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館林つつじ(花山) 茂林寺

2012-05-07 12:31:10 | 日記
5月7日 (月曜日)  晴れ

昨日の荒れた天候では
各地で落雷被害、又・・・竜巻被害は凄かったんだ!
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つくば市を襲った竜巻。

最近はネット動画の方が、情報が早く流れている。迫力も!

家が突然壊されてしまった方は茫然とするしかないんだろう。

”いつまでも・・・・・   ・無いと思うな運と災難”の言葉が重く感じる。
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今朝は6時に家を出て、館林の”花山”に行ってみた。
7時前には到着。
残念、今年はもう躑躅ケ丘公園の花もすっかり見頃を終えてしまっていた。
例年4月末からが盛りなんだが、

今年は咲きも遅いし、散るのも早いそうだ。と言っていた・・・。
もっとも雨にもやられたんだろうな。

公園の広場の花はもう殆んど散ってない!


西側方向にはいくらかの花が残っている




なんとか見られた。

城沼(じょうぬま)方向の新緑が陽に当たり始めた・・綺麗だ!




南面の散歩道を歩く。



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宇宙飛行士
”向井千秋”さんが宇宙から持ち帰った躑躅の種から育っている”宇宙つつじ”看板
今、花は無い!大きくなるのは未だこれから・・・・



沼側の散歩道から”尾曳稲荷神社”を撮影。(おびき)
ここで育ったK君は同期の入社で、大宮住、最近もメールのやりとりや、
年に1度程の飲み会を行っている。

尾曳稲荷神社の創建は天文元年(1532)、
当時の大袋城主赤井照光が館林城を築城の際建立したのが始まりと伝えられています。
遷座に際して伝説があり照光が子供達に虐められた弧狐を助けると

一人の老人が現れ新たに城を築く事を強くすすめると
翌日一匹の老狐が現れ尾を引きながら城の縄張りをして城の守護神になることを約束して
姿を消したそうです。

照光は吉兆と思い新城を築き尾曳城(後の館林城)と名付け、
本丸から見て鬼門の方角に稲荷郭を設け尾曳稲荷神社を遷座し鬼門鎮守社としました。
その為、現在でも社殿は本丸のある西側方向に向いています。
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茂林寺も近いので・・・タヌキのスタチュウーが


見晴らしの休憩場所を下から



大きなポプラの木が園の片隅に姿勢良く天に向かって伸びている。巨木だ!

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帰り道は茂林寺を通りがかるので・・天気も良いので立ち寄ってみる。
先ずは裏手の湿原の散策を。




まだ7時50分で近所の方の散歩人が少ない。
”早いねえ、どちらから・・・”などと立ち話。
湿原では牛蛙が”牛の声で”ウモーウモー”と沢山ないている。  うるさい!

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茂林寺のタヌキは鯉のぼりをバックに金太郎の腹巻き付けて並んでいる。

昔は、観光バスがひっきりなしに来ていたが・・・今は静かだ。
私は、ここが結構好きで良く立ち寄る。
桜も綺麗なところだ。






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朝食をとってから、渋滞を始めたR122を通って帰宅。
まだAM10時。

良い天気になってきたので、
貰った・・・長く長くのびる隠元の種蒔きをしよう。
うまく出来たら写真を撮ろう。

春の大根が太くなってきた。
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