カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

フランス・オーヴェルニュ(その4)

2013-07-27 | フランス(オーヴェルニュ)
ヴィシーを朝7時に出発した後、快適なA89号線やN89号線を経由して田舎道のD555線に入ると、次第に上り坂となっていく。周囲を森に覆われ左下にシウロ川の流れが並走すると、住宅が現れ始め、突然、道を塞ぐように目の前に建物が現れた。こちらはオルシヴァル市役所で、後方に教会の鐘楼が聳えている。
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ヴィシーからオルシヴァル(Orcival)までは、南西に約90キロメートル、クレルモンフェランから南西に30キロメートルの位置にあり、2時間弱の行程だった(以下、オーベルニュ周辺図を参照)

市役所に向かって左側のゆるやかな坂道を進むと広場になり、この時間、周囲には、特設のテントが並ぶ市場が開かれていた。その広場の中ほどに「オルシヴァルのノートルダム教会」(Basilique Notre-Dame)が建っている。教会のすぐ西側には、山が迫っており、袖廊付近まで勾配の急な坂になっている。
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オルシヴァルのノートルダム教会は、イソワールのサン・オストルモワヌ教会、サン・サテュルナンのノートルダム教会、クレルモン フェランのノートルダム・デュ・ポール教会、サン・ネクテールの教会に並ぶ、オーヴェルニュの5大ロマネスク芸術の至宝の1つで知られている(こちらが、5大教会のリーフレット表、裏(英語版)と、オルシヴァルのノートルダム教会の紹介ページ(英語版))。

こちらのノートルダム教会は、1146年から1178年の間に、オーヴェルニュ伯ギヨーム7世が資金提供をし、ラ・シェーズ=デュ(ブリウド近郊のコミューン)の修道士たちによって建てられた歴史ある教会で、中央に聳える八角形の鐘楼も当時のままの姿を残している。
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その鐘楼を頂点に、交差部のマシフ・バーロン、シュヴェを頂く後陣(内陣)と放射状礼拝堂とを階段状に配していく「オーヴェルニュ・ロマネスク様式」が採用されている。中でも、後陣壁のモザイク装飾、コーニス(モディロン)装飾、アーチ窓を飾る縁取り装飾など、繊細な彫刻技法が駆使されている。

南袖廊壁を見上げると鉄の玉や鎖が吊り下げられている。これらは「鉄の聖母」と呼ばれ、聖母子を信仰した元囚人たちから奉納されたもの。聖母子が篤く信仰されていたことが伺える遺構となっている。
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教会への入口は、その南袖廊を回り込んだ側廊壁にある。扉には「サン・ジュリアン・ド・ブリウド大聖堂」や「オーゾンのサンローラン教会」の扉口でも見た錬鉄の唐草模様の装飾が施されている。斜めから錬鉄を見ると、頭部像がかたどられているが、突っ伏して顔を必至に持ち上げている様な姿はユーモアがある。黒光りしているのは、多くの人に触られているからだろう。
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日差しを浴びて教会内に入ったため、室内はかなり暗く感じたが、内陣方向は、上部3か所と周歩廊先のステンドグラスの窓から明るい外光が差し込んで照らされている。
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内陣は、八本の円柱で囲まれており、柱頭にはそれぞれ異なるアカンサスの葉の文様が刻まれ、葉柄から渦を巻く葉の先端まで繊細に彫りこめられている。左側から4番目の柱頭にはアカンサスの葉の間に鷲が表現されている。
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その内陣の中央にはガラスケースに収められた聖母子像が祀られている。聖母子像は凛とした姿で、身廊方向を見つめている。この聖母子像は、もともと東側に別の教会に安置されていたが、11世紀に現在の教会が建設されてこの場に移されたという。伝説によれば、彫像は使徒ルカによって彫られたといわれている。
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周歩廊には、放射状の礼拝堂が4室あり、それぞれを繋ぐアーチの円柱にもアカンサスの葉を中心とした柱頭彫刻が見られるが、こちらは、やや小ぶりなものが多い。北側の礼拝堂の右側の柱頭には、羊を担ぐ人物が刻まれている。
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こちらは、周歩廊から、ナルテックス(前室)側を眺めた様子で、ナルテックスは、山側を向いているため、上部の小さなステンドグラスの二連のアーチ窓があるだけで、かなり暗い。階上廊には黄金祭壇が飾られ、1階アーチ内には、聖水盤とキリストの洗礼像が掲げられている。
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内陣手前の階段両側(左右の袖廊沿い)には、クリプトに下りる階段が設置されている。階段を降りると、クリプトは、円形の空間で、周囲に椅子が並べられている。そして、円柱に囲まれた中央には祭壇が置かれ、奥に鉄格子で閉じられた3室に分かれた祭壇があり、中央に聖霊鳩、左右には、聖母子像、ピエタ像が奉られている。
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1時間半ほど滞在した後、次に、モザック(Mozac)に向かった。

モザックは、クレルモン・フェランから15キロメートル北のリオン(Riom)西隣に位置している。目的地の「聖ピエール教会」(Eglise St-Pierre)には、午前11時半頃到着した。6世紀から7世紀頃に創立されたベネディクト会の教会で、その後、王室の修道院となり、1095年には、クリュニー修道院の管理下に置かれている。ロマネスク様式の教会が建設された12世紀初頭が、修道院のピークだったが、1452年、1477年、1490年と立て続けに起こった地震により、大部分が倒壊してしまう。16世紀初頭に、現在のゴシック様式の姿に改築されている。
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右側の小さな広場にモザックの案内地図が掲げられている。こちらを見ると、教会の場所は村の中心から南に向けて参道が伸びているためわかりやすい。しかし、到着の際には、村の北西側のラウンドアバウトから、東ではなく南に下ってしまったため、教会の場所がわからず、人に尋ねるなど、やや苦労してしまった。
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教会内には、道路沿いにある北側ポーチ(扉口)から入る。ポーチの上部は、ヴォルヴィック石による切妻屋根とゴシック様式だが、ポータルは初期のロマネスク様式のまま残っている。

教会内に入ると、ナルテックスそばの身廊左右に、柱頭彫刻が、一体づつ飾られている。柱頭は、基壇と短い円柱の上にあり、対峙する高さにある。その内陣に向かって左側の柱頭には、4体のアトラスが彫られている。
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アトラスは、手に松ぼっくりとブドウの房を持ち、足は手と同じように背後に曲げてお互いの足が繋げている様なポーズをとっている。アトラスはじっと前方を見据えており、その顔立ち、表情、髪型、体格などは、それぞれ異なり、写実的に表現されている。
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そして、アトラスと対になる様に、内陣に向かって右側には「キリストの復活」を主題とした柱頭が置かれている。南面を向き中ほどで、香入りの小瓶を手にしているのがマグダラのマリアで、左側に小瓶を手にした聖女を伴い、キリストの墓を尋ねに向かっている場面が表現されている。
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マグダラのマリアに向かって右側となる南東面側には、同じく小瓶を手に持つもう一人の聖女が従っているが、マグダラのマリアに背を向けている。その聖女の右側には、椅子に腰かけた天使が、左手と翼でキリストの復活を指し示す様子が表されている。東面から見ると、聖女が、キリスト復活のお告げを聞こうと天使の方向に首を傾けている様にも見える。
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そして、その天使の後ろ側となる北面には、キリストの墓があり、その傍らとなる西面には、三人の兵士たちが居眠りをしている。三兵士は、首を傾げて柱頭の高さに収まるように配置されており、眠気に襲われ寝てしまった様子がうまく表現されている。この柱頭彫刻には、キリスト自身は登場しないが、まさに復活の直前を示す場面構成となっている。
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「アトラスの柱頭」と「復活の柱頭」は、後陣にあった周歩廊と放射状礼拝室の、主祭壇と周歩廊を隔てる8本の円柱を飾っていた柱頭彫刻で、15世紀の地震後、失われ、1849年、地下から発見されたもの。崇高で優雅さをも感じる素晴らしい作品で、オーヴェルニュのロマネスク彫刻の中でも最も優れたものといわれている。

現在の教会はラテン十字形の三身廊で、天井は、ゴシック建築の特徴でもある尖頭交差ヴォールトで覆われている。身廊を支える柱は角柱をベースに、身廊横断アーチと側廊横断アーチを支える三本の円柱が嵌め込まれた複合柱となっている。
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その横断アーチを支える円柱の柱頭に彫刻が施されている。これらの彫刻群は、南側廊の一部を除き、地震での倒壊を免れており、現在も当時の姿を見せてくれる。それでは、ナルテックス側の北側の柱頭から内陣方向に見学していく。
北側廊の第一柱(北面)には「グリフィンと杯」が、左側(東面)には「山羊に乗る男」が表現されている。それぞれの柱頭彫刻が施される面が半分(180度)の上、やや小ぶりなサイズだが、装飾を少なくして主題を際立たせている。
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北側廊の第三柱(西面)には「首を繋がれた猿」が、左側(北面)には「盾を持つ守護神」が表現されている。高浮き彫りに施された猿や守護神などは、柱頭から飛び出して来る様な躍動感がある。
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北側廊の第三柱から側廊を支える横断アーチの北壁側の柱には、外典「トビト書」と、士師記「サムソンの物語」が刻まれている。向かって左側は、トビアが、目が見えなくなった父トビトのため、巨大な魚から胆嚢を取り出しており、右側には、サムソンがライオンの口を大きく拡げ戦う場面が表現されている。柱頭の半面に二つの主題を、窮屈なく表現する技法が素晴らしい。
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北側廊の第三柱(東面)には、「向かい合うケンタウロス」が表現されており、北側廊の第四柱(西面)は、「山羊に乗る男」で、第一柱(東面)と同じ主題だが、躍動感がある。北面には色彩の残る「アカンサスの葉」が施され、北側廊の第五柱(西面)には、第一柱(北面)と同じ主題の「グリフィンと杯」が表現されている。

北側廊の第六柱(西面)には「二羽の鳥の間から顔を覗かせる狐」があり、横断アーチの北壁側の柱(北側)には、「盾を持つ守護神」が第三柱(北面)と同じ主題で、表現されているが、こちらの方が写実的で、表情や身体の表現は少し大人びて見える。

第六柱からは、聖職者席で、その先が内陣となる。内陣手前の左右には、尖塔アーチのくぐり戸があり袖廊に続いている。その左右の尖塔アーチの内陣側に円柱があり、尖頭交差ヴォールトを支える高い位置に柱頭彫刻が施されている。

内陣北側の柱頭には、アカンサスの葉が刻まれており、対となる内陣南側の柱頭には「聖ペテロの解放」が表現されている。獄内に横たわる聖ペテロに、主の御使いが現れ、空中に浮遊しながら杖でペテロをつついて起きる様に促している。御使いは、周囲の様子を窺っているのか、ペテロとは別の方角に向いている。右側には、獄を見張る番兵たちがいるが、手前の一人は首を傾けて寝ている様にも見える
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主催壇の手前、足元に柱頭が飾られている。「アトラスの柱頭」と「復活の柱頭」と同様に、主祭壇と周歩廊を隔てる8本の円柱を飾っていた柱頭彫刻で、「黙示録」から「風を止める四天使」を主題にしている。それぞれ角面には四天使が彫られ、天使の左手は、風を擬人化した男の口を押えている。四天使を柱頭の角面に配置することにより前に踏み出すような迫力ある場面が演出されている。
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次に、南側廊の柱頭彫刻をナルテックス方向に戻るように見ていく。
最初の南側廊の第六柱(西面)には、北側廊の第六柱(西面)と対になる「二羽の鳥の間から顔を覗かせる猿」があり、南面は、アカンサスの葉となっている。

南側廊の第五柱(東面)は、旧約聖書「ヨナ書」を主題にしている。向かって右側に、大魚に上半身から飲み込まれていくヨナと、そのヨナを助けようとする男性たちが表されている。左側には、魚のお腹の中で、自らの罪を悔い改めたヨナが、吐き出される瞬間が捉えられている。
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南側廊の第四柱(西面)に「壺を持つ男と、玉を持つ猿」がアカンサスの葉に座っている。右側の第四柱(南面)には「葡萄を収穫する人物」が表現されている。右側には這いつくばって収穫する人物も見える。第四柱(東面)には、アカンサスの蕾が刻まれ、赤、青、黄の彩色が残っている
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南側廊の第三柱(東面)には、ケンタウロスが、南面には、アカンサスと人面が、西面には、グリフィンがある。

南側廊の第二柱(東面)にはアカンサスの葉の中に人面像が施されている。威厳が感じられる顔立ちで写実的に表現されている。左側(南面)には小さな女性面が施されている。
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南側廊の第六柱から、南壁側に扉があり、中庭に出ることができる。扉を出てすぐ左手の袖廊側には、12世紀ロマネスク様式の「聖母子像と聖人たち」の浮彫がある。ティンパヌム(タンパン)に見えるが、リンテル(まぐさ石)彫刻である。中央の聖母子像の左右には、聖ペテロと福音書記者ヨハネが、左端には、跪く修道院長を聖オストルモワヌが聖母子にとりなしている。上部には、僅かに天使のフレスコ画が残っている。リンテルの下は、回廊とをつなぐ場所として扉があったが、地震後は壁となっている
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次に、モザックのラウンドアバウトから、南西方面に延びるジャンジュレス大通り(D986号線)を通り、ヴォルヴィック(Volvic)に向かう。すぐに、右側の丘の上にお城が見える。この城は、トゥルノエル城といい、ヴォルヴィックの町の北1.5キロメートルにあり、リマーニュ平原を見下ろす標高594メートルの岩山に建てられている。12世紀後半にはオーヴェルニュ伯爵ギー2世が、所有していたが、1213年に、フランス王フィリップ2世との包囲戦に敗れ、城は、王の管理下に置かれ、その後、様々な貴族の手に渡っている。
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モザックからは、10分ほどで、ヴォルヴィックに到着した。こちらは、ヴォルビック中心地から西に700メートル離れたスルス公園で、周囲は森で覆われている。これから、日本でもお馴染みのミネラルウォーター、ボルヴィック(インフォメーションセンター)の施設を見学する。センターのそばには、源泉を間近で見ることができる建物があり、覗いてみると、凄い量の水が流れている。隣には、無料の水汲み場があり多くの人が水を汲んでいた。


インフォメーションセンターでは、20分ほど見学した。センター内には、オーヴェルニュ地方の豊かな自然を紹介しながら水源地周辺の環境への取り組みや具体的な生産工程などがパネルや映画で展示・紹介されていた。
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ヴォルヴィックから5キロメートルほど東に行くと、マルサ村(Marsat)である。ここに10世紀から18世紀の間に建てられた「ノートルダム教会」(Notre-Dame-De-Marsat)がある。
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南側にあるロマネスク門の扉を入ると、後陣側の三連アーチの窓から光が差し込み明るい雰囲気である。天井は、尖頭交差ヴォールトで覆われたゴシック様式の身廊(南身廊)(12世紀)で、その北隣には、もう一つの身廊(北身廊)(10世紀)がある。こちらは、円筒ヴォールト天井と太い角柱で支えられたロマネスク様式で、やや薄暗い雰囲気。ステンドグラスの窓を背景に、祭壇には「マルサの黒い聖母像」が飾られている。12世紀後半制作の木造彫像だが、19世紀前半に修復され、美しい姿を見せてくれる。


次に向かったのは、エブルイユ(Ebreuil)のセント・レジェール教会(Eglise St-Leger)である。リオン(Riom)からは、30キロメートル北のアリエ県南端に位置している。東西に流れるシウール (Sioule) 川にかかる橋を渡ると、左前方に立ち並ぶ、赤屋根の美しい白壁住宅の中に、教会の鐘楼が見える。その橋を渡った先の交差点から左折し、回り込む様に路地に入ると、目的の教会前広場に到着する。
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セント・レジェール教会は、ノルマン侵略から逃れた僧侶が、オータン司教レオデガル(615頃~679)の聖遺物を持ってこの地に避難したのが始まりで、最初の教会は、961年、西フランク王国ロテール王治世に建てられた。その後、11世紀初頭には修道院と教会堂が建設されるが、18世紀には、修道院は破壊され、現在は、エブルイユの教区教会となっている。

教会はロマネスク建築の特徴である三廊式バシリカであるが、内陣部分はゴシック様式となっている。
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身廊と翼廊は、オーヴェルニュで唯一のカロリング朝時代の様式で、天井は切妻の木枠で覆われている。その身廊の2番目と3番目の南の柱には見どころのフレスコ画がある。向かって左上が、大アントニオス、右上が、オータン司教レオデガル、左下が、聖ブラシウス、右下が、サン・ローランになる。
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3番目の南側の柱には、上に、宗教詩「悲しみの御母は立ちませり」(マーテル・ドロローサ)をテーマにした磔刑像が、下には、ドラゴンを殺す聖ジョージが描かれている。
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ポータルのキリストの浮彫は、教会の敷石の下から1860年に発見されたもので、12世紀のものと推察されている。そして、扉口は赤く染められた皮で覆われ、曲線を駆使した繊細で複雑な鉄細工のアカンサス装飾が施されている。サン・ジュリアン・ド・ブリウド大聖堂の南袖廊の扉口と似ているが、こちらは、損傷も少なく綺麗に残っている。
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取っ手には、ロマネスクらしい獅子の顔が彫刻され、円形のプレートにはラテン語で「義なる人が祖国に帰るための門である」と書かれているとのこと。
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時刻は午後4時半を過ぎ、これでオーヴェルニュの旅は終わりである。これから、途中のサンセール(Sancerre)で宿泊し、翌朝にパリへ戻ることにしている。そのサンセールまでは約180キロメートルで、大半が高速道路になる。まずはD998号線でシウール(Sioule)川を渡り、5キロメートル先のインターチェンジから、高速道路(A71号線)を、パリ、ブルージュの標識に従い一路北に向かう。

1時間半ほど走行した後に、高速道路を降り、ブルージュ方面へ向かう。この先からがかなり難しい。。まずは、料金所を過ぎ、ラウンドアバウトからN142号線(Montlucon Moulins Nevers Auxerre)に向かう。N142号は、ブルージュの外環道で、南から円を描くように東方面に向かっている。途中のいくつかのラウンドアバウトを過ぎ、ようやく現れる標識(Auxerre Sancerre)のN151号線を通り、1キロメートル先の、標識(Sancerre Cosne)のD955線に入ると、ようやくサンセールへ向かう(北東方面)一本道となる。

ブルージュから約40キロメートルで「サンセール」に到着した。パリからは、南に200メートルほど離れたシェール県ロワール渓谷沿いにあり、「丘の上の町」として知られている。これからホテル(Hotel Le Clos Saint Martin)にチェックインし、急ぎ予約しているレストランに向かう。。もともと午後8時に予約していたが、20分ほど遅刻している。


レストランまでは、ホテル前の通りを右側(南方向)に100メートルほど歩いた距離だが、上り坂なのでやや辛い。一つ目の筋を過ぎると、細い路地坂の階段となり、上り詰めた右隣に、目的のレストラン「ラ・トゥール」(La Tour)がある。レストランに向かって左側(西側)は、サンセールの中心となる広場があるが、時間に遅れていることもあり、散策せずに入店した。


予約時間に遅れたが、スタッフはにこやかに迎えてくれホッとした。ラ・トゥールは、ミシュラン1つ星を取得している有名店でもあり、店内はかなり混雑していた。案内されたテーブル席でメニューを見ていると、入口で、客が断られ少しトラブルになっていた。予約していなかったのか詳細は不明だが、こちらの到着がもう少し遅れていたらどうなっていたのだろう。。

メニューは、「Promenade Maraîchère」(38ユーロ)(前菜2品、メイン魚肉から1品、デザート)と、「Plaisir des Sens」(58ユーロ)(前菜2品うち1品、メイン魚、メイン肉2品うち1品、フロマージュ、デザート3品うち1品)の2種類があり、後者の「Plaisir des Sens」と、デギュスタシオン(75ユーロ)を頼んだ。

まず、喉が渇いたのでビールを頼んだ。地元サンセール産のビール「La Sancerroise」である。サンセールでのワイン生産は有名だが、この人口2,000人にも満たない小さな町で、原材料の選択から瓶詰めまで行うクラフトビールの生産が行われていることには驚かされた。そのビールを飲んでいると、最初のアミューズ(ウニのトッピング)が運ばれてきた。


アミューズはもう1品あった。瓜系の野菜とトマトに、豆や皮付きの米を焼いたものがふりかけられている。


アントレ(前菜)は、「子牛肉のタルタルステーキ、カンカル産の牡蠣、レタスのクーリ(ソース)」(Tartare de veau coulis de laitue aux huitres de Cancale)。で、タルタルの下に牡蠣が隠れている。
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アントレは選択で、もう一品は、カリカリ海老、ココナッツ、マンゴー、蕎麦(Gambas croustillantes a la noix de coco nouilles de sarrasin et mangue)だった。

そして、メインの魚として「本日の季節の魚」(poisson du jour agremente selon la saison et le produit)。魚の種類はわからなかったが、白身のタラ系だった。。なめこの様なキノコや海藻のスープで、和食が融合された印象である。
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メインの肉料理(ヴィヤンド)は、「鳩(ハト)のもも肉のコンフィ」(Pigeon de Saint Quentin sur Nohain fenouil et cuisses confites)。鳩は、ジビエ料理の野鳥代表格の一つで、鳥肉より硬く濃厚な味わいが特徴。あまり食べなれないので、少し驚いたが、肉の硬さや濃厚なうま味が、マッシュポテトとの相性も良く、最後まで美味しく頂けた。
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肉料理は選択で、もう一品は、「ムッシュ・ダギーの豚」で、付け合わせとしてブロッコリーとピキージョ(赤ピーマン)が添えられている(cochon de Monsieur Dougy brocolis et piquillos)である。

メインの後は、フォロマージュ(チーズ)の盛り合わせ(Assiette de fromages)になる。


最後のデザートには、アイスクリームと苺(ストロベリー・メルバ)(Fraises Melba)を選んだが、結構なボリュームだった。


ちなみに、3品あるデザートのうち、もう一つは、柚子入りショコラソルベ(Croquant chocolat sorbet au Yuzu)である。

コースの中では、前菜のタルタルと牡蠣とレタスのクーリ、メインの鳩肉のコンフィが美味しかった。和食テイストを盛り込んだ料理もあったが、個人的にはあまり好みではないかも。。しかし、コース全体としては、一品ごとのポーションも大きく、食べ応えがあり十分満足できた。デギュスタシオンでは、サンセールを代表するドメーヌ、アンリ・ブルジョワや、フランソワ・クロシェのワインなどだった。レストランへの到着が遅かったことから、デザートの時間には、午後11時を過ぎ、最後の客となったが、終始にこやかに応対してくれたのは良かった。


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翌朝6時半。昨夜、雨が降ったのか、道路が濡れている。ホテルをチェックアウトして、200メートルほど東に進むと、見晴らしの良い展望台に出た。右側には、上り坂が続き、ラ・トゥールがある町の中心広場に向かっている。その通りに面して、右側にサンセールの観光案内所(Office De Tourisme)の建物があるが、この時間は扉は閉ざされていた。
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サンセールでは、ゆっくり町を散策する時間がなく、食事をしただけとなったが、展望台からの眺めは素晴らしく、丘の上の町にいることを少しだけ実感できた。これから一路パリに向かい、昼の便(中国南方航空、午後12時25分発)で日本(成田)に向け帰国することにしている。
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(2013.7.27~28)

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