12月19日(日曜日)
天気が良くて助かる。
本日はこれから義母のお通夜に出かける。
午後2時頃から納棺になるので、
11時頃、孫を連れて3人で行く事になる。
インフルエンザにかかってしまったママさんは自宅療養
奥秩父は今時は熊谷と比ると4~5度も低く寒い!厚着をする。
********************************************************
昨日のニュースでフィリピンの刑務所に収監されていたS氏が
恩赦で釈放されたと報じていた。
http://www.fujitv.co.jp/nonfix/library/2004/435.html
懲役のない刑務所 ~フィリピンの日本人死刑囚~
2004年10月13日(水) 03:00~03:55 放送
詳細は上記URLを見るとよくわかる。
信じがたいが現実である。
とにかく海外では見知らぬ人からは絶対お土産をもらったり預かったりはしない事。
小さいお土産小箱は特に危ないので要注意。
間違ってでも囚人になった場合、財産は全部無くなるまでつぎ込むことになる。
1996~2003年頃にかけてフィリピンには何回か仕事の関係でマニラから
北にあがったタルラックという地区に行っていた事がある。
この国は日本の戦後の数年間の状況がズーット続いている感じである。
私はこの国をそれほど嫌いではないが、もう少し渋滞と美観をなんとかしてほしい。
マニラに滞在することも多く、その昔幼い時期に聞いた唱 渡辺はま子さんの
”モンテンルパの夜は更けて”を思い出して
一度はフィリピンのモンテンルパに行ってみたかったので
休日を使って1999年に行ってみた。ギラギラする灼熱の暑さである。
昔の戦犯刑務所である。
(最近、斎藤由貴が渡辺はま子役を演じている劇をTVでみた。)
今はフィリピンの刑務所として実際に使われているが。
その実態はお金と掟の世界。お金がないと囚人は死を意味する。
中に入りたかったので看守に握手しながらP200ペソを渡し(多すぎたかな!当時600円程)、
案内を頼んだらライフル銃を小脇に抱え快く屋上まで案内された。
一寸怖かった、所長ともすれ違ったが看守の案内で動いているので問題ない。
(私がフィリピーノにみえたのかな?)
上からのぞく刑務所は結構広い200m区画は有りそうだった。
なにか観光化されてる感じもあり、一寸イメージとは違った事を思い出す。
この時看守が、今日本人の囚人鈴木というのがここにいると言ったのが生々しく覚えている。又お金さえあればエアコン付きの部屋も、女性の出入りもOKとニタリと笑って言った!
多分その方が釈放されたのだろう。
-------歌詞----
モンテンルパの 夜は更けて
つのる思いに やるせない
遠い故郷を しのびつつ
涙に曇る 月影に
優しい母の 夢を見る
燕はまたも 来たけれど
恋し吾が子は いつ帰る
母の心は ひとすじに
南の空へ 跳んでいく
さだめは悲し 呼子鳥
モンテンルパに 朝が来りや
登る心の 太陽を
胸に抱いて 今日もまた
強く生きよう 倒れまい
日本の土を 踏むまでは
------------------
薬師丸ひろ子さん主演のスペシャルドラマ
戦場のメロディ ~108人の日本人兵士の命を救った奇跡の歌~
フジテレビ(2009年9月12日)
ああモンテンルパの夜は更けて
戦地の慰問をする渡辺はま子役の・・
フィリッピンの「モンテンルパの刑務所」!
戦犯として収容され処刑の恐怖に怯える受刑者
心配をする家族やその受刑者達の苦難を乗り越えて慰問に訪れ
108名の命を救った渡辺はま子さんの物語。実話
渡辺はま子さんといえば「支那の夜」「蘇州夜曲」などのヒット曲があります。
「ああモンテンルパの夜は更けて」の歌も良く知っていました。
この歌の作詞・作曲が戦犯として処刑されるはずだった受刑者のもので
曲の陰には辛く悲しい思いが込められていたことを随分昔に親から聞いていました。
私はテレビの前で涙をこらえていました。
天気が良くて助かる。
本日はこれから義母のお通夜に出かける。
午後2時頃から納棺になるので、
11時頃、孫を連れて3人で行く事になる。
インフルエンザにかかってしまったママさんは自宅療養
奥秩父は今時は熊谷と比ると4~5度も低く寒い!厚着をする。
********************************************************
昨日のニュースでフィリピンの刑務所に収監されていたS氏が
恩赦で釈放されたと報じていた。
http://www.fujitv.co.jp/nonfix/library/2004/435.html
懲役のない刑務所 ~フィリピンの日本人死刑囚~
2004年10月13日(水) 03:00~03:55 放送
詳細は上記URLを見るとよくわかる。
信じがたいが現実である。
とにかく海外では見知らぬ人からは絶対お土産をもらったり預かったりはしない事。
小さいお土産小箱は特に危ないので要注意。
間違ってでも囚人になった場合、財産は全部無くなるまでつぎ込むことになる。
1996~2003年頃にかけてフィリピンには何回か仕事の関係でマニラから
北にあがったタルラックという地区に行っていた事がある。
この国は日本の戦後の数年間の状況がズーット続いている感じである。
私はこの国をそれほど嫌いではないが、もう少し渋滞と美観をなんとかしてほしい。
マニラに滞在することも多く、その昔幼い時期に聞いた唱 渡辺はま子さんの
”モンテンルパの夜は更けて”を思い出して
一度はフィリピンのモンテンルパに行ってみたかったので
休日を使って1999年に行ってみた。ギラギラする灼熱の暑さである。
昔の戦犯刑務所である。
(最近、斎藤由貴が渡辺はま子役を演じている劇をTVでみた。)
今はフィリピンの刑務所として実際に使われているが。
その実態はお金と掟の世界。お金がないと囚人は死を意味する。
中に入りたかったので看守に握手しながらP200ペソを渡し(多すぎたかな!当時600円程)、
案内を頼んだらライフル銃を小脇に抱え快く屋上まで案内された。
一寸怖かった、所長ともすれ違ったが看守の案内で動いているので問題ない。
(私がフィリピーノにみえたのかな?)
上からのぞく刑務所は結構広い200m区画は有りそうだった。
なにか観光化されてる感じもあり、一寸イメージとは違った事を思い出す。
この時看守が、今日本人の囚人鈴木というのがここにいると言ったのが生々しく覚えている。又お金さえあればエアコン付きの部屋も、女性の出入りもOKとニタリと笑って言った!
多分その方が釈放されたのだろう。
-------歌詞----
モンテンルパの 夜は更けて
つのる思いに やるせない
遠い故郷を しのびつつ
涙に曇る 月影に
優しい母の 夢を見る
燕はまたも 来たけれど
恋し吾が子は いつ帰る
母の心は ひとすじに
南の空へ 跳んでいく
さだめは悲し 呼子鳥
モンテンルパに 朝が来りや
登る心の 太陽を
胸に抱いて 今日もまた
強く生きよう 倒れまい
日本の土を 踏むまでは
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薬師丸ひろ子さん主演のスペシャルドラマ
戦場のメロディ ~108人の日本人兵士の命を救った奇跡の歌~
フジテレビ(2009年9月12日)
ああモンテンルパの夜は更けて
戦地の慰問をする渡辺はま子役の・・
フィリッピンの「モンテンルパの刑務所」!
戦犯として収容され処刑の恐怖に怯える受刑者
心配をする家族やその受刑者達の苦難を乗り越えて慰問に訪れ
108名の命を救った渡辺はま子さんの物語。実話
渡辺はま子さんといえば「支那の夜」「蘇州夜曲」などのヒット曲があります。
「ああモンテンルパの夜は更けて」の歌も良く知っていました。
この歌の作詞・作曲が戦犯として処刑されるはずだった受刑者のもので
曲の陰には辛く悲しい思いが込められていたことを随分昔に親から聞いていました。
私はテレビの前で涙をこらえていました。
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