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<映画関ヶ原に学ぶ 三成道 ー初志貫徹の美学ー @大原観音寺>

2017-10-29 | Art

映画関ヶ原とタイアップした企画を7月からいろいろとされていた「三成道」ですが、今回最終日には「歴史トークイベント 関ヶ原の合戦から見る・石田三成像」というトークショーが、大原観音寺の本堂で行われました。
台風の中出かけた甲斐あって(笑)とても面白いお話が聴けました

第1部は、関ヶ原町立歴史民俗資料館の前館長・草野道雄さんが、関ヶ原合戦図屏風や現地の写真をスライドで示しながら、関ヶ原の戦いを解説してくださいました。
屏風は、右側の第1・2扇から、左側の第5・6扇にかけて、関ヶ原開始の朝から夕方にかけての時間経過を経て、描かれていました。
なので、井伊によって開戦し、最後大谷陣では吉継が自害しているところが描かれています。
各有名武将の陣地取りの経過も、屏風の拡大図を示しながら解説してくださいます。
なので、改めて教えてもらうと、以前は関ヶ原ってだだっ広い平野で戦をしたのだと思っていたけど、実際は山に囲まれた狭い範囲での戦いだったんだなって良く分かったし、家康と三成がとっても近い場所に陣が張ってあるのだと分かって、なんか・・・すごい怖いじゃん、この戦さ!ってびっくりしました(笑)

武将に従う部下にもそれぞれの立場や考え方があったというのがとても面白いし、だからこそ、一層その時代の人々というのが身近に感じられました。
映画観てて良く分からなかった、「井伊に始まり、井伊に終わる。鉄砲に始まり、鉄砲に終わる。」というのが納得できたし、それにまつわる長政や島津勢の動きも理解できたし。
実は小早川秀秋って、とっても良い場所に陣取ってるんだなぁって、逆にちょっと不思議に思ったり。
秀吉の甥だから?
それともやっぱり東軍側だったから良い陣を狙ってぶん捕ったから?
などなど、またしても謎が増えたり。
秀秋の部下も、西軍・東軍それぞれの考え方があって、実際に信念を曲げなかった人も居たりして。

これほどまでに大きな2択って・・・いつの時代だって実はそうなんだろうけど、文字通り、運命の選択だったろうし、そう思うと今更ながら、もう・・・途方にくれるなぁと(´・ω・`)

それに、各陣の動きを見てると、本当に辛くなるくらい、(ざっくり言って)石田・大谷・宇喜多隊しか戦ってなくて、なんだこれは・・・となってしまった・・・。
ひ、酷い・・・
味方であるはずが動かない大軍たちを見て、しんどかったろうな。。。悲しさと悔しさと、あっただろうな。。。
と、現在絶賛 三成贔屓中の私は(笑)泣きそうになりました(笑)
もっともっと細かくいろんなエピソードをお聞きしたかったです!関ヶ原行きたい!


休憩を挟んで第2部は、三成の15代目子孫・石田秀雄さん、小早川家当主・小早川隆治さん、映画関ヶ原で大谷吉継役を演じられた大場泰正さん のトークショーがありました。
秀雄さん、隆治さんが入ってこられて、最後大場さんが入ってきたら、もう大歓声!
大谷吉継の衣装を着て来てくださったのです
や~、、、大谷吉継の衣装は、ちょっと他の武将と違ってミステリアスな所があるから、、、ミーハー心に火が付くよね(笑)
メモってることをつれづれと、ニュアンスで。

◎石田秀雄さんの挨拶
家康は、石田三成自身は処刑したけれど、家康自体は命を大切にする人だったので、三成の子供たちは皆 生かされた。
自分の先祖も、三成の嫡男・重家公(関ヶ原当時は小早川秀秋と同じ19歳。ていうか、三成ってすでに隠居してたんだ・・・って驚いた)の妻が、佐和山城の落城後に越前松平へ落ち延びて、そこで石田家が続いてきた。
というわけで、『徳川さんには感謝してる』とのこと(笑)

・・・確かに、家康は豊臣家は滅ぼしたのに、石田家は捨て置いたというのは気になってたところで。
戦国時代においては、ある意味変則的だったのかなぁ?
映画でも、北政所が秀秋に「石田の血は残す」と伝えているのが、ちょっと良く分からなくて不思議だったんだけど・・・何か戦略的な意味や必要性があったのかしら・・・?

◎小早川隆治さんの挨拶
小早川家は、秀秋が21歳で亡くなった時点で一度は断絶している。
明治になってから復興され、毛利から養子が入って繋いできたので、ようやく隆治さんが400年ぶりの嫡男として生まれてきたとのこと。
「お粗末な嫡男ですが~」とか謙遜されるもんだから、会場が和んでました(笑)

◎大場さんの挨拶
キャスティングは撮影の2年前くらいからお話があったので、歴史を勉強を一生懸命した。歴史ファンの人に比べたら恥ずかしいくらいだけど(笑)特に西軍や、大谷吉継を重点的に勉強したとのこと。
大谷吉継は出自すら良く分かっておらず、司馬先生は近江説を採用しているが 色んな説があるから、また謎が謎を呼ぶし、勉強するにもキリがない。
あとは直感で探るしかないというか。
夏に16代目の(大谷吉継の子孫の)大谷裕道さんにお会いしたけども、その方でも、実際のことは良く分かってない、でも多分近江じゃないか、と仰っていた。
僕は、近江出身だと思ってます(笑)

◎映画の気に入ったシーン
*石田さん:これまでなかったような、岡田さんが馬に乗ったり、そういう武の部分が出ていたのが、嬉しかった。
*小早川さん:「最初に言いますが、自分は歴史に疎くて・・・」と(笑)
秀秋は、優柔不断の青二才とか、裏切り者と言われてきたけども、映画の中ではちょっとそういうイメージとは違う姿で描かれている。
歴史家の方がいろいろ再分析してくれるようになってきているんだなという印象。
*大場さん:
メイクが1時間くらいかかる。死ぬ時の秀吉は全部で5時間くらい、次に平さん、その次に自分。眉毛も剃ったりしてる。
これも、実際はどうだったかというのは分からなくて、ハンセン病じゃ無かったんじゃないかとかいう話もあるが、今回はハンセン病ということで作ってもらっている。
実際の史実がどうか、というよりかは、病を押してまで三成に付いていくというところを表すところで、心理的な負荷を掛けるという意味で、僕はすごく助かった。

ー合戦シーンは、馬ではなく神輿に乗っているが、やっぱり大変だった?
大変なのは僕ではなくて担いでいる方(笑)
多分エキストラじゃなくて、俳優さんがやってくれて、練習もしてくれていた。
映像よりももっと長い間を、かなりのスピードで走ってくれている。
大体、大谷吉継のシーンは采配をもって指示するという姿が多いが、監督がどうしても戦う姿を撮りたいとのことで、長巻を持って戦うという設定になった。
実際史実では良く分からないが、16代に言わせると手がもう動かないので、手に括り付けて戦ったのではないか、という説もある。
自分では尺骨側が麻痺しているという設定にしていたので、小指を使えないから、それをやるとなかなか握れなくて大変なので、ちょっと嘘をついている(笑)
それでも撮りたかったという。
原田監督は人物の造形について、典型的ではない方(例えば三成なら頭の良さとか)、そうじゃない面、文武両道の面に光を当てている。
大谷吉継に関しても、官僚の頭がいい面だけじゃなくて、武人としての兼ね備えている人物像を表したかった。

◎原田監督について
怖いというか、普段は優しいし冗談も良く言うし、石田さんはこの間会われて意気投合されていたけど(笑)
あの作品を撮るのは並大抵の精神力では出来ないから、僕は別に肩を持つつもりではないが(笑)わざと鬼になった、鬼を演じてた、と監督は自分では言ってた(笑)。
実際は半分は本当に怒っているだろうけど(笑)半分は演じてたんじゃないか?(笑)
それくらいハードな撮影だったし、実際に軍を率いている将軍にならないとあの画は撮れなかったと思う。

◎大谷吉継を演じての周りからの評価は?
良かった(笑)
監督は、三成との友情に絞って表現している。
大谷吉継は、すべての出会い(三条河原での 三成と左近との出会い、初芽と三成との出会い)に立ち会っている。
最後の、小早川に会いに行け、というシーンも、原作では大谷がそう言う前に三成は小早川と会っているが、それを変えてまで出会いを大谷刑部の役割にしている。
全ての友情を取り持っている。
最後の割粥のシーンで、三成と対面しないで同じ方向を見ている。それは志を同じ方向を見ている、三成と同じ気持ちだよ、ということを表している。
粥を渡すシーンだけ向き合って交流している。
お茶の膿のエピソードとか、そういうことをやらずにどうやって表現していくか、という。
俳優としては高級なことを求められていた。

◎岡田くんが演じる石田三成どうだったか
岡田さんは俳優というより、武闘家(笑)
石田三成は、大谷吉継よりも全てにおいて少し先に出世して、自分を引き上げてくれてる。
岡田さんも自分より少し年下で、実際の三成も大谷よりも少し年下だった。
俳優として少し前を歩いていてくれているのが、すごく自然に感じられた。
僕のこともリスペクトしてくれていて、日本のいちばん長い日観ました!って言ってくれて、かなり仲良くやらせてもらったので、演じる必要がないくらいだった。

◎石田さんから見た映画の三成は
石田三成は、冷徹で人の言うことを聞かないという姿が多かったけど、今回は正義感丸出しで、これまでのイメージとは違う。
三成の再評価を促すシーンが沢山あった。
初芽に対する言葉遣い、気遣い、部下に対する気遣いなど、人間的な部分。
これまでは人間的なところが無いように描かれているし、実際そういう人間だったのかもしれないけど、今回は人間三成が描かれている。

ーこれまでその固定化されたイメージで苦労したことは?
特別の苦労はないが、友人によると三成をいいイメージで言わない。私がそこで怒っても仕方ないのだけど(笑)
今、ようやく声を上げて三成の人間性をアピールするいい機会だ、頑張ろうと思っている。

ー今回の映画の影響は何かある?
原田監督が丹念に作った、これこそ関ヶ原合戦、大谷吉継、三成、秀秋だ、というのを皆が納得できる映画になってたので、良い形になっていた。
これまで秀次事件や千利休事件がすべて三成のせいだって言われて来たから、『これじゃぁ死んでも死に切れんなぁとと思ってた』 というのが私的にかなりツボだった(笑)会場も笑い。
これなら死に切れるかな、と、だって(笑)

ー石田家の柿のエピソード
歴代の過去帳とかを見ると、養子がない、嫡男なのでDNAが濃くなってるのか。
特に自分の父と長男が酷い(笑) 性格も、自分だけが正義だと思ってる(笑)
性格も体質も、受け継いでいるから、こういう今日みたいなイベントがあると大変なことになる。 ←笑
受験の時とか、結婚式とか。
過敏性胃腸症というけど、我が家では「三成腹」と言ってる。
お腹下すと、「お前、また三成腹か」という会話が家の中に飛び交っている。

◎小早川家について隆治さんへ
死人に口無しと言うか、秀秋は関ヶ原の2年後に亡くなっているから、世間の評価を覆すような働きをする暇がなかったというのもある。
それに、特に若いということ。
3歳で養子に入って、7歳で大名になったという、大人に振り回される生活を過ごしてきた。
その中で、お兄さんみたいに思っていた秀次の自害・処刑が、若い秀秋にショッキングな出来事だったんじゃないだろうか。
毛利に養子に出るということになったけど、小早川隆景が、毛利よりも小早川のほうがいいのではないか、と養子にしてくれたのが、良い転機だったというか、隆景との関係はとても良好だった。
15歳で朝鮮出兵の総大将となったけど、普通はそういうことはあり得ない。
帰って来てからも仕置きを受けたりして、いろんな複雑な心理的なものがあったのではないだろうか。
家老の平岡頼勝、稲葉正成の2人とは、親子同然の関係にあったので、着陣した時から家老との間ではもう東軍として戦うことになっていたのではないだろうか、とも思う。

◎石田さんは、そもそも小早川は東軍だったので、裏切りではない、と考えている。
松尾山は毛利輝元が布陣する予定だったのだけど、輝元は参戦しなかった。
突然、東軍の心を持った秀秋が 西軍を追い出して松尾山に布陣したので、そこに一番焦ったのは三成だった。
途中で三成が秀秋の懐柔を働きかけて少し揺れ動いたというのはあると思うけど、東軍として最初から入ってるのだから、裏切りにはならない。
三成の息子と同じくらいの人が、400年経っても裏切り者だといわれているのが、可哀想で仕方がない。
だから、いま僕は、小早川さんとは仲良しで、大の親友ですよ。 ←会場盛り上がり(笑)
小早川が裏切ったというようにしとかないと、つまらないから、そうなってけどそれは酷い話なんです。

◎小早川さんは小さいころ裏切り者とか言われたことは・・・
覚えてる限り、無い(笑)
本当はもっといろいろ勉強しとけば良かったんだけど、これまでクルマ一筋の生活だったので。。。今回、いろんな方々とお会いできるのが嬉しく思っている。

小早川さんは、マツダのRX-7の開発に携わってこられた方で、ル・マン優勝、北米マツダの副社長を務められた 実はすごい方でした御年なんと76歳
御父上がクルマが大好きで、戦前日本でのクルマのレースに出場したり、日産の技術者をしていたので、御父上とは クルマの話しかしたことがない、と。
三原市とはご縁が深い小早川家だけど、別にその縁があってマツダに入ったわけではない(笑)
日本のクルマづくりが30年後世界をリードできているかどうかは、とても疑問。
というのは、自動運転や電気自動車など、過去のクルマの技術とは全然違うものが必要となってくる。しかも中国がその気になれば明日にでも電気自動車を作れるくらいの技術がある、その中で今のままではいけない。
・・・などなど、少年のような瞳で語ってくださいました(笑)
『途中から、何のトークショーなのか分からなくなりましたが(笑)』 と司会の方が(笑)

クルマ関係のジャーナリストもされているとのこと、これからもご活躍をお祈りしております。

◎大場さんが何か言いたくて仕方がないという顔をされていましたが(笑)
『強引に話を戻しますが(笑)』、と(笑)
確かにクルマの話になると止まらない小早川さん(笑)

秀秋が亡くなったのが、大谷吉継の祟りだとか言われたりもしてたけど、、、
映画では最初から大谷が秀秋の陣を向いていたりするので、最初から秀秋は東軍だったという説も無くはないと思う。
途中で三成に小早川に会いに行けというくらいだから、その中でも、三成と何かしら通じる部分があるんじゃないか、と感じていた面があったと思う。
吉継は、自分が戦場で死ぬと分かっている状況でじゃあ何のために死んでいくのか、というところで、やっぱり三成を残していきたいというか、三成の精神、三成の求めている方向性を残していこうと考えていたと思う。
そういう三成が魅力的でないわけがないと思う。
大谷吉継は家康とも仲が良かった。16代も「僕はどちらからも恨まれてない」と言ってた(笑)
それなのに三成に味方した、というのは、それほどまでに三成が魅力的だったということだと思う。

◎映画のテーマ「義」について
*大場さん:正義とは、信念を曲げない事。
三成が挙げている「大一大万大吉」に通じるような、若い時に決めたことを貫いていくという、利害関係とかで崩れていくことが多い所を貫いた、というのが、義なんだと思う。
大谷吉継の首塚を、今日お参りしてきた。
*石田さん:「大一大万大吉」はラグビーの精神に通じる。
ちなみに「大一大万大吉」は、あくまで旗印で家紋ではない。
三成が大事にしたもの5つ、正義、秩序、友義、義理、生命 を義としている。
自分の代で、新しい家訓 『惜命報義』 を加えようと決めた。
自分の命、人の命は簡単に捨てるものではない。命は大事にしないと志は達成できない。
最後の最後まで命を大切にすることで、志を捨てず、世話になった人へ義を報いる、それが大事だと思っている。
*小早川さん:「志ありて 凛々しく 艶ありて 昴むる」
RX-7の開発を始めた時に、メンバーで議論して決めたキーワードだが、義に通じるテーマだと思っている。


この後、もうすでに大親友とのことですが、仲直りの握手をということで、石田さんと小早川さんが、大場さんと大原観音寺のご住職の立会いの下、握手をされていました。

石田さんは、とてもスマートで、真面目で学者肌な雰囲気でした。
対して小早川さんは、中国地方の人の独特のふんわりした雰囲気で(笑)
毛利の血を引くおっとりした えぇとこのボンが表れてるのかもしれないですが(笑)
しきりに歴史に疎いので、と強調されていたのですが、クルマの話になると熱の入り具合が違って、本当にお好きなんだなぁって
そりゃ、人の趣味はそれぞれですからねー。
大場さんは、劇中とは全然イメージが違うから、最初映画で観た時も・・・誰だろう・・・?って思ってたくらいだから(笑)
穏やかで紳士的な素敵な方でした。

雨降る中、本堂に籠って歴史話を聴いてると、本当にタイムスリップしたような不思議な気分になって、気持ちがふわふわして 現実に戻るのが大変でした
イベント参加者にオリジナルグッズを、ということで頂いたのは、三成ガチャのアイテムでした。
 
会の始まる前にガチャ回して出たのが、下り藤に向かい鳩、なのかな、キーホルダーが当たったので、ハンカチと迷ったけど、「大一大万大吉」のキーホルダーにしました。

は~ まさかこんな方々を目の前にお会いできると思ってなかったから、ホント行って良かったです( ´艸`)
楽しかったぁ。
友達には「岡田くんが好きなのか、関ヶ原が好きなのか・・・(笑)」と笑われたけど(笑)
だって、楽しいんだもん、歴史って。
良い1日になりました



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