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日記(5.7) ツルニチニチソウ ・ ツバナのこと

2014-05-07 09:01:58 | 日記
5月7日 (水曜日)  晴れ


やっぱり、晴れは気分がよい。
五月晴れだ

この花は綺麗だと思って、植えたのが10年も前になる。


あっちこっとに伸びて、最近始末が悪いので、綺麗に取り除いたと思ったが
未だ、あちらこちらと元気に出てくる。強い蔓草である。
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蔓日日草(つるにちにちそう)
☆・開花時期は、 2/25 ~ 5/25頃。地中海沿岸原産
 紫色のプロペラ状(5弁)の花をつる状に伸びた茎の先につける。

ヨーロッパでは「蔓日日草を身につけていると悪いものを寄せつけず、
 繁栄と幸福をもたらしてくれる」という言い伝えがある。

 また、常緑で冬の間も枯れないので不死の力や魔力を持っていると
 信じられていた。
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刈ってしまったのはよくなかったか?な。


また、遊休地や道端には

銀色に光る雑草?が、誰にも見向きをされなくなったが小さい頃は
これをガムの様になるので口に入れて遊んだものだ。
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茅萱 (ちがや) (茅花(つばな)、茅根(ほうこん))
川原や草原、野原で群生する。
初夏、白い毛を密生した花を咲かせる。

 若い花穂を「茅花(つばな)」と呼、
甘味があり食べられる

根は「茅根(ほうこん)」と呼ばれ利尿薬として使われる。

端午の節句の「粽(ちまき)」は茅萱の葉っぱで餅を包んだことからの
 命名(→ 茅巻き)。

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3月の末の新聞記事には・・このツバナの事が載っていた。

日本の植物学の父と言われる牧野富太郎の名を冠した
1989年版の植物図鑑にチガヤという多年草の説明がある。

一部を要約、補強すれば「春に伸びるチガヤの花穂(かすい)をツバナといい、
子供たちはツバナをガムのようにかんだり食べたりする」となろう

地方によって時期が違うが、春のごく短い期間以外は花穂が固くなり、食用には適さない。
そしてもちろん、道端の野草を口に入れるこの習慣は既に過去のものだ

都会育ちの人々はツバナの存在そのものをほとんど知らないだろう。
だが、ツバナはかつて広く愛されたようだ。

弊紙の比較的最近の過去記事や読者の投稿などをチェックすると、
中国地方や東海地方など各地で呼び名が相当違うが、
取材で会った福島県の被災地住民はツバナと言っていた。

呼び名はともかく地方出身の団塊の世代あたりなら、
ほのかに甘いツバナの味を覚えている人も多いのではないか?

高度経済成長期以前の子供たちの生活に触れたのは、
アメ玉もガムも無かったけれど元気いっぱいで、

野山でアケビやクリ、グミ、野いちごなどを探し、
時には幼い子たちに分け与えた彼らに好印象を抱いているからだ。


そしてツバナはシイの実拾いと同様、だれでも簡単に楽しむことができる。
地域の子供の伝承だったのか、さらに太古の昔からの採集本能なのか分からないが、

大自然とつながっていた子供の文化がおそらく絶えてしまったのは惜しい気がする。

だからといって元通りにはできない。
だれかあのころの「田舎の子供の遊び」を絵本にでもしてくれないものか。
ひょっとすると、もうどこかにあるのかもしれないが。
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とあったので、又ツバナを意識して見る様になった。

メモ)
牧野 富太郎、1862年5月22日(文久2年4月24日) - 1957年(昭和32年)1月18日)は、
日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。

「日本の植物学の父」といわれ、
多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。
その研究成果は50万点もの標本や観察記録、
そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。
小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、
生まれた日は「植物学の日」に制定された。
発見、命名した植物[編集]

命名は2500種以上(新種1000、新変種1500)とされる。
自らの新種発見も600種余りとされる。

発見、命名した植物の例

ムジナモ、センダイヤザクラ、トサトラフタケ、ヨコグラツクバネ、アオテンナンショウ、
コオロギラン
スエコザサ

和名については、ワルナスビやノボロギクのような、
当該植物種の性質を短い言葉で巧く言い表しているものもある一方で、
ハキダメギクなど発見場所をつけただけの命名もある。
イヌノフグリのように意味を考えると、少々破廉恥なものもあるが、
この植物の場合、もとは和歌山県における同種の方言からとったものではある。

亡き妻の名を冠したスエコザサのエピソードはよく知られているが、
富太郎からすればこうした学問の場以外の私情をはさんだ献名は例外的であった。
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