男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

大塚城 鹿沼市下粕尾

2020年07月30日 | 日本の歴史、地域の歴史
母方の鹿沼市下粕尾の大塚家を調査中です。同地にある大塚城跡との関連を調べています。大塚氏はこの地に集住しており、古い家系は母方と同じ違鷹羽紋を使用しています。
大塚城は天亀、天正のころ、大塚信濃守綱利が佐野の支城として築いたと伝えられる。綱利は初め左衛門尉といった。後裔は大塚貞之助氏。のち粟野地区は皆川氏の勢力下にあり、綱利は佐野氏から離脱、大塚氏の城付近でひそかに余生を送り慶長十七年(1612年)二月死去。菩提寺は慈眼寺。自然石の墓石が残る。
大塚城は栃木県鹿沼市下粕尾にあり、粕尾小学校(栃木県鹿沼市下粕尾1444−1)の西側、今は廃業したが美容室ミチ(栃木県鹿沼市下粕尾1520−1)反対側の小高い山、地上から約80メートルにある。大きな堀切等が残っている。
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江戸時代の大飢饉

2020年07月14日 | 日本の歴史、地域の歴史
 江戸時代には大小、飢饉が 35回あったと云われますが、 1732 (享保 17) 年、1783~87 (天明3~7) 年、1836~37 (天保7~8) 年の飢饉が特に大きかったので三大飢饉と云われています。これに寛政(1642~43)の飢饉を入れると四大飢饉となります。他、大地震も何度もありました。人類の危機は周期的にやってきていました。
 これらに対して改革を行ってきました。特に松平定信の寛政の改革、德川吉宗の享保の改革、水野忠邦が主導した天保の改革が知られています。今日、日本が新型コロナ感染拡大防止とその後の改革の主導主になれるのか?未曽有の国難に備えよ!挿絵は大老水野忠邦。

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コロナ禍後の経済再興は?

2020年07月13日 | その他
 COVID-19の感染拡大被害は底知れぬものがありますが、90年前、1930年の世界恐慌以来の深刻な状況のようです。さらに90年をさかのぼると、アメリカで1837年恐慌があり1840年まで続きました。どうも経済危機は90年サイクルで来ているようです。
 問題は何年で経済復興するのか?世界恐慌の時は10年かかったそうです。今日、COVID-19被害は、日本の場合は他国ほど感染者数も少なく、ワクチンができればに2~3年で復興してほしいという思いはありますが、他国の感染状況などをみると楽観視できない状況にあり、専門家筋の情報によれば、やはり10年かかるとみているようです。貿易などを通して他国に頼りすぎている状況は日本だけに限ったことではないからです。
 10年後、何歳になっているのか?人によっては人生が終わっている人もいるでしょう。やり直しがきかないです。
 しかし、この10年の間に、AIの急激な進化によって無くなる職業、職を失う人が急増するでしょう。また、アメリカがCOVID-19の感染拡大の大被害により、今よりまして一国主義にならざるを得ず、日本は中国や北朝鮮の脅威にさらされます。経済が苦しい中でも自衛隊の軍備費を増やさざるを得ず、ますます少子化が進んで財源確保が苦しい10年間となりそうです。
 戦後、GHQの介入により、日本人の歴史観が否定され戦犯国としてのレッテルを張られ、日本人としての誇りや精神的柱を失った人々は西洋の外的文化に影響され、物質欲、享楽、快楽に骨抜きにされました。どうやって復興しようというのでしょうか?激動の10年!いまこそ歴史の教訓に学び、奮起しなければならない時が来ました。
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信じる

2020年07月07日 | 自己啓発と引き寄せ
 流れを変えたいと思ったとき、「100日実践」というのを行っています。実践は部屋の掃除、食器洗い、挨拶を率先してやる、トイレ掃除等々何でもいいのです。行動が変われば、習慣が変わる、習慣が変われば、流れや運気も変わるということです。100日もやれば習慣化することは可能です。ちなみにほぼ全身の細胞が入れ替わるのは100日だそうです。良い習慣が身につけば流れが変わるはずです。これによって奇跡的な成功体験、勝利体験を持っている人が多いのです。
 しかし、信じることができず、やる前から疑ってかかったら効果はありません。途中で信じることができなくなる人はどんな人でしょう?やったりやらなかったり、忘れてしまったりしていては、結果を信じきれるまでいかないのです。途中で漏れてしまっているのです。いい加減にやっているから駄目だろうな~となるのです。結果を信じるに足りるしっかりとした実践が必要です。
 人を信じなければなりません。不信感は伝わってしまいます。「信じてもらってない。」という思いがあったら力が出るはずもありません。人を信じる前に自分自身を信じなければなりません。「自分はやれる。」「必ずやりきるだろう。」壁にぶち当たっても、どこまでも信頼してあげなければならないのは自分自身です。
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松本市奈川黒川渡の古幡氏調査

2020年07月06日 | この名字のルーツは?
古幡氏は長野県下では安曇野市穂高牧と穂高に最も集住している(家紋は橘紋)が、松本市内は松本市奈川黒川渡に最も集住していました。行ってみたら山に囲まれた辺ぴな地域に古幡氏が何軒もありました。
ここの古幡氏は家紋が剣片喰と笹竜胆の二種類でした。笹竜胆は源氏ゆかりの家紋と言われますので、見た瞬間、予想外な感じがしました。奈川村誌の中に、嘉永二年(1849年)の文書によれば、江戸後期の奈川村庄屋の古幡彦一郎は、もとは永嶋姓で家紋も永の文字紋だった。文久元年の文書では古幡姓になっていて、家紋も笹竜胆に替えたという。
調査家系は丸に剣片喰紋。奈川の半分くらいはこの家紋と同じでした。木曽福島町で庄屋を務めた古畑氏も丸に片喰紋。古畑(古幡)伯耆守家重(ふるはたほうきのかみいえしげ)は通称孫兵衞または孫助といい、木曽家村の三子黒川三郎家景の後裔と伝える。この系は明治時代に後継ぎがなく断絶。しかし同家から奈川村に出た古畑(古幡)氏もある。片喰系の家紋が一致することから調査家系のルーツはここと思われます。木曽氏流黒川氏の流れか?現木曽郡木曽町に古幡(古畑)氏が集住している。
ところで木曽氏(清和源氏)の家紋は笹竜胆です。奈川村のもう一つの古幡氏、永嶋氏から改姓し庄屋古幡氏も笹竜胆であることから木曽氏との関りがあり、古幡氏と一緒に移住した可能性もある。ちなみに現在も永嶋姓が多い地域は木曽郡木祖村でした。
以上のことから、当古幡氏は清和源氏義賢流木曽氏、義仲の八世孫家景が古幡(古畑)を名乗った系、のちの古幡伯耆守の後裔の可能性が大きい。奈川の「黒川渡」の地名だが、木曽にも同じ「木曽郡木曽町新開黒川渡」の地名がありました。奈川黒川渡の地名は土地が似ていることから木曽の黒川渡と同じ地名を付けたかもしれません。
様々な一致点はルーツであることを物語っています。一軒一軒まわってみれば伝承が残っているかも知れませんが、村誌には反映されないことも多い。系譜学上の新しい発見になるかも知れません。
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長野県フルハタ氏調査

2020年07月05日 | この名字のルーツは?
写真は降旗神社。場所は古幡郷と呼ばれていた松本市梓川上野。滋野氏の一族西牧氏のもとで古幡氏は管理(古幡牧)を任されていた。
フルハタさんは、古幡のほか、古畑、古畠、古旗、古籏、振旗、降旗、降籏といろいろ。ルーツは同じかと思ったら単純ではありませんでした。
平重衡の処刑後に遺児の重度が鎌倉幕府から逃れ、信濃国に勢力をもっていた仁科氏を頼って現在の安曇野市明科東川手名九鬼に落ち延び、そこで名を降旗氏に改め隠れ住んでいたという。
また同じ降旗氏でも、清和源氏木曽氏族流を名乗る系もあった。岡谷市の降旗氏、木曽地方の古畑氏は鷹の羽紋も多い。
また、木曽福島町で庄屋を務めた古畑氏は丸に片喰紋。古畑(古幡)伯耆守家重は通称孫兵衞または孫助といい、木曽家村の三子黒川三郎家景の後裔と伝える。
安曇野市穂高牧及び穂高の古幡氏は橘紋。松本市奈川の古幡氏は丸に剣片喰紋と笹竜胆紋。
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石川県岡田家ルーツ

2020年07月04日 | この名字のルーツは?
石川県能登町の岡田氏調査、家紋は蔦でした。
清和源氏義光流
源 義光の子・親義(ちかよし)は、保元元年(1156)に平野神社領(のちに岩清水八幡宮領)であった信濃国筑摩郡岡田郷(長野県松本市岡田町)の浅間神社領の荘官として下向し、岡田冠者を称した。
また「武田系図」には佐竹正義の子・親義が、信濃国筑摩郡岡田郷を領して岡田氏を名乗ったとある。
寿永2年(1183)の越中国志保山合戦で、木曽義仲に従っていた親義は平 知度(たいら の とものり)を打ち取り、同族の岡田久義(義の次男)は平 為盛(たいら の ためもり)と組打ちをしている。
「武田系図」「尊卑分脈」                    諸説あり
〇源 義光-義業-佐竹昌義-岡田親義(冠者)-重義
〇源 義光-岡田冠者親義-重義・久義

清和源氏満政流
山田重親の次男・泰親が、尾張国知多郡岡田(愛知県知多市岡田町)を領して岡田氏を称した。
別資料では、重賢の子重篤は山田を改めて岡田与七郎を名乗り、以後岡田氏を称した。また重政が尾張国知多郡岡田村に住して、岡田与二郎を称したという説もある)ともある。
重政が斯波氏に仕え、善同が徳川家康の旗本で5千石。

「寛政重修諸家譜」 〇山田重親-岡田泰親…重政-重章-重賢
-岡田重篤-重頼-重善-直孝・善同-善政
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びっくり地名 小便谷

2020年07月03日 | その他
富山県黒部市にある地名です。ちょっと下ネタ系ですかね。谷底に向かって放尿したような、男子のみわかる快感・・・じゃないか!笑笑
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毛沢東の大飢饉 ご存じですか?

2020年07月02日 | その他
 「毛沢東の大飢饉」という話をご存じでしょうか?中国の人々にとっては最大タブーであり、トラウマとなっている中国共産党史上最悪の出来事です。それは1958年から62年まで続き総死者数4500万人と言われています。
 毛沢東の「大躍進政策」の一環として害虫駆除を始めました。害虫とは「ハエ、蚊、ネズミとスズメ」の4種類ですが、スズメまで入れた理由は稲を食べてしまうから。スズメを絶やすことで稲作が増えると思い、これを徹底的に駆除しました。
 その結果どうなったでしょうか?翌年から農業の生産性が極端に落ち、かなり食べるものに困り果て、ひどいときは死んだ獣や人間の死体まで食べたといいます。(中国の人は食べ物に対してそうとうな執着を示すのは何故か?と思っていました。四つ足のものは机以外何でも食べるとか、こうもりを食べるとか・・・このような歴史があったからでしょうか?)
 スズメを絶やすことで、かえってハエや蚊、イナゴやウンカ等の害虫が一挙に増え、それが原因で大飢饉を引き起こしてしまいました。つまり生態系のバランスを崩してしまったわけです。毛沢東の浅知恵で一国人口に匹敵する尊い命を失いました。神をもおそれず自然に対する畏敬の念もない唯物思想が生んだ悲劇と言えましょう。
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家系譜新聞 スピリチュアルなお盆のおはなし

2020年07月01日 | 家系鑑定とアドバイスなど
特集:スピリチュアルなお盆のおはなし
お盆(おぼん)は、太陰太陽暦である和暦(天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行なわれる祖先の霊を祀る一連の行事です。

一般に仏教の行事と認識されていますが、仏教の教義で説明できない部分も多く、古神道における先祖崇拝の儀式や神事に仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形が出来たと考えられています。
仏教用語の「盂蘭盆」の省略形として「盆」(一般に「お盆」)と呼ばれます。 盆とは文字通り、本来は霊に対する供物を置く容器を意味するため、供物を備え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合したともいう説もあります。現在でも精霊をボンサマと呼ぶ地域があります。
盆の明確な起源は分かっていませんが、1年に2度、初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事がありましたが、初春のものが祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになったといわれています。日本では8世紀頃には、夏に祖先供養を行うという風習が確立されたと考えられています。  地方や、仏教の宗派により行事の形態は異なります。
目に見えない世界
お盆の行事は霊の世界があることが前提になっています。「故人の冥福を祈る」という考えも同様です。信じる、信じないは別としても一般通念としては、霊界は存在するという建て前で供養を行っています。
目に見えるものはわかりやすいが、目に見えないものはわかりにくいです。しかし、目に見えないからといって全く存在しないと言い切ることもできません。
人(動物も含め)には目に見える体の他に無形の心があり、植物にも見える植物本体の他に目に見えない性質を持っています。
人は頭の中に描かれた無形の設計図をもとに実際の物を作っていきます。物でも、行動でも、はじめに完成形のイメージがあります。それが時間的経過を経て無形のイメージが有形化していくわけです。
人間には肉体の他に霊魂(霊の体)があるというのは、宗教一般の考え方ではあります。
私にも最近、不思議な体験がありました。祖母が夢に現れて「饅頭が食いたい」というのです。
祖母の命日はもちろん覚えていたつもりでしたが、忙しさの中でうっかり忘れかけていた時でした。「何故こんな夢をみるのだろう。そういえば明日が命日だ!」と気付き、祖母の好きだった饅頭を買って来ました。(笑)これは霊夢なのか、単に脳の中の記憶データが見せてくれた夢かはわかりませんが・・・。

家系の法則と霊界
家系の中に離婚再婚、不倫等の愛情問題、財産争い等から来る身内の確執等があると、家系の中に同様な問題が連鎖しやすくなり、男子(特に長男)の短命、挙句の果てには家系が絶えてしまう等の状況が展開しやすくなります。家系の中に出てくる結果は法則性があります。
「家系の法則」は何故出てくるのだろう?家系の中に出てくる短命や問題のくり返しに対して、初期の段階では私は科学的根拠を懸命に求めました。
おそらくは、離婚や不倫といった家庭内のストレスが、「病は気から」と言うように、遺伝子に影響して疾病や短命といった家系的特徴が出てくるのだろうと思っていました。
しかし、それだけでは、わからないことが多くあるのです。どうしても目に見えない霊界という世界の存在を認め、他界した先祖からの影響と考えたほうが、すっきりと説明がつくのです。
霊界がわからないと本当の供養は…
なんとなく、いつも居るなぁ、見守ってくれているなぁと感じていましたが・・・。確かめる方法はありませんが、厳然と存在する世界なのです。
こうなると、先祖供養も通りいっぺんの供養をしたからといって十分とは言い切れません。私たちは勝手に自分の事情から先祖の事まで判断しがちですが、ご先祖がどういう状態に居り、何を願っているのか? 霊的な世界がわからないと本当の供養にはなりません。
この世で苦しかったら、あの世でも苦しいのだろうなぁと思いますが、愛情問題や貧困苦、寂しさ、病気の苦しみ、やらなければならないのにやり残した事など人によって様々でしょう。ご先祖の多くは愛情に満たされていない状態で他界した霊魂の集合体です。十分な愛情を注いで寂しい状態にしないことが大事です。
「子孫が先祖に関心を持たないと病気や事故が起こる」「人間が無視されるといやな様に、先祖も無視されることを嫌う」この言葉はあるホームページから拝借しましたが、同様な事は多く語られています。
行く霊界の選択は地上で体験した心の状態に合うところにしか行けません。あの世に行けるのは魂だけです。生きている間にできるだけ恨みや寂しさ、不満などを解決して行きたいものです。
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