旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

理屈ではなく感覚で

2018年03月05日 23時31分26秒 | 日々のこと
福7歳7か月。
いつからだろう、一緒に風呂に入るのがだんだん苦痛になってきていた。
もう幼児の時のようにぷにぷにの身体ではないし、肌と肌を合わせる必要も感じなくなっていた。
なんていうかはっきりいって“もう気持ちが離れてしまっている彼氏に別れたいって言いだせず
惰性で最後にデートしている”ような感覚だった。ひどい例えだけれど。

新しい家の風呂は縦に長いので、福星つばさ青&私で入るともうぎゅうぎゅう。目の前に福の尻が
きたり、目の高さに例のモノが近づいてきたりすると悪いなーとは思いつつも本気で顔を背けていた。
もちろん本人は無邪気に「かーちゃん、ふろはいろう!!」とニコニコしていたけれど。

今日、福が一人で体を洗い、頭を洗い、シャワーで流し、スッキリした表情で湯船につかるのを
見届けて「ああ、もう十分。今日が最後だ。」と確信した。

福だけを先に風呂からあげて話をする。
嫌いになったから一緒に入らないのでは決してないこと。順番にみんなこうやって手を離れていくこと。
大好きな気持ちも大切な気持ちもなにひとつ変わらないこと。面倒を見れないから一人で入れと言ってる
わけではないこと。これまでずっと一緒に入った時間は本当に幸せだったこと。最高に楽しかったということ。

話しているうちに福の目からみるみる涙があふれてくる。
私もなんだかそのうち泣けて仕方なく、最後は「大きくなってくれてありがとう」それを繰り返し言うことしか
できなかった。福は泣きながらも「福は母ちゃんと一緒に入りたい。でも大きくなりたい。」そう言った。
「ああ、やっぱりこの子は今私を乗り越えていこうとしているんだな」そう思った。

もう福とすっぽんぽんで向き合うことはないんだ。あの日もあの日もあの日も、ずっと一緒だったのにね。
もうないんだ。今日で終わりなんだ。終わったんだ。

理屈ではなく感覚で、子どもはそれを決めることができるんだ。

青が食事をするみんなの様子をみて口をパクパクさせたので、早速離乳食を開始するとすんなり
おかゆを口に含んだように、子どもだって自分のことは自分で決めることができるんだ。

目と、耳と、心を澄ませて、子どもの姿を見ていたい。

赤ちゃんだった福。おっかなびっくり湯船に浮かべたこと。一緒に歌をうたったこと。
疲れ果てて二人でうとうとしたこと。あわあわ星人ごっこをしたこと。洗面器をひっくり返して
おならーってしただけでゲラゲラ笑い転げていたこと。なぞなぞをしたこと。
「かあちゃんしってる?」とたくさんの話をきかせてくれたこと。次に産まれてくる赤ちゃんに
たくさん話しかけてくれたこと。

そして、今日、湯船から見上げたたくましい姿。
洗面器から流れる音がシャバーではなくザンバーになっていたこと。

お風呂の時間をありがとう。たかが通過点のひとつにしかすぎない?
違う。こんな小さな記憶が私の人生の黄金期に用意された最高のギフトなのだ。
笑っちゃうほどささやかで、泣けてくるほど味わい深いごほうびなのだ。
今日はそれを抱いて眠りにつこう。夢で逢えたらいいのにな。赤ちゃんの福にもう一度逢えたらいいのにな。