“おしるし”があってから──個人差はあるものの──1日~1週間で陣痛がくるといいます。
ただ、友達の話やネットでよく目にするのは、だいたい24時間くらいでくる、というものでした。
だとすると、もうそろそろかなぁ…と待っていましたが、24時間が経つという3日の明け方になっても、なんら変化はありません。
そのうち“おしるし”の量が減り、これは単なる刺激による出血だったのかしら…と、夕方になっても陣痛がこない状況に、そう思い始めました。
でも、今日は“中秋の名月”です。
満月や満潮時に妊娠・出産する…なんていう話もよく耳にすることで、可能性としては“今日かなー”と、願いも込めつつ思っていました。
そして、“何やら変だぞ”と思い始めたのは、その日の21時頃。
直腸内──ちょうど尾骨あたり──が痛みだしたんです。
その痛みは中の痔が腫れたときの痛みと似ていて、妊娠後期で普段以上に便秘が強くなっていた私としては、この痛みも痔によるものだと思っていました。
いくら、数十秒から1分以上の痛みが続き、また治まってから再び痛みだすという状況が続いても、まさかそれが“陣痛”だとは、どうしても思えなかった…。
中の痔を持っていなければ…そういう痛みをしらなければ、間違いなく、“絶対おかしい”と思うんでしょうけど、イメージとしての陣痛はお腹が痛くなると思っていたので、陣痛より、痔の痛みだろう…と思っていたんですよねぇ。
ただ万が一の事を考えると、入院する前にお風呂にだけは入っておきたい…という思いがあったので、その日はいつもより早めにお風呂に入りました。
そして早めにベッドへ…。
ベッドで横になっても痛みは繰り返し襲ってきます。
時計と睨めっこして、10分~15分間隔くらいでその痛みが繰り返される事を知りましたが、やっぱり“陣痛”だという自信がなかったので、どうしても病院に電話できませんでした。
そんなこんなで数時間が経った時です。
寝返りをうった瞬間、突然、下の方で“ポンッ”という破裂音がしたかと思うと、“ジョジョジョ~…”と液体が出てくる感覚が…
ここでようやく、気付きました。
“破水した”“あれが、陣痛だったんだ”
──と。
遅いっつーの、と突っ込まれそうですが、幾ら知識があっても経験してない事は分かりませんって
とまぁ、それが夜中の3時くらいでしょうか。
とにかく、体勢とベッドで横になっていた場所がよかったので、ベッドは濡らさずにすみました。
抑えられるものでもないですが、咄嗟に勢いよく羊水が出ないように手で押さえ(笑)、トイレへ駆け込むと、パジャマから下着から全て脱ぎ捨て、羊水の出方や濡れた部分を拭くなどして、今度は慎重にナプキンをあてて着替えました。
そして、パニックにならないよう、できるだけ冷静に“破水したから、病院に連れて行って”とお願いしました。
夜だったので“つばめタクシー”を使うこともなく、タクシー代は浮きました。しかも、日曜日でも仕事というのが多い会社なのに、今月は基本的に日曜日が休みになったので、この破水した日は、ちょうど旦那が休みの日でした。
病院に着いて、呼ばれた先生を見て驚きました。
なんと、担当医だったんですよ。
不妊センターでは水曜日のみ、婦人科では木曜日の午前中のみの勤務である、我が担当医。
非常勤務の医師なので、まさか取り上げてもらう時に担当医がいるとは思いもよらず、痛みが治まった数分の間に、思わず聞いちゃいました。
私 「せ、先生…今日はたまたま夜勤なの?」
──と。
すると、「そう」ですって。
うっはー、凄い偶然
──ってか、よくぞ担当医が夜勤の時に生まれてこようとしたな、我が子よ
えらい、えらいぞー
──で、陣痛室で子宮口を調べると開き具合は4センチ。
まだまだかかるということで、一旦、部屋の方へ移動し様子を見ます。
陣痛の痛みは破水したこともあるのか、痛みの増し方が早い気がしました。それに、痛みのない時間が1分もなくなってきているんですよ、部屋に入ってから十数分くらいの間に。
どうしていいか分からない痛みに自然と口が歪むわ、呼吸は荒くなるわ、貧血のように冷や汗がどっと湧いたかと思うと、今までにない崩れ落ちるような強烈な痛みに襲われ始めました。
これって、大分開いてんじゃないの…?
──と思い始めてから、数十分後。
看護師さんが来て、痛みの状況を聞き出すと、もう一度、子宮口の開き具合を見てみましょう…ということになり、再び陣痛室へ。
もう、歩くこともままならない状況なんですけどね。
だからといって動かないわけにはいかないので、歩きましたよ、えぇ、心で泣きながらね。
できるなら、ストレッチャーで運んで欲しかった…
それでもようやく陣痛室に入り、痛いのを我慢して陣痛台へ。
再び子宮口を診ると、8センチになっていました。
あ、あと…2センチ…
まだ時間はかかるでしょうが、あと2センチまできたことに、痛みで折れそうな気持ちに、再び頑張ろうという気持ちが出てきます。
事前の話し合いで、“必要以上の声かけなどはいらない”と話していたせいか、陣痛室ではできるだけ旦那と二人きりにしてくれました。
──しかし
またまた、“なんか、おかしいな…”という異変が私の体を襲いました。
それは、手と足先の痺れ。
ジンジンと、どこかで経験したことのあるような痺れが襲ってきたんです。
手を握ってくれてる旦那の手を、痛みに耐えるように握り返すのが普通なんでしょうが、それができない。
でも、痺れる原因が分からない。
そしてその状態が十数分続いた頃、痺れは治るどころか膝から下、肘から下…というようにひどくなりました。
これはちょっと看護師さんに言わないと…と、次、陣痛室に看護師さんが来たら言おうと思った矢先──
それまで120回/分の間隔で聞こえていた胎児の心拍数が、一気に低下
大人と同じように60回/分くらいの間隔まで落ちたんです
それから看護師さんが飛んできて、腹部に当てていた児心音を拾う機械の位置も確認しましたが、心拍数は戻らず。
そこで一気に陣痛室は緊迫しました。
担当医を呼び、仰向けだった私は横向きになるよう支持され、酸素マスクを当てられた時に、ようやく“あぁ、あの痺れは、自分に酸素が足らなかったんだ…”と理解しました。だから、へその緒からの酸素も不足し、胎児が酸欠になったんだ…と。
それが分かってから、後悔しました。
なんで、もっと早く気付かなかったんだろう…って。
考えてみれば、どこかで経験したことのある痺れは、貧血を起こした時と一緒だったんですよね…。
酸素マスクをしながら、陣痛時にも“もっとゆっくり、深呼吸をして”と言われ…。
それはとってもムリなんですけど…と思いつつ、とにかく酸素をキチッと体内に取り込むにはそうする他なく…頑張って深呼吸を繰り返しました。
そして同時に、ある物事が進みます。
医師 「カイザーの準備して」
看護師に放った一言で、私も全てを理解しました。
やっぱり…帝王切開か…。
それから数分後、ようやく胎児の心拍数は戻りましたが、大分胎児がストレスを受けているというのもあり、帝王切開が中止になることはありませんでした。
再び、あの陣痛の痛みに耐えながら別室の手術台に上がり、オシッコの管を入れられ、更に、伸ばすと辛い足を真っ直ぐに伸ばされた上に、深呼吸を要求される…。
そして、麻酔はギリギリまでしないという事なので、消毒やらドレープ(手術範囲を布で囲む)を終え、医師がメスを持って切るという段階まで、ずっと意識があるまま…。
そりゃもう、辛いのなんのって…
──で、ようやく全身麻酔をかけてもらったんですが、これがまぁ、凄い感覚なんですよね。
昔、1度全身麻酔をかけてもらった時もそうでした。
醒める段階にそういうのを見るのかもしれませんが、宇宙空間のような…でももの凄い光の中にいるんですよ。
聞き取れないというか、理解できない会話も聞こえたり、体の中を探られている感覚がありつつも、意識はどこか違うところにあって、客観的に探られている感覚を感じているような…。
今回は、丸いスライドのフィルムが出てきました。
そのフィルムには、おそらく今までの経験してきたことが映されていて、1枚1枚フィルムが飛び上がる度に、その場面の会話等が聞こえる感じ。でも、もの凄く早いので会話も早送りのように“シャワシャワシャワ…”としか聞こえない。
しかも、そのフィルムの量が尋常じゃなく、どこからともなくそのフィルムが1本の列を作って、“私”という細胞1つ1つに変わっていくんですよ。
まるで、前世の記憶も全てその細胞に埋め込まれている…と言っているように。
その後は、やっぱり、体の中を探られているような感覚を目で見ている感じが続き(でも、探られている感覚は自分の体に感じている)、しばらくすると、そういう世界の音と現実の音とか声が混じってくるんです。
あ、足を上げられて靴下を履かされてる…とか、気管内に入れた管を抜いたな…とか…。
ただ、管を抜いて呼吸もできるはずなのにもの凄く苦しかったです。
いや、実際、自発呼吸をしているんでしょうけど、意識の中では呼吸ができなかったんですよ。
なんだか、そんな“あちらとこちらの世界”の狭間にいたような感覚を経て、ようやくキッチリと目が醒めたのが、4日の昼ごろでした。
赤ちゃんは、何とか無事に8時6分に生まれました。
体重3580グラムの、間違いなく男の子です(笑)
とりあえず、それが陣痛~出産までの出来事した。
それにしても、親孝行な子供ですな。
出産育児金が増える10月になってから生まれ、日付は変わりましたが満月には変わりなく、担当医がたまたま夜勤をしている日で、破水した日はちょうど旦那が休みだったんですから。
しかも、後々書く出産費用の事を考えると、ほんと、10月に生まれてきてくれてよかった…と実感しそうです。
ただ、友達の話やネットでよく目にするのは、だいたい24時間くらいでくる、というものでした。
だとすると、もうそろそろかなぁ…と待っていましたが、24時間が経つという3日の明け方になっても、なんら変化はありません。
そのうち“おしるし”の量が減り、これは単なる刺激による出血だったのかしら…と、夕方になっても陣痛がこない状況に、そう思い始めました。
でも、今日は“中秋の名月”です。
満月や満潮時に妊娠・出産する…なんていう話もよく耳にすることで、可能性としては“今日かなー”と、願いも込めつつ思っていました。
そして、“何やら変だぞ”と思い始めたのは、その日の21時頃。
直腸内──ちょうど尾骨あたり──が痛みだしたんです。
その痛みは中の痔が腫れたときの痛みと似ていて、妊娠後期で普段以上に便秘が強くなっていた私としては、この痛みも痔によるものだと思っていました。
いくら、数十秒から1分以上の痛みが続き、また治まってから再び痛みだすという状況が続いても、まさかそれが“陣痛”だとは、どうしても思えなかった…。
中の痔を持っていなければ…そういう痛みをしらなければ、間違いなく、“絶対おかしい”と思うんでしょうけど、イメージとしての陣痛はお腹が痛くなると思っていたので、陣痛より、痔の痛みだろう…と思っていたんですよねぇ。
ただ万が一の事を考えると、入院する前にお風呂にだけは入っておきたい…という思いがあったので、その日はいつもより早めにお風呂に入りました。
そして早めにベッドへ…。
ベッドで横になっても痛みは繰り返し襲ってきます。
時計と睨めっこして、10分~15分間隔くらいでその痛みが繰り返される事を知りましたが、やっぱり“陣痛”だという自信がなかったので、どうしても病院に電話できませんでした。
そんなこんなで数時間が経った時です。
寝返りをうった瞬間、突然、下の方で“ポンッ”という破裂音がしたかと思うと、“ジョジョジョ~…”と液体が出てくる感覚が…
ここでようやく、気付きました。
“破水した”“あれが、陣痛だったんだ”
──と。
遅いっつーの、と突っ込まれそうですが、幾ら知識があっても経験してない事は分かりませんって
とまぁ、それが夜中の3時くらいでしょうか。
とにかく、体勢とベッドで横になっていた場所がよかったので、ベッドは濡らさずにすみました。
抑えられるものでもないですが、咄嗟に勢いよく羊水が出ないように手で押さえ(笑)、トイレへ駆け込むと、パジャマから下着から全て脱ぎ捨て、羊水の出方や濡れた部分を拭くなどして、今度は慎重にナプキンをあてて着替えました。
そして、パニックにならないよう、できるだけ冷静に“破水したから、病院に連れて行って”とお願いしました。
夜だったので“つばめタクシー”を使うこともなく、タクシー代は浮きました。しかも、日曜日でも仕事というのが多い会社なのに、今月は基本的に日曜日が休みになったので、この破水した日は、ちょうど旦那が休みの日でした。
病院に着いて、呼ばれた先生を見て驚きました。
なんと、担当医だったんですよ。
不妊センターでは水曜日のみ、婦人科では木曜日の午前中のみの勤務である、我が担当医。
非常勤務の医師なので、まさか取り上げてもらう時に担当医がいるとは思いもよらず、痛みが治まった数分の間に、思わず聞いちゃいました。
私 「せ、先生…今日はたまたま夜勤なの?」
──と。
すると、「そう」ですって。
うっはー、凄い偶然
──ってか、よくぞ担当医が夜勤の時に生まれてこようとしたな、我が子よ
えらい、えらいぞー
──で、陣痛室で子宮口を調べると開き具合は4センチ。
まだまだかかるということで、一旦、部屋の方へ移動し様子を見ます。
陣痛の痛みは破水したこともあるのか、痛みの増し方が早い気がしました。それに、痛みのない時間が1分もなくなってきているんですよ、部屋に入ってから十数分くらいの間に。
どうしていいか分からない痛みに自然と口が歪むわ、呼吸は荒くなるわ、貧血のように冷や汗がどっと湧いたかと思うと、今までにない崩れ落ちるような強烈な痛みに襲われ始めました。
これって、大分開いてんじゃないの…?
──と思い始めてから、数十分後。
看護師さんが来て、痛みの状況を聞き出すと、もう一度、子宮口の開き具合を見てみましょう…ということになり、再び陣痛室へ。
もう、歩くこともままならない状況なんですけどね。
だからといって動かないわけにはいかないので、歩きましたよ、えぇ、心で泣きながらね。
できるなら、ストレッチャーで運んで欲しかった…
それでもようやく陣痛室に入り、痛いのを我慢して陣痛台へ。
再び子宮口を診ると、8センチになっていました。
あ、あと…2センチ…
まだ時間はかかるでしょうが、あと2センチまできたことに、痛みで折れそうな気持ちに、再び頑張ろうという気持ちが出てきます。
事前の話し合いで、“必要以上の声かけなどはいらない”と話していたせいか、陣痛室ではできるだけ旦那と二人きりにしてくれました。
──しかし
またまた、“なんか、おかしいな…”という異変が私の体を襲いました。
それは、手と足先の痺れ。
ジンジンと、どこかで経験したことのあるような痺れが襲ってきたんです。
手を握ってくれてる旦那の手を、痛みに耐えるように握り返すのが普通なんでしょうが、それができない。
でも、痺れる原因が分からない。
そしてその状態が十数分続いた頃、痺れは治るどころか膝から下、肘から下…というようにひどくなりました。
これはちょっと看護師さんに言わないと…と、次、陣痛室に看護師さんが来たら言おうと思った矢先──
それまで120回/分の間隔で聞こえていた胎児の心拍数が、一気に低下
大人と同じように60回/分くらいの間隔まで落ちたんです
それから看護師さんが飛んできて、腹部に当てていた児心音を拾う機械の位置も確認しましたが、心拍数は戻らず。
そこで一気に陣痛室は緊迫しました。
担当医を呼び、仰向けだった私は横向きになるよう支持され、酸素マスクを当てられた時に、ようやく“あぁ、あの痺れは、自分に酸素が足らなかったんだ…”と理解しました。だから、へその緒からの酸素も不足し、胎児が酸欠になったんだ…と。
それが分かってから、後悔しました。
なんで、もっと早く気付かなかったんだろう…って。
考えてみれば、どこかで経験したことのある痺れは、貧血を起こした時と一緒だったんですよね…。
酸素マスクをしながら、陣痛時にも“もっとゆっくり、深呼吸をして”と言われ…。
それはとってもムリなんですけど…と思いつつ、とにかく酸素をキチッと体内に取り込むにはそうする他なく…頑張って深呼吸を繰り返しました。
そして同時に、ある物事が進みます。
医師 「カイザーの準備して」
看護師に放った一言で、私も全てを理解しました。
やっぱり…帝王切開か…。
それから数分後、ようやく胎児の心拍数は戻りましたが、大分胎児がストレスを受けているというのもあり、帝王切開が中止になることはありませんでした。
再び、あの陣痛の痛みに耐えながら別室の手術台に上がり、オシッコの管を入れられ、更に、伸ばすと辛い足を真っ直ぐに伸ばされた上に、深呼吸を要求される…。
そして、麻酔はギリギリまでしないという事なので、消毒やらドレープ(手術範囲を布で囲む)を終え、医師がメスを持って切るという段階まで、ずっと意識があるまま…。
そりゃもう、辛いのなんのって…
──で、ようやく全身麻酔をかけてもらったんですが、これがまぁ、凄い感覚なんですよね。
昔、1度全身麻酔をかけてもらった時もそうでした。
醒める段階にそういうのを見るのかもしれませんが、宇宙空間のような…でももの凄い光の中にいるんですよ。
聞き取れないというか、理解できない会話も聞こえたり、体の中を探られている感覚がありつつも、意識はどこか違うところにあって、客観的に探られている感覚を感じているような…。
今回は、丸いスライドのフィルムが出てきました。
そのフィルムには、おそらく今までの経験してきたことが映されていて、1枚1枚フィルムが飛び上がる度に、その場面の会話等が聞こえる感じ。でも、もの凄く早いので会話も早送りのように“シャワシャワシャワ…”としか聞こえない。
しかも、そのフィルムの量が尋常じゃなく、どこからともなくそのフィルムが1本の列を作って、“私”という細胞1つ1つに変わっていくんですよ。
まるで、前世の記憶も全てその細胞に埋め込まれている…と言っているように。
その後は、やっぱり、体の中を探られているような感覚を目で見ている感じが続き(でも、探られている感覚は自分の体に感じている)、しばらくすると、そういう世界の音と現実の音とか声が混じってくるんです。
あ、足を上げられて靴下を履かされてる…とか、気管内に入れた管を抜いたな…とか…。
ただ、管を抜いて呼吸もできるはずなのにもの凄く苦しかったです。
いや、実際、自発呼吸をしているんでしょうけど、意識の中では呼吸ができなかったんですよ。
なんだか、そんな“あちらとこちらの世界”の狭間にいたような感覚を経て、ようやくキッチリと目が醒めたのが、4日の昼ごろでした。
赤ちゃんは、何とか無事に8時6分に生まれました。
体重3580グラムの、間違いなく男の子です(笑)
とりあえず、それが陣痛~出産までの出来事した。
それにしても、親孝行な子供ですな。
出産育児金が増える10月になってから生まれ、日付は変わりましたが満月には変わりなく、担当医がたまたま夜勤をしている日で、破水した日はちょうど旦那が休みだったんですから。
しかも、後々書く出産費用の事を考えると、ほんと、10月に生まれてきてくれてよかった…と実感しそうです。