旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

春が来た

2018年03月15日 16時55分51秒 | 淡路島のこと
毎日田んぼや畑のあぜ道を通って星を保育園に送り迎えしている。
一人で歩いたら多分10分くらいのはずなのに毎日1時間近くかかる。

広い空と、穏やかな海に挟まれて、春の訪れが毎日感じられる。

明け方太陽がのぼる頃、神様がおっきな刷毛を使ってこの世界に春を
ひと塗りづつ重ねていっているみたい。

ぽっぽと花が咲いていく。ぐんぐんつくしが伸びていく。
畑が緑になっていく。人間も嬉々として畑仕事を開始する。

のぼりきった坂道からその全てを俯瞰すると「ああ、この世界は美しい」と
やっぱり思わずにはいられない。

車・・・もうちょっとあとでもいいかも。

(いやいや、現実的には無理無理。陸の孤島。)

とか言ってたら、足を捻挫した・・ガーン。
とりあえず今日のお迎えは近所の方に頼んだけど・・・・明日からどうしようか。
オーノー。やってもた。

むやみにPCを開いてしまうのだが・・・

2018年03月13日 22時06分11秒 | 社会と政治のこと
森友問題である。麻生である。安倍である。
PC開いたら「内閣総辞職」ってなってて、ヒョエー!!って言うのを
昨日からずっと期待しているのだが、何度開いてもそうならない。

なんでや?

これ企業ならとっくにぶっつぶれているやろ。

もうここまで明らかになったら、誰かひとりくらい腹くくらんもんかいな。
「全部、言うたる」という肝の据わった人間は現れないもんやろうか。

「誰がやっても政治なんて変わらないし、同じ」って言うのなら
安倍以外の人間にやって欲しい。

あまりにも庶民をバカにしすぎている。沖縄をなんやと思ってるんや。
籠池のおっさんに賛同できる部分はひとつもないが、この寒い冬にまだ裁判もされて
いないのに冷暖房もない留置所に何か月も拘留するだなんて見せしめとしか
考えられない。(沖縄のひろじさんも同じやった)

祝杯は冷蔵庫の中でスタンバイ済み。
こんなん書いたら、いつか私も捕まるんやろうか。言論の自由もなくなるんやろうか。
なくさなくても、自分で自分を規制するようになるんやろうか。炎上するのか??

まーさーかー、なんて笑っていた時代はもうとっくに過ぎたのかも。
ややビクビクしながら投稿。

ただ(無料)ってことは・・・

2018年03月12日 12時01分00秒 | 淡路島のこと
ただ(無料)って「もらうこと」だと思ってた。

淡路島で暮らし始めてから、ただでモノをいただく、何かしてもらうことが増えた。
そのたびに本当にありがたい気持ちでいっぱいなのだけれど、ただっていうのは
「もらうこと」ではなく「差し出すこと」「ひきうけること」なんだと考えるようになった。

そう考えるようになると、簡単に頭をさげるばかりではいかんなーと思うようになった。
私は代わりになにを「ひきうける」ことができるのだろう。

地に足のついた生き方をしている人たちが周りにたくさんいる。
古新聞の結び方すら「ほほう」と二度見してしまう。あんなにヨボヨボ(失礼)やのに
どうしてこんな頑丈で美しい結び方ができるんだろう。とほれぼれしてしまう。

「今晩は風が吹くよ」と言われて、家の周りの落ち葉を掃き集める。畑の野菜を早めに収穫しておく。
散らばっているいろんな道具を物置に片づける。それだけで半日過ぎる。
溝に網がきっちりかかっていること、畑の道具が物置にきっちりのサイズで収納できるように
作られていること、「ここにほうきがあればなー」という場所にスッとほうきが置いてあること、
塵取りが板で補強されていること、100均の便利グッズはどこにもないけれど、ひもとネジとくぎで
あらゆるものが工夫されていること、「暮らしの手帖」の世界を垣間見ているようで感動する。

“ただ”って卑しいものではなくて、人は本来あげたいものだし、もらいたいもんなんだよな、と
シンプルに思う。ここでは「あげる」と遠慮せずに言うことができる。そして「ちょうだい」と
言うこともできる。その裏の思いを勘ぐったり、計算したりすることなく、それができることが
どれだけ心を豊かにしてくれることか。

うーん。非常に奥深い。
老人の顔が都会とは全然違う。人生で積み重ねたものが顔に出るのだとしたらやっぱり日常のこの
“ただ”の交換はとても大きい役割を担っているように思える。

私はここで歳をとりたい。「差し出す」ものをみつけたい。

やれやれ

2018年03月08日 16時46分22秒 | 日々のこと
雨。雨の日は休憩。

洗濯物が乾かないのに、なんでダンナ氏はそんなこともお構いなく
なんでもかんでも放り込むんだろう。ぶあっついズボン、それ今日絶対に
洗わなあかんのか?3日くらい乾かんよ。もうっ。

子どものポケットからでてきたもの。

ふく→お菓子の包み紙。(どうやら近所の人にもらっている様子。たかっているのか?)
あかり→石ころたくさん
つばさ→木の根っこ
あお→ぐーの手の中に“夢と希望”という名のほこり。

ぼーっとしてたらもう夕方。

雨がよく見える。風がよく見える。
天気読み。スマホではなく空をみて。




そこからうまれるものは何もない

2018年03月06日 17時31分22秒 | 日々のこと
こちらに来る直前、引っ越しに伴ってトラックの出入りがあったり、何点か引継ぎをしなければいけない
こともあり隣近所に挨拶に伺った。

言いたいことがたくさんあった。
言い捨てたいセリフも自分の中で山ほどあった。
「これ言ったらスッキリするだろうな」「これ言ったらギャフンと言わせられるな」
何度この日を夢見たことか。このシチュエーションを妄想したことか。

でも結局何も言わずにお礼だけ言って去ってきた。悔しかった。敗北感はなかったけれど
少しは相手に知らしめてやりたい気持ちがあったことは否めない。
どす黒い言葉、曲がった口、軽蔑の目。本当は私の中に全部あった。

こっちにきて、こんなにも穏やかな毎日が日常となり、生活が落ち着いてくると
心から思う。「ああ、あの言葉を飲み込んでよかった」「言わなくてよかった」と。
もし仕返ししていたら、結局それは自分で自分を貶めることになっていただろうな、とはっきり思う。
この景色を見たときに、心から恥ずかしくなっていただろうなと思う。今は小さく自分で
自分のことを褒めてやることができる。「よくがんばったね」「もう終わったよ」と。

仕返しをしていたらその場ではスッキリしただろう。相手を追い詰める方法なんていくらでも
知ってるし。売られたケンカに負けない自信はあるし。(言葉で)

でも本当に言わなくてよかった。
そこからうまれるものは何もない、憎しみの連鎖を断ち切ったことを誇りに思う。

ベビーカーを押しながら、子どもの手を引いて、心の中で「こいつら死ね」って
思いながら外に出ていくなんて、どれだけ不幸せなことか。自分で自分を不幸にしていることか。
自分がバラバラになるような気がしていた。どちらも私であることは変わらないけど。

いろんな人に相談した時、「あなたが受けているのは嫌がらせとかご近所問題とかで済ませられる
ものではなく、れっきとした差別だ。闘うべきだ」と目を開かせてくれた友人と、「こずえちゃん
おまじない教えてあげる」と言って真剣におまじないの方法を教えてくれた友人がいた。
二人ともベクトルは全く違うが、このふたつが妙にありがたかった。おまじない・・・やりました(笑)

私もいつか、誰かが困っていたらこんなナイスなアドバイスができる人になりたい。
このブログがささやかでもそんな希望になれば嬉しい。

さあ、夕食。
・ごはん
・水菜とじゃがいもとしいたけとわかめの味噌汁。(全部淡路島産だ)
・ごぼうとにんじんと豚肉の炒め物(これも同じく)
・いちご(これもや)

淡路島、バンザイ。