫の汁をだすウミウシを相手に
ギャーギャー言ってたら1時間なんてあっという間。

ウミウシって・・・なんであんな色と形なんやろうか。

考え出すと、おっと危ない。また幽体離脱しそうになる。

淡路島はびわの季節を迎えています。またこのことに関してはたくさん書きたいです。
寝落ちはしなかったけど、頭も体も使い物にならないのでもう寝ます。