小学校の頃、バレエを習っていました。
向いてはなかったと思うけれど、とても好きでした。
上手く言えないけれど、格好をつけているようで、自分自身が努力した姿を見せることが恥ずかしかったのです。
なので、親の前で練習することもなかったし、出来るだけいい姿を見せようとは思いませんでした。
努力はするのだけれど、いい所を見せることは、やっぱり恥ずかしかったのです。
そして、親からさっさと辞めさせられてしまいました。
それは、大人になっても同じでした。
カラオケに行っても、成り切ることは、恥ずかしかったです。
演じることが出来ないというか、他の人が、成り切るのを見ても、不快に思ったり、おかしいと思ったりすることはないし、むしろあんな風に上手く歌って見たいなと思うのに、実際は、歌うことで精一杯でした。
妹は、幼稚園の時から、お遊戯をしても、とても上手く、その役に成り切っているのに、私は、それが出来ませんでした。
カラオケに行っても、やはり、妹は自己陶酔していて・・・・・
でも、私は、自分自身の姿から離れることが出来ませんでした。
長女は、ダンスに通っていて、やはり私と同じような態度でした。
それなのに、本人はとても続けたがりました。
私は、長女に練習を強い、毎日、嫌がるのに練習をさせてしまいました。
「体が小さいのだから、人よりも大きく動かないと・・・・」
「練習しないのなら、辞めさすよ。」と脅迫もしてしまいました。
でも、確実に上手くなっていきました。
人を見ながらおどおどして踊っていたのに、前を向いて踊ることが出来るようになりました。
「続けたいのなら、努力しなさい。皆、一生懸命練習しているのに、いい加減な態度なら、皆に迷惑かけるよ。」
かなり、追い込んでしまったかなと思いました。
先日のステージでは、周りと代わり映えしないほど、踊れていました。
「上手くなったじゃない。頑張って良かったね~。」
思わず褒めていました。
私は、褒めるのがとても下手です。
褒めて育てた方がいいと判っていても、どう言葉をかけてやればいいのかわからないのです。
たぶん、褒められたことがあまりないからだと思います。
褒められるのは、他人から評価され、その評価を母が聞いた時、だったように思います。
私は、演技することも下手です。褒めるふりさえ出来なかったのです。
なので、長女はよく私に言っていました。
「おかあさんは、何でもふーんなんだね。感情がないね。」って。
でも、私に褒められ長女は嬉しかったのだと思います。
先週、レッスンを見に行った時、のびのびと踊る長女の姿がありました。
「上手くなったね~。すごいねぇ」嬉しくて自然に褒めていました。
「先生の教え方が上手かったのよ。」長女は、言いました。
そして、嬉しそうに、教えてもらったことを話してくれました。
ここ数年、ようやく、人にいい所を見せようとしてもいいのではないか?と思うようになりました。
むしろいい所を見せたいと・・・・・
皆、そうしていることに気が付きました。
そして、化粧が出来るようになったり、色のついた服が着られるようになったり、飲んで違う自分を出すことが出来るようになりました。
夏の子どもの運動会で、リレーに立候補できたのも、そのせいなのかもしれません。
今朝、ゴミを集めていると、長女のスピーチのメモが出てきました。
「ダンスで前は、はずかしくて本気でおどれなかったけど、みんな本気でやっているということがわかって本気で取り組めるようになりました・・・・・
私は何事も本気で当たり前になれるようにがんばりたいです」
そう書かれていました。
私が、今頃になってようやく気が付いたことを、長女は10歳で気が付いてくれたんだなと思いました。
かなり追い詰めてしまったけれど、努力すれば結果に現れるということも判ったみたいで、嬉しかったです。
嬉しいと同時に、私が気付くことが出来たから、この子も気付けたのかなって思いました。
でも、頑張れても、頑張れなくても、支えてあげなくてはいけないなって思ったのでした。
向いてはなかったと思うけれど、とても好きでした。
上手く言えないけれど、格好をつけているようで、自分自身が努力した姿を見せることが恥ずかしかったのです。
なので、親の前で練習することもなかったし、出来るだけいい姿を見せようとは思いませんでした。
努力はするのだけれど、いい所を見せることは、やっぱり恥ずかしかったのです。
そして、親からさっさと辞めさせられてしまいました。
それは、大人になっても同じでした。
カラオケに行っても、成り切ることは、恥ずかしかったです。
演じることが出来ないというか、他の人が、成り切るのを見ても、不快に思ったり、おかしいと思ったりすることはないし、むしろあんな風に上手く歌って見たいなと思うのに、実際は、歌うことで精一杯でした。
妹は、幼稚園の時から、お遊戯をしても、とても上手く、その役に成り切っているのに、私は、それが出来ませんでした。
カラオケに行っても、やはり、妹は自己陶酔していて・・・・・
でも、私は、自分自身の姿から離れることが出来ませんでした。
長女は、ダンスに通っていて、やはり私と同じような態度でした。
それなのに、本人はとても続けたがりました。
私は、長女に練習を強い、毎日、嫌がるのに練習をさせてしまいました。
「体が小さいのだから、人よりも大きく動かないと・・・・」
「練習しないのなら、辞めさすよ。」と脅迫もしてしまいました。
でも、確実に上手くなっていきました。
人を見ながらおどおどして踊っていたのに、前を向いて踊ることが出来るようになりました。
「続けたいのなら、努力しなさい。皆、一生懸命練習しているのに、いい加減な態度なら、皆に迷惑かけるよ。」
かなり、追い込んでしまったかなと思いました。
先日のステージでは、周りと代わり映えしないほど、踊れていました。
「上手くなったじゃない。頑張って良かったね~。」
思わず褒めていました。
私は、褒めるのがとても下手です。
褒めて育てた方がいいと判っていても、どう言葉をかけてやればいいのかわからないのです。
たぶん、褒められたことがあまりないからだと思います。
褒められるのは、他人から評価され、その評価を母が聞いた時、だったように思います。
私は、演技することも下手です。褒めるふりさえ出来なかったのです。
なので、長女はよく私に言っていました。
「おかあさんは、何でもふーんなんだね。感情がないね。」って。
でも、私に褒められ長女は嬉しかったのだと思います。
先週、レッスンを見に行った時、のびのびと踊る長女の姿がありました。
「上手くなったね~。すごいねぇ」嬉しくて自然に褒めていました。
「先生の教え方が上手かったのよ。」長女は、言いました。
そして、嬉しそうに、教えてもらったことを話してくれました。
ここ数年、ようやく、人にいい所を見せようとしてもいいのではないか?と思うようになりました。
むしろいい所を見せたいと・・・・・
皆、そうしていることに気が付きました。
そして、化粧が出来るようになったり、色のついた服が着られるようになったり、飲んで違う自分を出すことが出来るようになりました。
夏の子どもの運動会で、リレーに立候補できたのも、そのせいなのかもしれません。
今朝、ゴミを集めていると、長女のスピーチのメモが出てきました。
「ダンスで前は、はずかしくて本気でおどれなかったけど、みんな本気でやっているということがわかって本気で取り組めるようになりました・・・・・
私は何事も本気で当たり前になれるようにがんばりたいです」
そう書かれていました。
私が、今頃になってようやく気が付いたことを、長女は10歳で気が付いてくれたんだなと思いました。
かなり追い詰めてしまったけれど、努力すれば結果に現れるということも判ったみたいで、嬉しかったです。
嬉しいと同時に、私が気付くことが出来たから、この子も気付けたのかなって思いました。
でも、頑張れても、頑張れなくても、支えてあげなくてはいけないなって思ったのでした。