男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

地方に多い家紋 新潟県(越後、佐渡國)

2011年07月31日 | 家紋いろいろ
上杉氏の笹に雀紋。

佐渡は武蔵七党横山党からでた本間氏は十六目結紋。
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全国一のサトウさん

2011年07月31日 | この名字のルーツは?
佐藤さんが190万人以上で、鈴木さんがそれに次いで170万人以上の大姓だ。

特に東北に行くと佐藤さんによくお目にかかる。

佐藤さんのルーツは二説あり、左衞門尉の位にあったので左にヒトをあらわすニンベンをつけたという説。もう一つは佐野庄の佐をあらわすという説がある。

いずれにしても藤原氏の流れである。

平安時代に藤原秀郷という豪傑が平将門を討って鎮守府将軍になり、下野國唐沢山(現在の栃木県佐野市)に城を置き関東一円を治めた。

飛ぶ鳥を落とす勢いの秀郷に関東武士達は皆なびいた。

五代公清が左衞門尉だったので、役職の名を入れて佐藤を名乗った。

サトウさんには他に、佐当、佐東、左藤、沙藤、甘蔗、砂糖さんもいます。

めったにお目にかかりませんが・・・。

家紋は藤紋の他、源氏車が多い。(ところで、源氏車という家紋。源氏のシンボルでもないのに、誰が言い始めたのか?源氏車といいます。)
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サイトウさん

2011年07月29日 | この名字のルーツは?
藤原氏の職業姓に、藤原氏の職業姓に、斉藤さんがいる。

齋藤、斎藤、齊藤、斉藤といろいろな字を使用する点では、ワタナベ姓とならぶところだ。

斉は神様を祀るという意味があり、斉宮頭(さいぐうのかみ)を意味する。

藤原利仁という将軍が越前の国に赴任し当国一帯を支配した。

その子叙用(のぶもち)が斉宮頭となった。これより斉藤の苗字ができた。

斉藤氏は北陸、東北、関東一円に広まった。

斉藤氏は越前に起こったが、加賀斉藤、広岡斉藤、疋田斉藤、鏡斉藤、河合斉藤、長井斉藤、勢多斉藤、宮原斉藤などの流に分かれた。

家紋は藤紋のほか、巴、幣、石畳、銀杏などは斉宮の役職をあらわし神に仕える紋である。
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地方に多い家紋 信濃國(長野県)

2011年07月28日 | 家紋いろいろ
甲斐源氏の勢力が及んだ地方だけに、武田一門の割菱紋。小笠原氏一門の三階菱紋や松皮菱紋が多い。

諏訪神家一族、諏訪神信仰に関わる梶葉紋。

滋野氏一門である真田、海野、望月、増田、小田切、矢沢、岩下、禰津の各氏は六文銭、雁金、州浜が多い。

伊那地方は清和源氏木曽氏流の小林氏などが違鷹羽紋が多い。

清和源氏頼清流の村上、屋代、室賀、雨宮氏の上文字紋も見られる。
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相馬義胤

2011年07月27日 | 全国戦国武将
戦国時代から江戸時代にかけての武将。

天文17年(1548)、第15代当主・相馬盛胤の嫡男として生まれた。

死没は寛永12年11月16日(1635年12月25日)

相馬氏の先祖は平将門と伝わる。千葉氏流に属する。

戦国時代まで400年間、下総、南陸奧に勢力を持っていた。

伊達氏とは境界を接していたため、抗争と調停を繰り返していたが、義胤の時代になり対立は激化し、衝突は三十余度に及んだ。

実は伊達氏との関係は因縁じみていて、義胤の祖母も母も室も伊達氏から出ている。

伊達政宗の初陣の相手が相馬氏であった。

この抗争は戦国時代の終焉とともに痛み分けとなった。

しかし、義胤自信は無念の思いを残し、死に臨み遺体を伊達氏の領国に向けて立ったまま埋葬するように命じたという。

家紋は九曜紋。相馬繋ぎ馬紋。相馬亀甲紋。

戒名は蒼霄院殿外天雲公大居士

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工藤さん

2011年07月27日 | この名字のルーツは?
工藤氏は藤原南家の出で、庵木瓜を家紋とする。

庵は建物を表し、木瓜は木工にかけた。つまり、家を建てる大工の役という意味を持たせている。

工藤氏は木工助(もくのすけ)の役職を代々受け継いだ家系である。

また、工藤氏は伊豆を本拠地としたので、伊東ともいう。

伊東は伊藤とも書くが、東が藤に転化したものだ。

本来の伊藤氏は、伊豆ではなく伊勢の藤原なので、同じ藤原には違いないが、同じ伊藤さんでも合同してしまっているわけだ。
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毎日、改善する生活

2011年07月25日 | 自己啓発と引き寄せ
足元をよく見つめなければならない。

誰でも一生懸命に働き、生きているのだろうが・・・。

毎日やっている仕事に対して常に新鮮な気持ちで見つめていないと、見えるものも見えないし、聞こえるものも聞こえてこない。

問題意識を持たなければ、マンネリ化に埋没し、不都合も不具合も見過ごしてしまう。

「20年の経験があります」といっても、実際は1年の経験を20回繰り返しているに過ぎないかもしれない。

松下電器の、あるベテラン社員は、一年間で一万件以上の提案をしていたらしい。

ヒトより一時間早く出勤して、現場をチャックしたという。

一日に20件以上の改善提案をする事は難しくないという。

一年間いても一つの提案もできない人も多くいる。

人間は環境にすぐ慣れてしまう。順応してしまうわけだ。

不自由を不自由と思わず、テキトウなレベルで自分を納得させてしまう。

現場は改善点の宝庫なのに気付かない。

松下の某社員のように、新鮮な気持ちでチェックしてみましょう。

一日を振り返り、良かった点と悪かった点を自己チャックするだけで、一年続ければそうとう改善されるのではないでしょうか。
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ウチダさん

2011年07月24日 | この名字のルーツは?
今日は友人の内田さんから電話を頂いたので、ウチダさんについて話します。

ウチダさんは多いです。地名が多いからだ。

内田、打田さんのほか、内多、宇知多、宇智多、宇知多、宇知田、打さん。

なんと、中田と書いてウチダと読む人もいる。あまりお目にかかりませんか?

内と中は同じ意味で、自分の所有を表し、中田と内田は自分の田んぼという意味なのです。

内田さんは約235,000人。ルーツは遠江国城飼郡内田庄発祥の藤原南家工藤氏流、ほかに勝間田氏流など諸流。

打田さんは約5,200人。ルーツは安芸国賀茂郡打田村発祥、出自不詳。現在、三重県に多い姓。
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ワンポイント江戸初期文化

2011年07月23日 | 日本の歴史、地域の歴史
江戸時代初期のころ殉死の禁止令が出た。

主君が亡くなった後を追って殉死せずに命を長らえた者は、牢人となって生活に困り社会を乱すようになるため、主君が亡くなっても切腹することを禁じた。

そして、新しい主君に仕えることを義務とした。

また、末期養子の禁止が緩和された。

末期養子とは跡継ぎのいない武家が亡くなる直前に養子をとること。

当主が50歳を満たない場合は末期養子が認められた。
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地方に多い家紋 山梨県(甲斐國)

2011年07月22日 | 家紋いろいろ
清和源氏義光流(甲斐源氏)の本拠地。

武田氏一門は割菱紋と花菱紋、小笠原一門は三階菱紋と松皮菱紋が代表家紋とした。
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