「使う前と使った後では人生観が変わった」。ソフトバンクの孫正義社長は事あるごとに米アップルのスマートフォン「iPhone」を絶賛する。
アップルの「宣伝マン」のような発言からはiPhoneがソフトバンクにもたらした効果の大きさが見えてくる。
●スマートフォン革命の衝撃
日本でのiPhoneの独占販売にこぎ着けたのが2008年7月。
それ以来、携帯電話事業のデータARPU(1契約当たりの月間平均収入)は右肩上がりで伸びており、11年3月期は2310円と、iPhone発売前の08年3月期から5割以上増加している。
11年4-6月期には2440円とKDDI(au)を逆転した。
携帯電話の純増数も7月末まで16カ月連続で首位を維持。iPhoneが生み出した利用者数増と単価上昇の相乗効果が2011年3月期まで6期連続で最高益を更新したソフトパンクの快走を支えているのは揺るぎない事実。
「携帯電話事業参入から5年で移動体通信事業の営業利益は5倍、基地局数は6倍、累計契約数は7割増になった」(孫社長)という急成長ぶりがスマートフォン革命の衝撃の大きさを物語る。
●つながりにくさ
「わが世の春」を謳歌するソフトバンクだが、ここに来て気がかりな点も浮上し始めている。
「スマートフォン比率が他社よりも圧倒的に高いため、通信が遅い、つながらないといった状況が先に顕在化している」(孫社長)ことだ。世間ではソフトバンクの代名詞とされる「つながりにくさ」。
孫社長は「今後2年間で合計1兆円(連結ベース)の設備投資を実施し、電波改善を徹底的に進める」と強調する。
しかし、通信能力を自在に増やせる固定回線と異なり、携帯回線は電波の周波数に限りがあり、データ通信量の増大に合わせて簡単に増強できるものではない。
孫社長が定額制のデータ通信料金体系の見直しに言及するのも、他社以上に通信の混雑問題が進行している表れともいえる。
ただ、電波が遠くまで届きやすく携帯事業者が最も使いやすい周波数800MHz帯の「プレミアムバンド」を持たないソフトバンクが、この帯域を使うNTTドコモやKDDIの安定性にどこまで迫れるかも未知数。
携帯電話向けに総務省が新たに割り当て、2012年にも利用可能になるプレミアムバンドの900MH帯の周波数を獲得できれば、ソフトバンクの立ち位置は劇的に変わる。
もちろんライバルも黙ってはいない。業界4位のイー・アクセスのエリック・ガン社長は「当社が必ず獲得できると確信している」とけん制する。
●iPhoneの陰に
iPhone依存はさらに別の問題も引き起こしている。
「せっかく端末を供給してもiPhoneの陰に隠れてしまう」。かつてソフトバンク向けに携帯電話を供給してきた韓国サムスン電子の幹部は怒り心頭だ。
ソフトバンクはアップルとiPhoneの取扱台数で契約しているとみられ、目標達成には販売奨励金(インセンティブ)などを投じ積極的にiPhoneを売る必要に迫られる。
iPhoneの店頭価格は新製品でもゼロ円モデルがあり、3万円程度で並ぶ他の新モデルに消費者の食指は動きにくい。
ドコモがサムスンの「ギャラクシー」シリーズを看板商品に据えたのはソフトバンクヘのメーカーの不満因子を取り込んだ部分も大きい。
「どんなに頑張っても主役はiPhone。逆立ちしても勝てない」。ソフトバンク社内の米グーグルの基本ソフト(0S)「アンドロイド」搭載端末の担当者の表情に悔しさがにじむ。
この悲哀の積み重ねがひいては現場の士気低下につながり、今後の商品開発力に影響が出る懸念がある。iPhoneは製品面でねじ1本、そして営業戦略なども含め何一つ、ソフトバンク側に主導権はないためだ。
●試される現場力
中国を中心とする海外事業やクラウドコンピューティング関連事業の拡大など、収益構造の多角化は徐々に実を結んでいる。ただ、グループの屋台骨はあくまで国内の携帯電話事業。
スマートフォンが本格的な普及期を迎えるなか、「一本足打法」とも皮肉られる過度なアップル依存の収益構造をどう改善していくのか。
成長を持続するためにもソフトバンクの全従業員がベクトルの方向を一致させた「現場力」が今こそ試される。
【記事引用】 「日経産業新聞/2011年8月19日(金)/1面」