男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

津軽為信公のイメージ 青森県弘前市

2012年09月08日 | 全国戦国武将
青森県弘前市といえば津軽氏の本拠地ですが、今日は津軽為信公について・・・。

為信公のデータとしては以下の様です。
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 天文19年1月1日(1550年1月18日)
死没 慶長12年12月5日(1608年1月22日)
墓所 青森県弘前市藤代の革秀寺
官位 従五位下、右京大夫
藩 弘前藩(津軽藩)藩主
氏族 (清和源氏義光流久慈氏?→)大浦氏→津軽氏
父母 父:大浦守信?久慈信長?
養父:大浦為則
妻 正室:阿保良(おうら・大浦為則の娘・14歳の時に為信と出会い恋愛による18歳同士の結婚・不妊)
側室:栄源院

牡丹を定紋とした:公家の近衛氏から牡丹を拝領し家格を誇示(近衛家は藤原氏で奥州では強い影響力を持つので)

津軽牡丹・卍紋・津軽輪宝・錫杖(しゃくじょう)など。

卍は仏教の吉祥を表わす紋。輪宝・錫杖(しゃくじょう)は密教の法具(仏の加護を願った)

津軽氏の家紋、卍・錫杖の由緒についての伝説

義父大浦為則の後を継いで間もないある夜、為信の夢枕に、異様な姿をした二人の童子があらわれた。

「われらは、昔からこの西山(岩木山)に住み、勧善懲悪を宗として、民を教戒することを心としてきた。公(為信)よ、今こそ、この津軽の国を治める時である。急ぎ実行せよ、われらが加護致す。」と告げた。

為信がその名を問うと、二人は「卍」「錫杖」と答えて消え去り、同時に夢もさめた。

そこで為信は、これぞまさに岩木山権現の霊験と喜び、旗印に卍、馬印に錫杖を用い、さらに兜の前立にも錫杖をつけたのであった。

その後、見事統一の念願が叶い、「津軽右京亮為信(つがるうきょうのすけためのぶ)」を名乗って、初代藩主となったのである。

この時の卍が、現在の弘前市の市章となっている。

日本家系調査会
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