旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

ゆく年くる年、とる歳

2015年12月27日 22時30分28秒 | 日々のこと
明日から長野へ。

今年も暮れてゆきます。
明日で37歳になります。

今年みた一番美しいものは辺野古の海と、そこで生きる人たちでした。

私はどう生きていけばいいのか。
模索しながら、それでも前へ!前へ!

みなさん、それぞれの場所でどうかよいお年をお迎えください。
今年も一年ありがとうございました。
会った人も、会えなかった人も、会わなかった人も、ありがとう。

2015年12月27日
小島 梢

サンタ問題

2015年12月22日 23時08分48秒 | 日々のこと
ふくのすけが保育園から帰ってくるなり、机の上に「あいうえおひょう」を
バーンと広げて、真剣な表情でサンタに手紙を書き始めた。
何も言わず、触れず、夕食の支度をする私。

暗号のように見えるが、どうやらふくは「らじこん」が欲しいらしい。

書き終わるとベランダの窓にへばりついて「サンタさんから見えるかな?」と
長い間手紙を持って空を見上げていた。

我が家は基本的に“ノー行事”である。
誕生日に好きなケーキを好き勝手作って、食べるくらいである。
誕生日に父が旅にでてたり、母が飲みに行ったりしてるくらい無頓着。

それに私たちはこの商業主義に踊らされまくっている日本のクリスマスが好きでない。
はっきりいって嫌いなのである。
サンタさんに罪はないが、クリスマス=サンタクロース=おもちゃ というのが
納得いかない。

ちびたちには「サンタさんはまずお腹がすいている子どものところにあたたかい
食べ物をもっていくよ。だからふくとあかりの家にくるのはうんと後だと思うよ。
だってふくとあかりはお腹すいてる?」「すいてなーい」「ほな、こないわ」
これでなんとか納得していたのも去年まで。今年はついに父ちゃん母ちゃんをあてに
するのではなく自分で何とかしようと手紙を書いてしまった。(これはこれでびっくりした)

悩むなあ・・・

そういうファンタジーは子どもにとって必要なものだし、むしろ経験させてあげたいことだから。
いつのまにクリスマスはこんなことになってしまったんだろう。

だからといって親の期待を込めた絵本とか、ためになる(何の?)おもちゃを贈るのも
まったく本末転倒だと思うし。こどもはそんなんいらんやろう。欲しいものが欲しいんだから。
今年の一番人気は“知育玩具”らしく、それってただの親のエゴやろとますます嫌気がさす。

ベランダに置いてあるこの手紙をみるたび、いろんな思いが複雑に交錯する。
ダンナ氏とも話したけれど、「よそはよそ、うちはうち、でいいんじゃないか」と。

うちにサンタが来ない理由。
それをしっかりと伝えることができるように、ブレずに生きていきたい。私が。私たちが。

ちびたちはそんな難しい話よりも、目先のおもちゃが欲しいだろうけれど・・

もうしばらくは、ふみとどまろうと思う。



デジタルとアナログの間で

2015年12月16日 22時20分24秒 | 日々のこと
12月だ。師走突入。

私は元気です。お腹の赤ちゃんも元気に腹を蹴り上げたり、ぐるぐる回転したりしています。
どうやら、女の子らしい。(意外)

スマホを持たず、ツイッターもフェイスブックもしていない私はこれから先
どうやって社会との接点を保てばいいのかなーと考える日々。

仕事や子育てに影響がでることは明らか。子どもたちが「ゲームしたい。テレビみたい」と
言うようになる日もすぐそこ。連絡網とか今はラインだっていうし。はあ・・・

毎朝通勤電車の中で新聞を読むのが日課なのだけれど、ふと気づくとだあれも新聞なんて
読んでなくて、「あれ?場違い?」と少々恥ずかしくなることもたびたび。
「恥ずかしい」と思う時点でなんかもうこの世界からのけものにされているような気になる。

ブログもそう。
誰からの書いたものを読んで「そうやな」と共感したり、新しい視野が広がったような
気がしたり、まるで自分がそれを考えたような気になることが多くて、一見自分の知識や
思考の引き出しが増えたような気がするけれど、実は全くそんなことはないわけで。

結局自分の言葉なんてどこにもないんじゃないか、と思うとブログを更新することも
なくなっていた。独り言なら日記でもつければいいし、誰かと思いを共有したとして、それが
一体何になるんだ?と。

デジタルとアナログで言うと私は完全にアナログなわけで、いよいよ肩身が狭い。

今はやりの“ミニマリスト”なる存在を知りたくて本を読んでみたけれど、全員デジタル機器を
フル活用していた。それって本当にミニマムなん? ミニマムって何が?モノのことか。
ホテルの一室のようなシンプルな暮らしは私も憧れだけれど、あの人たちってスマホやコンビニが
なくても生きていけるのかなあ?土台があやうい気がして仕方がない。

ハロウィンでバカ騒ぎしている日本の空気にも心底嫌気がさした。
死体や武器を持った格好で「お祭り」にかこつけてうろうろできるこの国は本当に平和なのだろう。
それを笑って眺められる余裕がまだこの国にはあるのだろう。
私にはないわ。
シリアやイラクの光景が、泣きそうな顔で逃げ惑う難民の顔が思い浮かんで、この不条理に怒りが
こみあげてくる。

会いたい人には、手間をかけても会いたい。

メールや一斉拡散の方法で、つながることは可能だけれど、やっぱり私はそれだと寂しい。

先日辺野古でお会いした方に会うため、京都までいってきた。一緒に過ごしたのはたった一日だった
というのに、駅の改札で再開した時、その方は私のことを何のためらいもなくギュッと抱きしめて
「お久しぶりね」と言って手を差し出してくれた。
その全てがあまりにも自然で、そして心地よくて、沖縄の風が人混みの改札の中で、私たちの周りに
だけ吹いた。旅をすることや、人と会うことをあきらめてはいけない、絶対に。と思った。

デジタルの世界にも風は吹くのかな。
まだそちらに踏み出す勇気が持てず、ぐずぐず小さくなっているこの頃の日々つづり。