カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

インドへの旅(その5)ブッダ・ガヤー

2013-03-13 | インド(仏跡)(その1)
インドは、仏教発祥の地であり、開祖である仏陀の活躍した舞台は、ガンジス川の中流域を中心に、およそ東西400キロメートル、南北300キロメートル、インドのビハール州とウッタル・プラデーシュ州、インド国境と接するネパールにまたがっている。
後世の人々は、仏陀の誕生から入滅までの仏教における重要な地を四大聖地、八大聖地と名付け、仏教を信仰する多くの巡礼者が訪れてきた。
今回、八大聖地を列車とバスで巡るつもりで計画してきたが、現地の交通事情が予想以上に悪く、全て自力で巡るのは日程的にかなり難しいことがわかった。検討した結果、10日間、車をチャーターして巡ることにした。運転手はカウシャーンビーに行った際のヴィージェイにお願いした。目的地は次の地を予定している。
ブッダ・ガヤー(※)、ラージギール(※)、ナーランダー、パトナ、ヴァイシャーリー(※)、ケッサリア、クシーナガル(※)、ルンビニー(※)、ティラウラコット、ピプラーワー、シュラーヴァスティー(祇園精舎)(※)
(※)は8大聖地。
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最初に最も近いブッダ・ガヤーから訪れることとした。ブッダ・ガヤーは、ビハール州のガヤー市の南方にあり、仏陀が悟りを開いた地として八大聖地の内、最高の聖地とされている。
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バナーラスから近いとはいえ、ブッダ・ガヤーまでは約250キロメートルの距離だ。カウシャーンビーと逆に東にハイウェイ(AH1)を230キロメートル行き、北に20キロメートル一般道を走行する。インドの道路事情を考えると、決して近いとは言えない。お世話になる車は、タタ自動車「インディゴeCS」、ボディは白、1.4リッターのディーゼルエンジンを搭載している。
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今回チャーターした旅行会社のボスは、何としても10日後には、バナーラスに戻って来いと言う。バナーラス最大のプジャーの祭りがあるのが理由らしい。正直、祭りにはあまり興味はなかったが、ともかく、この日程で、朝9時にバナーラスを出発した。ハイウェイに乗ると料金所が現れた。しばらく走行すると再び料金所があり、そこで料金を払う。その後は料金所は現れなかった。
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途中ハイウェイ沿いのレストランで昼食とし、ターリー(ノンべジ)を食べる。100ルビー。ビールがないのが残念である。ちなみに、インドの場合、レストランでオーダーする際、まず最初にノンベジタブルかベジタブルかを聞かれる。
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カウシャーンビー方面(西側)とは異なり、東に向かうハイウェイでは、多少の歩行者はいたが、逆走車や横断者などには遭遇しなかった。ハイウェイを降りて一般道を走行すると、前方のような無茶乗りする人々の光景などが見られた。
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14時過ぎにブッダ・ガヤーのホテルに着いた。多少時間がかかった印象だが、運転手のヴィージェイは、予定どおりだという。カウシャーンビーと違い、定番のコースらしく、頻繁に観光客を連れてくるようだ。ホテルは、ブッダ・ガヤーの中心であるマハーボディー寺院から西方向に直線距離で1キロメートルほど行ったところである。
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地図を見ると、考古学博物館がホテルから300メートルほどの距離にあるので行ってみることにした。すると、ヴィージェイは、車で送っていくという。このあたりは、治安が悪いらしく、特に日本人は多額の寄付を強要されたり、犯罪にまきこまれたりするという。それではと車で送ってもらうが、もちろんあっという間である。帰りも迎えに来ると言うが、見学時間も読めないし煩わしいので、声をかけられても、無視するようにとのヴィージェイ忠告を守ることで、歩くことにする。
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入館料金は、10ルビーと安いが展示物は少ない。撮影は禁止であった。この博物館のウリはマハーボディー寺院にあった紀元前1世紀頃の欄楯(らんじゅん)である。現在のマハーボディー寺院の欄楯は、一部を除きレプリカである。30分ほど見学したが、後になって思い起こすと、マハーボディー寺院の見学後に再度訪れておくとより印象深いものになったかもしれない。

その後、ブータン寺、チベット寺院、印度山日本寺などを見学して、
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マハーボディー寺院に向かう。近くに車を止めて、歩行者専用道路を歩いていく。
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さすがに世界中から仏教徒が訪れる大聖地である。この時間でもかなり混雑している。2002年には世界遺産にも登録されている。靴を預けて入場すると、正面にマハーボディー寺院が見える。高さ52メートルの方錐形で高々とそびえているが、階段の上から眺めているせいか、あまり威圧感は感じない。
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ライトアップされたマハーボディー寺院は幻想的である。しかし、周りの欄楯や大塔の浮彫などはよく見えない。再度翌朝来ることにし、30分程見学して19時ごろホテルに戻った。
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ブッダ・ガヤーは聖地であるため、レストランやホテルではアルコールの提供がされていない。結局、最寄の酒屋でビールを3本(230ルビー)買う。酒屋には、鉄格子があり、手を差し入れて購入する。。ビールは、外から見えないように黒のビニール袋に入れてくれるが、素早くバッグに忍ばせて、ホテル客室内で2人で祝杯をあげる。。
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インドではポピュラーな銘柄のキングフィッシャー・ストロングである。アルコール度数が8%と高いため飲み甲斐がある。すっかり出来上がって夕食に向かう。インド人向けレストランで食べることにした。ブッダ・ガヤーは、観光地のため物価が高いため、多くのガイドはそこで食事を済ますそうだ。近くのホテルのレセプションでチケットを買い、そのホテルの裏のレストラン(というよりほとんど小屋)に向かう。
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怪しい雰囲気であり、不安を覚えたが、皆が食べているターリーを食べる。しかし、これが美味しかった。うまいうまいと言うと、周りで食事をしていたインド人が皆そうだろうと言う顔で笑っていた。値段は30ルビーという安さである。
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翌朝、10時に再度マハーボディー寺院に訪れると、既に巡礼者や観光客でいっぱいである。昨日同様に、靴を預け、階段を下りて大菩提寺の境内に向かう。
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階段下の両脇にストゥーパが並んでいる。ストゥーパには、仏像が細かい浮彫がなされている。
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目の前にトラーナ門をくぐり大塔に向かう。今日は快晴で気持ちが良い。じっくり見学できそうだ。
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右手にも多くのストゥーパが並んでいる。ストゥーパの奥には、巡礼者や僧侶が経を唱えていた。
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参道の左側には仏足跡と小さなブッダパダ寺院がある。
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最初に大塔内の仏陀坐像像にお参りする。正面入口には、多くの警備兵が目を光らせており物々しい雰囲気である。
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この坐像は降魔成道像で11世紀の石仏と言われている。大塔は二層構造になっており、一階の黄金の降魔成道像と二階には立像があるはずだが、二階には登れないようだ。塔内は狭い上、多くの人で込み合っておりとても長居できない。
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次に大塔の周りを巡る。
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仏像はもちろん周りの浮彫の細かさが見事である。
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昨夜は良く見えなかったが大塔外壁は驚くほど細かい彫刻がなされている。玄奘三蔵(602~664)がこのブッダ・ガヤーに訪れた際、「菩提樹があり東に精舎がある。高さ160~170尺、下の基壇の広さが20余歩ある。何層にもなっている龕には、金像が入って四方の壁には珍しい彫刻がされている」と記録している。高さも、珍しい彫刻表現も、現在の大塔の姿と酷似していたことがわかる。
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大塔頂上の傘竿部分の浮彫も細かい。
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ヴィージェイがインド人僧侶と話しをしていたので近づくと、僧侶は日本に何度も訪れていると日本語で話し始めた。多くの巡礼者や観光客がブッダ・ガヤーに訪れるが、ヴィージェイのように勉強していないガイドが多いと嘆いていた。僧侶は、私に対してガイドし始めた。煩わしかったが、ヴィージェイも止めないので、彼の話を聞きながら大塔を回ることにした。僧侶によると、大塔を取り巻く欄楯は全てレプリカではなくオリジナルの欄楯が3か所あると言いその方向を指差した。たしかに、レプリカとは色が異なる。あとの説明は把握している内容ばかりであった。
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大塔の西側に回ると、石垣で囲まれた菩提樹がそびえていた。現在の菩提樹は当時のままではなく5代目になる。アショーカ王の時代にスリランカに仏教が伝わったが、その際にブッダ・ガヤーの菩提樹の枝も伝わったという。その後、ブッダ・ガヤーの菩提樹は枯れてしまったので、スリランカのアヌラーダプラのひこばえを植えたといわれる。つまりは菩提樹の里帰りである。
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石垣の中には金剛宝座がある。ここが仏陀が悟りを開いた箇所で最も聖なる場所である。もちろん、仏陀が生きていた時代は、菩提樹のみで他に建造物はなかったわけである。菩提樹のみを見つめ仏陀の時代をイメージし仏陀への思いをはせた。
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金剛宝座は、紀元前3世紀アショーカ王時代に砂岩で作られたものであり、以前は、金剛宝座のそばまで行けたのだが、麻原彰晃が勝手に座ったため、その後柵ができた。柵中にいる僧侶にカメラを渡すと代わりに撮影してくれる。
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金剛宝座の周りや欄楯の外側にも、多くの巡礼者がひれ伏し経を唱えていた。
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この場所で悟りを開いた仏陀は、7日毎に場所を変えて49日間、悟りへの喜びを味わいながら散策すると足元から蓮華の花が一輪ずつ花開いたという。大塔の北側には、このことをイメージした蓮華の花が並んでいる。
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仏陀の歩んだ場所を順々に周り、南側の蓮池に向かう。途中に柵で囲まれたアショーカ王柱が建っている。
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蓮池に向かう途中でも様々な国の巡礼者や僧侶らが瞑想したり、五体投地を繰り返していた。インド人僧侶はたびたびヴィージェイの仏教への無理解を繰り返すので、いやになっていたところ、姿が見えなくなったので、蓮池に向けて急いで歩いた。

四角形に整った蓮池の中央には、竜王に護られた仏陀像が祀られている。仏陀が悟りを得て菩提樹のもとで過ごしていた時、大雨に見舞われたが、ムチャリンダ竜王が仏陀をとぐろ巻にして雨風から護ったとされる場面を再現している。
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蓮池の見学後、歩行者道路に出たあたりでまたインド人僧侶が現れ、自分の店を見てほしいと誘いをかけてきた。お店には入ったものの全く買う気がないことに気付かれたのか、買わないなら出て行ってくれと急に語気をあらげた。
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ヴィージェイに態度がまずかったのか、尋ねると、嬉しそうにノープロブレムと言っていた。
(2012.11.19~20)

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