伊達政宗と犬猿の仲か?
政宗:「山城、手にとって見るも苦しゅうないぞ」
兼続:「冗談召さるな。不肖兼続の右手は戦場にあっては先代・上杉謙信の代よりの采配を預かるもの。左様(さよう)に不浄なものを触れるわけには参りません」
直江兼続は江戸城内で伊達政宗とすれ違った時、わざと気付かぬふりをして挨拶をしなかった。
政宗:「陪臣の身で大名に会釈せぬとは無礼ではないか」
兼続:「これはご無礼いたしました。これまで兼続は中納言様とは戦場で相まみえる間柄だったゆえ、後姿しか拝見した事がなく、お顔を存じ上げませんでした」
直江状とは慶長5年(1600年)に直江兼続が、徳川家康の命を受けて上杉家との交渉に当たっていた西笑承兌(さいしょうじょうたい・僧侶)に送った書簡のこと。
これは関ヶ原の際、上杉家が軍備増強や領内の整備また城の改築をしていることを、これは「謀反の兆しではないか」と徳川家康が言いがかりをつけたことに対する返書。
痛烈に家康の行っていることに対して批判している。こんなことができたのは直江兼続だけ。そこが人気の一因。
ちなみに普通なら切腹のところうまく立ち回って切腹にならなかったところもさすが直江兼続らしい。
日本家系調査会
政宗:「山城、手にとって見るも苦しゅうないぞ」
兼続:「冗談召さるな。不肖兼続の右手は戦場にあっては先代・上杉謙信の代よりの采配を預かるもの。左様(さよう)に不浄なものを触れるわけには参りません」
直江兼続は江戸城内で伊達政宗とすれ違った時、わざと気付かぬふりをして挨拶をしなかった。
政宗:「陪臣の身で大名に会釈せぬとは無礼ではないか」
兼続:「これはご無礼いたしました。これまで兼続は中納言様とは戦場で相まみえる間柄だったゆえ、後姿しか拝見した事がなく、お顔を存じ上げませんでした」
直江状とは慶長5年(1600年)に直江兼続が、徳川家康の命を受けて上杉家との交渉に当たっていた西笑承兌(さいしょうじょうたい・僧侶)に送った書簡のこと。
これは関ヶ原の際、上杉家が軍備増強や領内の整備また城の改築をしていることを、これは「謀反の兆しではないか」と徳川家康が言いがかりをつけたことに対する返書。
痛烈に家康の行っていることに対して批判している。こんなことができたのは直江兼続だけ。そこが人気の一因。
ちなみに普通なら切腹のところうまく立ち回って切腹にならなかったところもさすが直江兼続らしい。
日本家系調査会