カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

フランス・オーヴェルニュ(その3)

2013-07-26 | フランス(オーヴェルニュ)
イソワール(Issoire)は、オーヴェルニュ地域圏ピュイ=ド=ドーム県にある人口1万人ほどのコミューンで、首府クレルモン フェランから30数キロメートル南に位置している。こちらは、そのイソワール中心部の「レピュブリック広場」で、前方に15世紀、領事オストルモワヌ・ボヒエにより建てられた「大時計塔」が聳えている(以下、オーベルニュ周辺図を参照)。


イソワールには、午前中にオーゾンの見学を終え、オーゾン橋の手前からD16号線を北上し、D214号線、D996号線などを経由し、到着したところ。オーゾンからイソワールまでは、約30キロメートル弱の距離で、途中に、クレルモン フェラン滞在時に断念したレストラン(La Bergerie de Sarpoil)があるので、再チャレンジしようと向かったが、満席だった。。よほど縁がないらしい。。

さて、広場にある地図を見ると、イソワールの街は楕円形の環状道路内に広がっているのが分かる。今から、右下(東方向)に延びるガンベッタ通りを歩いて「サン・オストルモワヌ教会」(Abbatiale Saint Austremoine)に向かうことにしている。
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ガンベッタ通りは、石畳の狭い通りで、左右にショップが並ぶ商店街となっている。100メートルほどで、サン ポール広場に建つ、サン・オストルモワヌ教会の西側ファサード前に到着した。ファサードには、中央にシンプルなアーチ扉があり、左右、上部に小さなアーチ窓が配され、最上部には、三連のアーチ窓が二層にわたる角状の鐘楼が聳えている。ファサード全体の装飾は少なく簡素な造りとなっている。
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サン・オストルモワヌ教会は、3世紀後半或いは4世紀初頭のオーヴェルニュの伝道者で、クレルモンの最初の司教だった聖アウストレモニウス(ストレモニウス)に捧げられている。当初、修道院として建設されたが、12世紀半ばに、ベネディクト会修道士たちにより現在の姿に再建されている。

サン・オストルモワヌ教会は、サン・サテュルナンのノートルダム教会、クレルモン フェランのノートルダム・デュ・ポール教会、オルシヴァルのノートルダム教会、サン・ネクテールの教会に並ぶ、オーヴェルニュの5大教会堂の1つに数えられている(こちらが、5大教会のリーフレット表、裏(英語版)と、サン・オストルモワヌ教会の紹介ページ(英語版))。

先に教会内の見学から行うことにした。教会内は、円柱、柱頭、アーチともに赤色を中心とした眩いばかりの彩色が施されている。これらは、フランス画家アナトール・ドーヴェルニュ(1812~1870)により、1857年から1860年にかけて13世紀の彩色に則って復元されたもの。現代人にとっては、ロマネスク教会の印象がかわってしまいそうな多少派手に思える色合いである。
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アプスには、色彩復元と同時期(19世紀後半)に制作された「祝福するキリスト(世界の救い主)」が、下部の連続アーチには、4人のクレルモン司教が描かれている。交差部の先から階段があり、主祭壇と周歩廊は、身廊より1メートルほど高い壇上に設置されている。

アプスと周歩廊との間を支える8本の円柱の柱頭は、主催壇に向かって左側から時計回りで、植物文様、最後の晩餐、植物文様、キリストの復活、キリストの出現、植物文様、キリストの受難、植物文様と続いている。そして、円柱の装飾は、主催壇に向かって左右対称に、それぞれ幾何学文様で彩られている。
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こちらが、左側から2番目の柱頭で、教会を代表する見どころの一つ、「最後の晩餐」である。主催壇側を向く柱頭面の中央に見えるのがキリストで、そのキリストに肩を抱かれてうつむいているのがヨハネである。右隣がペテロで、右端が左手でパンを受け取っていることからユダだろう。この人物だけに光輪がない。人物表現は写実的で、今まで見てきたロマネスクの彫刻の中では洗練された印象を受ける。
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こちらは、周歩廊から見上げた「最後の晩餐」で、キリストの反対側の面になる。柱頭の4面を最大限に活用して、3人ずつ(キリストが立つ面のみ4人)配置し、裸足で円輪の上に立っている。使徒は、それぞれ別の方向を向いているが、周囲を取り巻く、繊細な襞によるテーブルクロスの巧みな表現が、同一食卓を囲んでいることを示しており、大変ユニークで斬新な構図である。
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左側から4番目の柱頭は「キリストの復活」である。周歩廊から見上げると、背後に盾を置き、交互に折り重なるように寝入る3人の番兵の場面で、微笑ましい印象すら受ける。左側に回り込むと、3人の番兵の隣には、天使とキリストの墓が表されている。
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主催壇側から見上げると、キリストの墓の左側には、天使が墓に詣でる聖女たちに、キリスト復活を告げている。そして、右隣の5番目の柱頭が「キリストの出現」で、左側の両手を挙げるマグダラのマリアが、中央の復活したキリストを見て驚いている場面だが、残念ながらキリストの顔は大きく破損している。
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「キリストの出現」の右面には、トマスの不信の場面で、キリストがトマスの右腕を掴んで、体に触れるように促している。
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そして7番目の柱頭が「キリストの受難」で、主催壇側には、キリストが、柱に縛られている場面があり、反対側には、十字架を担ぐキリストの姿が、側面には、使徒たちの悲しんでいる姿が表現されている。その「キリストの受難」の奥の8番目の柱頭は植物文様(アカンサス)である
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こちらは、南袖廊の東側を向いた祭室前になる。祭室の周囲は彩色が施されているが、かなり色落ちした箇所が多い。
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その祭室両側の支える円柱の柱頭も色落ちして、くすんだ色をしている。こちらは向かって左側を飾る「受胎告知」で、処女聖マリアが、天使ガブリエルにより、聖告を受けている場面である。そして右側は、「羊に跨る邪淫」で、共に、3頭身像の典型的なロマネスク彫像になっている。
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主催壇両脇にある階段を降りるとクリプトに至る。そのクリプトの中央東側には祭壇があり聖母子像が飾られているが、背後にアーチ窓があり、明かりが取り込まれていることから、半地下になっていることがわかる。
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その聖母子像と向かいあう様に西壁には鉄格子があり、その中に、聖オーストルモワヌの遺骨が納められた聖遺物箱(13世紀初制作)が飾られている。オーストルモワヌは、最初に、ヴォルヴィックに葬られ、モザック修道院(現:聖ピエール教会)に移されたが、900年頃にイソワールの地に戻っている。
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聖遺物箱は、金属を彫り込み、エナメルを施す技法(シャンルヴェ・エナメル)に、キリストの空になった墓を見守る聖女らと、マグダラのマリアの前に復活したキリストが姿を現す、ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)の装飾で飾られている。この聖遺物箱は1983年に盗難に会うが、1990年にホノルルで発見されている。

教会内の見学を終え、北側から教会全体を眺めてみる。長方形の平面を持つバジリカには、八角形の鐘楼を頂点に、交差部には”マシフ・バーロン”(Massif barlong)と呼ばれる細長の直方体を置き、南北に袖廊がある。東側に、シュヴェ(屋根組み)のある後陣(内陣)・放射状礼拝堂とを階段状に配しており、先に見学した、サン・ジュリアン・ド・ブリウド大聖堂と同じロマネスク様式(オーヴェルニュ・ロマネスク様式)の教会堂である。
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東南側から、放射状礼拝堂を見上げると、コーニス(モディロン)装飾、アーチ窓を飾るモザイクや縁取り装飾など、繊細な彫刻技法が駆使されているのが分かる。中でも、サン・オストルモワヌ教会の最大の特徴は、放射状礼拝堂に施された「黄道十二宮」の浮彫彫刻である。
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黄道十二宮とは、地球から見た太陽が星座間を移動するルートを黄道といい、その中に含まれる 12の星座を指している。太陽は平均して毎月1宮ずつ星座を移って行く。向かって左側が白羊宮(おひつじ座)で、その右側が金牛宮(おうし座)を現している。なお、この浮彫彫刻はオリジナルだが、何点かは近代のもの。
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教会の南側には、ロマネスク芸術センターがあり、その黄道十二宮の浮彫彫刻のオリジナルを見ることができる。向かって左側が処女宮(おとめ座)で、右側が天秤宮(てんびん座)である。
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こちらは人馬宮(いて座)になる。なお、他には中世の生活の様子(食事、住宅など)を再現した展示などがある。
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次にイソワールからD996号線で25キロメートルほど西方に位置する「サン・ネクテール」(St-Nectaire)に向かった。

サン・ネクテールは、チーズ名で世界的に知られているが、その由来となった町は、ピュイ=ド=ドーム県の西側、火山帯モン ドール(ドール山脈)の岩塊が織りなす700~800メートルの標高にある。人口は、700人程度の寒村で、南側の温泉地区ル・バと、北側の教会のあるル・オー地区とに分かれている。

イソワールから、小さな村や眺めの良い草原を抜けていくと、次第になだらかな登りになっていき、出発30分ほどで通りの左右に、ホテル、バー、レストラン、ショップなどが立ち並ぶ「ル・バ地区」に到着する。その数百メートル続く、ル・バ地区を過ぎ、大きな岩山を避けるように右にカーブすると、先の岩山(コルナドール山)上に尖塔のある教会が望める。
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そして、コルナドール山の手前を大きく左に曲がり、先の交差点(三叉路)を、標識「D150 St-Nectaire-haut OLLOIX、Mairie-Eglise」に従い、右折し、大きく右に弧を描くように急な上り坂を上り詰めると、見晴らしの良い小さな広場に到着する。その広場中央に建つのが目的地の「サン・ネクテール教会」(Eglise St-Nectaire)である。


サン・ネクテール教会は、3世紀に亡くなったオーヴェルニュの伝道者、聖(サン)ネクテールに捧げられた教会として、12世紀半ば、オート・ロワール県ラ・シェーズ・デューの聖職者たちによって、火山岩のトラカイト(粗面岩)を材料にして建てられた。

イソワールのサン・オストルモワヌ教会、サン・サテュルナンのノートルダム教会、クレルモン フェランのノートルダム・デュ・ポール教会、オルシヴァルのノートルダム教会に並ぶ、オーヴェルニュの5大教会堂の1つに数えられている(こちらは、5大教会リーフレットのサン・ネクテール教会紹介ページ(英語版))。

高いファサード、交差部の八角形の鐘楼、マシフ・バーロン、南北の袖廊、シュヴェ(屋根組み)のある後陣(内陣)・放射状礼拝堂などを備えた「オーヴェルニュ・ロマネスク様式」の教会堂である。放射状礼拝堂の外壁にはアーチ窓を飾るモザイクや縁取り装飾、後陣(内陣)には多色のバラ窓モザイク装飾などが施されている。
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長方形の平面を持つバジリカの長さは、イソワールのサン・オストルモワヌ教会と比べると短く、4つのアーチベイで構成されている。時間は、午後4時半を過ぎており、あまり見学時間が取れなくなったが、取り急ぎ、南身廊に向かって左から三番目のアーチベイの下にある扉口から教会内に入る。
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教会内は、身廊を支える円柱の色彩が経年劣化により色落ちしているが、淡い光と相まったクリーム色が、温かみのある空間を演出している。
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教会の見どころは103にものぼるロマネスク様式の柱頭彫刻である。最初に、北側廊のナルテックス側から内陣方向に歩いて行くと、中央交差部左手(北側廊壁)に「ファラオの王女によりナイル川から拾われるモーセ」を主題とした柱頭がある。モーセはパピルスのかごの中の赤ん坊で、それぞれ個性的な表情が印象的な作品となっている(以降、サン・ネクテール教会のプランを参照)。
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すぐ先の中央交差部の手前の北身廊の柱頭には、「リュラー(楽器)を奏でるロバと山羊にまたがる人物」が表現されている。中でもロバの表情が愛らしく、絵本に登場するキャラクターを思わせる。
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中央交差部の先の南身廊の柱頭には「セイレーンとトリトン」が表現されている。2本の尾びれを左右の手で掴むのはお馴染みのポーズだが、尾びれが途中からアカンサスの葉に変わりその先にグリーンマンが登場する構図がユニークな作品。イソワールのサン・オストルモワヌ教会ほどではないが、彩色も良く残っている。
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内陣と周歩廊とを隔てる円弧状に連なる6本の円柱の柱頭彫刻が、特に見どころである。僅かに彩色も残っており、左側から時計回りで、キリストの受難、キリストの奇跡、聖ネクテールの伝説、黙示録、最後の審判、キリストの復活と続いている。内陣には、説教台があり、円柱の下部には、簡易な椅子が置かれているだけなので、どの柱頭面も回り込んで鑑賞しやすい。なお、内陣や周歩廊の雰囲気は、やや小ぶりだが、クレルモン フェランのノートルダム・デュ・ポール教会と良く似ている。
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一番左端の柱頭「キリストの受難」の内陣側の柱頭面には、中央にキリストが十字架を担いで歩き、左側には、キリストの肩を押す兵士、剣と盾を持つ兵士と、隣の柱頭面の鞭が入り込んでいる。右隣は、聖ヴェロニカか。。続けて「キリストの受難」の柱頭面(4面)を時計周りで見ていく。
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次の柱頭面が、ユダヤの民を惑わしたとして捕らえられたキリストが、ローマ総督ピラトの命によって鞭打ちの刑に処される場面で、大木を抱きかかえるように腕を縛られ顔をそむけるキリストと、左右に鞭を持つ執行人が表されている。
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周歩廊側に面した次の柱頭面は、ユダの接吻で、ユダが、キリストを売る為、ユダヤ祭司長から、誰がキリストか分かるように、接吻をしろと言われて行った行為を表す場面である。
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最後の柱頭面は、主が復活されたと聞いても、信用しなかったトマスが、キリストから私の脇腹に手を入れる様に諭され、恐る恐る行った結果、復活を心から信用したとされる場面である。
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左から2番目の柱頭「キリストの奇跡」の内陣側の柱頭面には、キリストがペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に登り、預言者モーセとエリヤと語り合いながら白く光り輝く姿を弟子たちに示した(キリストの変容)場面が表されている。
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キリストの変容の裏面となる周歩廊側の柱頭面には、5つのパンと2匹の魚を増やし5千人の人々に食べさせるといった、パンと魚の奇跡の教会が表されている。
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こちらは、3番目の柱頭から6番目の柱頭までを内陣側から見上げた様子で、聖ネクテールの伝説、黙示録、最後の審判、キリストの復活と続いている。
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3番目の柱頭「聖ネクテールの伝説」の内陣側を向く柱頭面には、聖ネクテールが福音を説いていた際の出来事で、葬儀参列の人々からブラドゥルスを生き返らしてほしいとの願いを聞き、聖ネクテールが、十字架の杖をブラドゥルスに当てて起き上がるように命ずる場面が表されている。
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こちらは、右奥の4番目の柱頭から左手前の6番目の柱頭までを、周歩廊側から見上げた様子。4番目は「黙示録」で、青白い人物が、折り重なる死者の中から、甦る姿が表現されている。ちなみにその反対面には、第四の封印が解かれた際に現れる青白い馬に乗った騎士が表現されている。そして、手前の5番目の柱頭には、左右の天使が碑文を掲げラッパを吹いている場面で、6番目の柱頭は、キリストの地獄への降下の場面となっている。
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内陣側から、5番目(左側)「最後の審判」と、6番目(右側)「キリストの復活」を見上げてみる。5番目の柱頭角には、審判を下すキリストが表現され、6番目の柱頭には、キリストの墓の横で眠る兵士の姿が表現されている。
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こちらは、周歩廊の放射状祭室側の柱頭で「キリストとザアカイ」を主題にしている。正面がキリスト、左端がザアカイで、いちじく桑の木の枝にまたがっている。
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そして、中央チャペル(中央放射状祭室)には、ロマネスク様式の多彩色がほどこされた12世紀制作の木像の聖母子像(コルナドール山の聖母)がショーケースに入れられている。目線やや下の位置にあり、周囲から鑑賞できる。聖母子は、手が大きく表現されているが幼子を抱いていないので、別々に制作されたのだろう。
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像全体の造りは、ムサージュの聖バーソロミュー教会の聖母子像と似ており、他にも同じタイプの像は、クレルモン フェラン(ロジェ・キリオ美術館所蔵)や、オルシヴァルのノートルダム教会にある。

最後に教会所蔵の聖遺物箱を見学した。金板に象嵌細工が施された12世紀制作の宝物や、3世紀末にオーヴェルニュを伝道した司教の聖バウディムの胸像(12世紀)などが飾られている。胸像の目は象牙で、衣服には、貴石等が埋め込まれていたが、大半が失われている。
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サン・ネクテール教会では、1時間ほど見学して午後6時前に出発した。D996号線をイソワール方面に戻り、途中から、D978号線(A75(Clermont)標識あり)を経由し、高速道路(A75号線)に向かった。今夜は、北に約100キロメートル離れた「ヴィシー」(Vichy)に宿泊する予定にしている。ヴィシーはアリエ県のコミューンで、第二次世界大戦期にはヴィシー政権が置かれた場所としても知られている。

走行距離約100キロメートルの内、三分の二が高速道路だが、途中、集中豪雨に遭遇し時間を要したため、今夜の宿泊ホテル「Les Nations」に到着したのは、午後8時半だった。県道では、またたく間に道路が冠水していき、間一髪通過できたものの、タイミングによっては、足止めを余儀なくされる可能性もあった。ちなみに、夜のニュースでは、場所は分からなかったが、車が浸かり、一面冠水した町の様子が放映されていた。。

ホテル「Les Nations」は、アリエ川の一筋東側のリュシ通り(Russie)沿いの、東側の戦争記念碑が建つ小さな公園に面して建っている。正面入口側は狭く、東西奥行が長い長方形のホテルで、案内された部屋は4階南向きの小さなベランダ付きだった。室内は、白を基調に、ブラウン系のカーペット、木製の小さな調度品など落ち着ける雰囲気。動線も広く、バスルームはバスタブ付きシャワーユニットなのが良かった。


荷物を部屋に置き、急ぎ、予約しているレストランに向かった。ホテルからは、北に350メートルほどの距離で、ルレ・シャトー(Relais & Chateaux)ホテルにある「メゾン デコレ(Maison Decoret)」が、今夜の予約レストランである。


なお、レストランの東側は、広大な面積を誇る、ホテル、歌劇場、カジノ、温泉施設などが設置されているスルス公園(Parc des Sources)で、食事前に散策する予定にしていたが、一瞥するだけになった(ヴィシーは、30か所を越える噴泉口がある温泉保養地として知られている)。

メゾン デコレは、1996年にM.O.F.(Meilleur Ouvrier de France)を受章したジャック・デコレ氏(Jacques Decoret)のレストランである。M.O.F.とは、フランス文化の最も優れた継承者たるにふさわしい高度の技術を持つ職人に授与される称号で、日本の人間国宝に相当するそうだ。ミシュランガイドでは1つ星でもあり、かなり期待が高まる。
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到着時間がやや遅かったこともあり、やや広めのダイニングルームのテーブル席は、既に8割ほど埋まっていた。しかし、テーブル間の距離はゆとりをもって配置されており、混雑した印象は受けなかった。メニューを見ると、前菜1品にメイン魚肉の選択(1entree,poisson ou viande,fromage,dessert,68eur)の「メニュデクヴェルト(Menu Decouverte)」と、前菜2品にメイン魚肉2品(2entree,poisson et viande,fromage,dessert,82eur)の「メニュハルモニ(Menu Harmonie)」の二種類のコースがある。
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喉が渇いたので、ビールを飲みながら、ワインは地元産(ヴィシー近郊ソルセ村)の赤ワイン、サン・プルサン・ピュイ・レアル(Saint-Pourcain puy Real)を注文する。最初のアミューズは、冷たいジャガイモのスープ。
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アントレ(前菜)は「ブラウントラウトのフィレ」。フランスでは、トルイット・ファリオ(Truite fario)と呼ばれ、鮭やニジマスと比べると、油分はやや少なく、さっぱりとした味わいが特徴。表面に赤い斑紋がある。多くのレストランで提供されるが、こちらは、ヴィシー近郊のフェリエール・シュル・シション(Ferrière sur Sichon)産とのことで、旬の時期とも重なり、身の柔らかさや甘みなど新鮮さが際立っている印象。大胆にも三切れある。。付け合せは、パイ生地の上にクレソンとアボカドペーストが乗せられている。
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もう一つの前菜は「ランド産鴨の冷製フォアグラ」。ランドは、ボルドーのジロンド県の南隣の県で、フランスでは、ドルドーニュ県と並び、一大主産地となっている。ガチョウとは異なり、あっさりした味わいで、舌の上で溶けていく印象なので、前菜にはぴったり。ブラン・マンジェのソースに白アーモンド、イチジク、ウイキョウが添えられている。
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冷製コンソメジュレで口直し。
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そしてメインの魚は「シタビラメ」である。フランスでは、バターをたっぷり使って料理される一番人気の魚料理。こちらは、オレロン島産のシタビラメの切り身を、ヘーゼルナッツ バターで焼き上げ、刻んだパイナップルの上に載せ、ジュ ド ヴォーがかけられている。香ばしい香りが食欲をそそられる。ムースリーヌとカリフラワーがトッピングされている。
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個人的には、カリッと焼き上がった表面と、中の柔らかな白身とのコントラストを楽しみたかったかも。

メインの肉は「ピレネー産の子羊(ラム)のロースト」。ほんのりと赤みが残る焼き具合で、肉のうま味を十分に味わうことができる。ソースには蜂蜜とヴィネガーのマヨネーズが使われ、カブやクレソンなどが添えられている。
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チーズ(フロマージュ)はオーヴェルニュ・フロマージュで、ワゴン内からチョイスする。向かって右奥が、カンタル、サレール、サン・ネクテールなどで、左側が、青カビタイブなので、ブルー・ドーベルニュやフルム・ダンベールだろうか。。
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少しずついただくことにした。
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そして、アヴァンデセール。
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デセール(デザート)は「スペキュロスとマンダリンアイスクリーム」で、上蓋のある円柱の焼き菓子の中に、ムースとスペキュロス(ビスケット)が入っている。
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別途追加で、エスプレッソを頼んだ。最後にプティ・フールが出て終了である。
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トラウト、フォアグラ、シタビラメ、ラムのローストなどフレンチの王道とされるオーソドックスな素材が中心だったが、さり気なく添えられた新鮮な野菜やソースとの相性は絶妙で、料理全体のうま味や洗練さを高めていた印象。ポーションはやや少なめだったが、コースを通しての満足度は十分で、最後まで美味しくいただけた。
(2013.07.26)

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