旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

子どもでいることの不自由さ

2018年03月22日 23時29分10秒 | 日々のこと
自然の中に解き放ったらすっかりアホ?やんちゃ?調子乗り?怖いもの知らず?に
なったふくのすけ。私を超えていこうと反抗期まっただなかである。
片付けもしなくなったし、とにかく全てが雑になった。口のききかたもひどいもんだ。
あんまり干渉しないように気を付けているつもりだが、それでもつい口を出してしまうことも多数。

サッカーボールも給食のナフキンもポケットに入れるタオルもお道具箱のこまごまとした道具も
いろんなものを次々紛失した挙句、近所の人にお菓子をねだっていることが発覚。
近所の子どもたちもまとめて全員集合。私が鬼の形相で「サッカーボールをみつけるまで帰ってくるな」と
言い渡すと、今度は山の斜面の反対側から声が聞こえる。どうやってそっちに行ったのか・・・
ああ、落ち着かん。

今日は「かあちゃんいいこと考えた」と言って、星と二人せっせと何かを作っている。絶対こっちに
来るなと言うので放置。夕方ふと玄関の外にでると【つくし売ります!おいしいよ。】と看板が(笑)
ちゃんと佃煮の作り方まで図解説明してあってなかなかいい感じ。
帰宅した二人に「売れたかい?」と尋ねると、「一個も売れへんかった」とケロッとしている。
つくしはしなびてぐったり(笑)おひたしみたいになっている。

【つくし売ります!おいしいよ。無料!!】これじゃ売れないよ。ふくのすけよ。
まだまだちょろいなーとほくそ笑んだ母ちゃんなのでした。

理不尽に怒られたり、指図されたり、兄弟の世話を押し付けられたり、ふくにとっては嫌なことも
たくさんあるだろう。思い通りにいかないことがほとんどだろうし、言葉の語彙数が足りないことや
知識がほんの少し足りないことで分からないイライラもたくさんあるだろう。子どもってそんなもんだ。
決して楽にのほほんと生きているわけではない。いつでも必死に物事を吸収しようとしているし
得た知識を落とし込むのにどれだけ脳みそを働かせていることか。

毎晩布団に倒れこみ、赤ちゃんの時と同じ顔で眠っているのを見ると「あんなことやこんなことを言って
しまったけど、この子はまだ子どもなんだ。私が言い方を工夫するべきだった」と反省することしきりだが
ついカチンときて言ってしまうんだなあ。

靴はいつでも泥だらけ、そして3か月持たずに破れてる。服装をとやかく言うのはもうあきらめた。
二人ともお客さんが来るたびに張り切って半袖になるのは本当にやめてほしい。星は私がみていないところで
尻まで出しているらしい・・・はあ。

見ないふりをするのって難しい。つい自分の所有物みたいに扱ってしまう。
でも、本当に「見ない」でいると、死んでしまうのが子ども。世話をしないとあっという間に死んでしまう
存在なのに、なんであんなに屈託なく私のことを信じているんだろう?と不思議に思う。

「かあちゃん、かあちゃん」この声をどうかいつまでも覚えていられますように。


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