男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

成功哲学、自己啓発セミナーの限界3

2010年03月31日 | 自己啓発と引き寄せ
望んでいなかった結果が出る原因は、決して自分からのみ発信したものではありません。

もちろん、人は同時にいろいろなことを考えます。例えば、成功を望む一方、失敗したらどうしようと・・・。

しかし、虐待を受けている子供や性犯罪の被害にあった女性、家族の事故や急死などは心配はしても望むはずがありません。

心配の度合いが他人と比較して極端に大きかったとも言い切れないです。

人はよく、運が悪かったと言います。現象を見るとそういう言葉も出てきます。

多くの人は運が良い悪いという言葉でかたづけてしまいます。

運は何処から来るのでしょうか?

運は先祖からきます。

つまり、被害を引き寄せた原因は、先祖にあったと考えます。(明日に続く)

日本家系調査会
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成功哲学、自己啓発セミナーの限界2

2010年03月30日 | 自己啓発と引き寄せ
確かに人には運の良し悪しというものがあります。

それを「あなたの思考が全て問題」とは、言い切れません。

「引き寄せの法則」が全てだったら、占いは全く無意味であるし、それで食べている占い師は皆、ペテン師になってしまいます。

占いの基本は、陰陽五行、因果律などの東洋思想であり、その思想の背景は仏教や儒教、道教、神道、インド哲学などの宗教がバックボーンです。

おそらく、欧米のキリスト教思想を背景に出現した成功哲学、自己啓発セミナーは、「引き寄せの法則」等の中で言っている、「内なる自分」や「ソース(源)エネルギーにアクセス」という表現は、キリスト教で言う神にアクセスという意味であろうと思います。

無意識のうちにキリスト教の影響を思考回路の根底に持つ欧米の学者たちが考えた理論なのです。

だから先祖の影響等という話は少しも出てきません。出てこないはずです。

従って「内なる自分」に従って・・・という考えは、一人一人が神に繋がってと説く欧米の宗教とそっくりなのです。

東洋思想は欧米の思想よりはるかにその歴史は長いのです。

今日、不景気が続き、現代は世界恐慌の時代に入っていると唱える人も多く、欧米の資本主義もそろそろ限界だと考える人々が多くなってきています。

そういう中でますます東洋思想が注目を浴びてくる時代がやってくると確信しています。

この西洋思想と東洋思想の融合こそがこれからの未来を明るくしてくれると思います。(明日に続く)

日本家系調査会


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成功哲学、自己啓発セミナーの限界

2010年03月29日 | 自己啓発と引き寄せ
「引き寄せの法則」には間違いは無いですが、意志力の強弱には個人差があり、意識の変革だけで行動や実行が伴わなければ良い結果が出るはずもありません。

実は「引き寄せの法則」が全能の神様でもなく、全てを可能にするマジックでもないのです。

意識や考え方を変えただけで幸運が向こうから来てくれるというほどたやすいことではありません。

強い意志力を持つこと、卓越した行動力を持つことは全て個人(私)にかかってくるというわけです。

また、「犯罪被害者すら加害者を引き寄せている」という考えには全て納得はできません。

性犯罪の被害者も、虐待されている子供も、家族が殺されても、自分が状況を引き寄せたと言い切ることはできません。

彼らは望んだ結果、そうなったのですか?そうではないはずです。

では、「引き寄せの法則」は間違いか?間違いではないが、全てではないのです。(明日に続く)

日本家系調査会
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やった!嬉しいね!真央ちゃん気迫の逆転V!

2010年03月28日 | その他
家系にも先祖にも関係有りませんが、書かずにおれない、真央ちゃん優勝!

フィギュアスケートの世界選手権最終日は27日、イタリアのトリノで女子フリーが行われ、バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央が・・・優勝。
帰国後、初の夢舞台を終えて経験したことのない達成感と疲労に襲われた。・・・だが、わずか1日のオフの後、すぐ氷に乗った。練習できたのはわずか1週間というライバルキム・ヨナとは対照的。・・・晴らしたい思いがあったから練習は怠らなかった。「銀メダルはいつも見えるところに置いてます。悔しさを忘れないように」。家で銀の輝きを見るたびに、闘争心がかき立てられた。(スポニチより)

バンクーバーオリンピック後、しばらく休みたいと言っていたキム・ヨナの姿と、銀メダルをもらって(並みの選手は銀をもらったら大満足するけど)も目を真っ赤にして悔し泣きした浅田真央の姿を思い出すと、当然の結果かもしれません。銀メダルを見えるところに置いて悔しさを忘れない・・・すごい執念だ。ただ者じゃない、真央ちゃんは。真の一流は精神が一流だ。

なにごとも気迫、士気、決意、意気込み、執念で決まりますね。勝敗は常に始まる前から決まっている!

日本家系調査会

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家紋いろいろ 日足紋

2010年03月28日 | 家紋いろいろ
写真は十二日足紋。

日足とは太陽光線のこと。

汎神論と言うのか?全てのものに霊が宿っているという考えから、物を人格化した。太陽光線も足と見た訳です。

太陽信仰から多くの家系が用い、特に北九州にこの紋を使用する家系が多い。これは菊池一族が鷹の羽紋を用いる前にこの紋を用いていたからです。菊池一族の流れの家系に広まりました。

戦国時代では、肥前の竜造寺氏・大村氏、筑後の草野氏が有名。鍋島氏、藤原氏支流の中島氏、丹波氏支流の兼康氏、小笠原氏支流の伴野氏、豊後日田の大名木下氏も用いています。

日本家系調査会
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家紋いろいろ 桔梗紋

2010年03月27日 | 家紋いろいろ
むかし、桔梗の花は吉凶を占う花として用いられました。

土岐一族の家紋として有名。土岐氏の根拠地の美濃国に広まりました。

明智、揖斐、原、田原、本庄、鷲巣、蜂屋、金山、饗場、浅野、肥田、高山、船木、土居、外山、福光寺などの、土岐氏から分かれた諸氏が使用しています。

清和源氏では新村氏、土岐氏流の諸氏、頼光流の太田氏など。藤原氏流では加藤清正の加藤氏、大江氏流の早川氏は割桔梗紋。

日本家系調査会
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家紋いろいろ 梶紋

2010年03月26日 | 家紋いろいろ
梶の木は神事に用いられたり、供え物のお皿の代わりに使われた。

信州諏訪神社では神紋に梶を使用している。

梶紋は昔は神官、社家、氏子の人々など神社関係の家系が使った。「抱き梶」「一葉梶」が多い。

葉・枝・幹・根のついた全形では三本の諏訪梶が有名で、これは信州・諏訪大社の神紋になっている。

諏訪神家流では、梶・金刺・神・祝・矢守・茅野・千野・八本氏などが用いた。

武家では信濃・甲斐・駿河・越後・相模、さらには九州の北部と鹿児島に広がった。

清和源氏では、頼秀流の保科氏、満快流の諏訪・知久氏。瑳峨源氏流の松浦氏、平氏支流の梶氏。藤原氏流では万年・神・中沢氏などが用いた。

日本家系調査会
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全国戦国武将 今川義元

2010年03月25日 | 全国戦国武将
駿河国(現在の静岡県中部)の守護大名・戦国大名。

足利氏の傍流吉良氏の分家にあたる今川氏で、駿河今川家第9代当主。

家紋も五七花桐、五七桐、二引両、丸に二引両。

父は第7代当主・今川氏親、母は正室で中御門宣胤の娘・寿桂尼。北条氏康の義弟、武田信玄の義兄でもある。

寄親・寄子制度を設けての革命的な軍事改革などの領国経営のみならず、外征面でも優れた才能を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。

所領も駿河・遠江・東三河から、西三河や尾張の一部にまで拡大するなど、戦国時代における今川家の最盛期を築いた。

しかし尾張に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長に敗れ、戦死した。

今川義元の墓は(明治9年(1876年)5月建立)桶狭間古戦場伝説地、愛知県豊明市内にある。

戒名は、天沢寺殿四品前札部侍郎秀峰哲公大居士。18文字と長い。

日本家系調査会

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全国戦国武将 伊達政宗

2010年03月24日 | 全国戦国武将
出羽国(羽州)と陸奥国(奥州)の戦国大名。

家紋は、代表家紋の仙台笹のほか、竹に雀、横三引両、丸に竪三引両、九曜、雪輪に薄、伊達鴛、十六葉菊、五七桐、八つ薺がある。

江戸時代末期まで読み方が「だて」ではなく「いだて」でした。

陸奥仙台藩の初代藩主。

本姓は藤原氏。家系は伊達朝宗を祖とする伊達氏。(伊達氏の先祖、中村氏は、戦国時代 に宇都宮家臣として下野国芳賀郡中村城に住した一族。伊達氏の祖とされる常陸国伊佐郡の伊佐氏の同族で、藤原北家山蔭流との伝承がある。)

第16代当主・伊達輝宗と最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の嫡男。

幼名は梵天丸、字は藤次郎、諡号は貞山。

神号は武振彦命で、青葉神社に祭られる。

幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、また、戦国屈指の教養人として、豪華絢爛を好むことで知られていた。

諱の「政宗」は伊達家中興の祖といわれる室町時代の第9代当主・大膳大夫政宗にあやかったもので、この大膳大夫政宗と区別するべく藤次郎政宗と呼ぶことも多い。

戒名は瑞巌寺殿貞山禅利大居士。

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全国戦国武将 武田信玄

2010年03月23日 | 全国戦国武将
武田 信玄(武田 晴信)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。

甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。

諱は晴信。

「信玄」とは(出家後の)法名。

大正期に従三位を贈られる。

甲斐の守護を代々務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。

先代・信虎期には国内統一が達成。

信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻。

越後の上杉謙信と5次にわたる川中島の戦いを行いつつ信濃をほぼ平定。

甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領し、次代の勝頼期にかけて武田氏の領国を拡大した。

晩年、上洛の途上に、三河で病を発し信濃で病没した。

風林火山の軍旗。

甲斐の虎または龍朱印を用いたことから甲斐の龍とも呼ばれた。

地元の山梨県をはじめ全国的に高い知名度を持ち、人気を集めている戦国武将の一人。

戒名は法性院機山信玄。

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