5月24日(土) 曇のち雨 (「鮎川園地キャンプ場」~石川県・加賀市 「瀬越キャンプ場」)
4時35分、予報によれば雨が接近しているとのことで早出を心がけ、薄暗い中を出発。キャンプ場では左手の炊事棟の向こう側の草地で幕営。
昨日に続き国道305号を北上する。風はなく、ややむし暑い。
4時45分、大小の岩が浮かぶ海を見つつ行く。
沖にはもう漁船が。
このあたりは、砂岩や礫岩ではなく、柱状節理をなす安山岩。
5時15分、海辺の水田の向こうに亀島が見えてくる。
亀島も柱状節理の安山岩の島。
5時35分、海岸線から離れ野菜畑の目立つ道を行く。二枚田川を渡り松陰町を通過。
6時25分、柳原交差点のコンビニで買い物と食事。牛乳、おにぎり2個、草大福、チョコスティック。土曜日なので、レジャー客で早朝のコンビニもかなり混雑している。牛乳と草大福のみ食べる。
7時頃から、広いラッキョウ畑を右手に見ながら行く。スプリンクラーで水を撒いている。三国地方の「花らっきょう」は全国生産量の9割を占めているそうである。
道路の左側は「三里浜緩衝緑地」の樹林地帯が続いている。道路は広々として、車も少なく歩きやすい。
7時15分、坂井市に入る。
7時50分、「道の駅みくに」を通過。まだ店は開いておらず、忙しそうに立ち働く従業員のみ。駐車場の車もまだ少ない。
8時20分、九頭竜川にかかる新保橋を渡る。
九頭竜川は、福井県を代表する大河である。
8時25分、橋を渡り汐見公園にて小休止。
東尋坊を見に行くか、それとも雨の予報も出ているし行程も長いことだからこのまま先を急ぐか、としばし思案。結局、どこかで雨には降られることになるのだからと考え、東尋坊を廻っていくことにする。
九頭竜川に沿って河口方面へ。
堤防のフェンスの向こう側には、電球を沢山吊るしたイカ釣り船などが多数停泊している。
8時50分、えちぜん鉄道三国芦原線の三国港駅を通過。
9時05分、彼方に東尋坊タワーが見える。
9時10分、海に沿った松並木の道をたどる。
9時15分、荒磯遊歩道。
「文学碑の小径」を行くことにする。
東尋坊周辺案内図。
左手が断崖になっている遊歩道の途中には、三国ゆかりの著名な文学者の碑などがいくつも立っている。
高見順の碑。
「おれは荒磯の生まれなのだ
おれの生まれた冬の朝
黒い日本海ははげしく荒れてゐたのだ
怒涛に雪が横なぐりに吹きつけてゐたのだ
おれが死ぬときもきっと
どんどどんととどろく波音が
おれの誕生のときと同じように
おれの枕もとを訪れてくるのだ」
石原八束の句碑。
「彼の世より 光をひいて 天の河」
三好達治の碑。
「春の岬 旅のをはりの鴎とり うきつゝとほく なりにけるかも」
高浜虚子らの句碑。
「日本海 秋潮となる 頃淋し」(右・伊藤柏翠)
「野菊むら 東尋坊に 咲きみだれ」(中・高浜虚子)
「ゆきぐにの深き庇や 寝待月」(左・森田愛子)
9時30分、柱状節理の岩を見下ろすと、まさに吸い込まれるかの気分である。
さすがに「名所」で、近くには慰霊碑や救いの電話もある。
東尋坊タワーの周辺には、お土産屋や食堂が並んでいる。
10時05分、松並木を行き、雄島を眺めつつ食事休憩。おにぎりと草大福。
その後、さらに松林の道を通り、越前松島や水族館を経て、
11時25分、加戸にてもとの305号線に合流。
交差点にあった「ワンダーランド遊びの駅」は、土曜日の昼間だというのにガラガラで、遊具がしょんぼり。
11時35分、隣の「大堤」は睡蓮の盛り。
真っ白い清楚な花がいくつも水面に浮いている。
11時40分、あわら市に入る。
11時45分、コンビニで買い物。飲むヨーグルト、泊まり用の食パン。
買い物をしている最中に小雨が降り出して来、軒下で雨宿りをするも、止みそうにないので、雨具を着けて歩き出す。
12時30分、「きららの丘」というファーマーズ・マーケットでトマトを買いながら雨宿り。
13時20分、雨の中、北潟湖対岸の「芦原青年の家」でキャンプを願い出るが、職員にここは教育施設だから部外者は駄目だとけんもほろろに断られる。一人用の小さいテントなので端の方のスペースにでも一晩だけ張らせてもらえないか、との願いも聞いてもらえず。あげくに、泊まりたければあわら市内にいくらでも温泉があるなどと言われる。
諦めて、さらに強くなってきた雨の中をまた歩き始める。確かにこちらの事前調べの甘さが原因であり、教育施設かもしれないが、それにしてもなぁ。ここは蓮如上人が布教活動をした土地ではないか。慈悲の心は無いのかなぁ。一昨日通った阿曽の「区民の指標」では「○ 未知の人に対しても、広く美しい人情を示しましょう。」とあったが、ここはそうじゃないのかなぁ。「勧進帳」の安宅関だってこの近くなのになぁ……などと未練がましくあれこれと考えながら、広い北潟湖のほとりの水田が続く道を雨に打たれながら歩く。
代替案として、「上木(うわぎ)キャンプ場」まであと10km、2時間半の歩行を覚悟。致し方ない。
浜坂の開田橋で北潟湖を渡る。
14時40分、蓮如上人の布教拠点であった吉崎寺で10分間の雨宿り休憩。
やや小降りになったので出発。
14時55分、悪路の福井県に別れを告げて、石川県に入る。11県目。
すぐに塩屋大橋で、大聖寺川を渡る。
石川県に入ったとたんに、歩道の先が読めるようになり歩きやすくなったと感じる。
15時05分、「瀬越(せごし)キャンプ場」という看板があり、一応念のため偵察すると、入口に松くい虫の駆除のため4月から6月までは立ち入り禁止、との立て札がある。
これでは無理と先を急ぐと、小雨の中をおじいさんが一人傘もささずに歩いている。「上木キャンプ場」を尋ねると、キャンプ場は去年で廃止、今は壊してしまったから水も出ないとのこと。困ったなと思っていると、先ほどのキャンプ場を管理している人に相談してみるとよいと教えてくれる。再び戻って管理をしている「竹の浦館」で尋ねると、駆除は来週からでまだ宿泊可能とのこと。有難い。キャンプ代300円。
15時40分、親切な奥さんに言われたとおりにキャンプ場の奥に行くと、訓練中だったボーイスカウトの少年たちと一緒になる。彼らの活動の邪魔にならないようにと考え、リーダーに挨拶をして、
15時50分、雨の中、テント設営完了。
本日は12時間行動なり。
それにしても、雨の中を歩いていたあのおじいさんがいなかったら、ちょっと厄介なことになっていただろうと考えると、なんとも不思議で幸運なことだったと思う。「捨てる神あれば拾う神あり」である。
経費 1,305円 累計 160,608円
歩数 64,075歩 累計 2,103,938歩
距離 43km 累計 1,370km
(本日の到達地点――石川県に入る)
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4時35分、予報によれば雨が接近しているとのことで早出を心がけ、薄暗い中を出発。キャンプ場では左手の炊事棟の向こう側の草地で幕営。
昨日に続き国道305号を北上する。風はなく、ややむし暑い。
4時45分、大小の岩が浮かぶ海を見つつ行く。
沖にはもう漁船が。
このあたりは、砂岩や礫岩ではなく、柱状節理をなす安山岩。
5時15分、海辺の水田の向こうに亀島が見えてくる。
亀島も柱状節理の安山岩の島。
5時35分、海岸線から離れ野菜畑の目立つ道を行く。二枚田川を渡り松陰町を通過。
6時25分、柳原交差点のコンビニで買い物と食事。牛乳、おにぎり2個、草大福、チョコスティック。土曜日なので、レジャー客で早朝のコンビニもかなり混雑している。牛乳と草大福のみ食べる。
7時頃から、広いラッキョウ畑を右手に見ながら行く。スプリンクラーで水を撒いている。三国地方の「花らっきょう」は全国生産量の9割を占めているそうである。
道路の左側は「三里浜緩衝緑地」の樹林地帯が続いている。道路は広々として、車も少なく歩きやすい。
7時15分、坂井市に入る。
7時50分、「道の駅みくに」を通過。まだ店は開いておらず、忙しそうに立ち働く従業員のみ。駐車場の車もまだ少ない。
8時20分、九頭竜川にかかる新保橋を渡る。
九頭竜川は、福井県を代表する大河である。
8時25分、橋を渡り汐見公園にて小休止。
東尋坊を見に行くか、それとも雨の予報も出ているし行程も長いことだからこのまま先を急ぐか、としばし思案。結局、どこかで雨には降られることになるのだからと考え、東尋坊を廻っていくことにする。
九頭竜川に沿って河口方面へ。
堤防のフェンスの向こう側には、電球を沢山吊るしたイカ釣り船などが多数停泊している。
8時50分、えちぜん鉄道三国芦原線の三国港駅を通過。
9時05分、彼方に東尋坊タワーが見える。
9時10分、海に沿った松並木の道をたどる。
9時15分、荒磯遊歩道。
「文学碑の小径」を行くことにする。
東尋坊周辺案内図。
左手が断崖になっている遊歩道の途中には、三国ゆかりの著名な文学者の碑などがいくつも立っている。
高見順の碑。
「おれは荒磯の生まれなのだ
おれの生まれた冬の朝
黒い日本海ははげしく荒れてゐたのだ
怒涛に雪が横なぐりに吹きつけてゐたのだ
おれが死ぬときもきっと
どんどどんととどろく波音が
おれの誕生のときと同じように
おれの枕もとを訪れてくるのだ」
石原八束の句碑。
「彼の世より 光をひいて 天の河」
三好達治の碑。
「春の岬 旅のをはりの鴎とり うきつゝとほく なりにけるかも」
高浜虚子らの句碑。
「日本海 秋潮となる 頃淋し」(右・伊藤柏翠)
「野菊むら 東尋坊に 咲きみだれ」(中・高浜虚子)
「ゆきぐにの深き庇や 寝待月」(左・森田愛子)
9時30分、柱状節理の岩を見下ろすと、まさに吸い込まれるかの気分である。
さすがに「名所」で、近くには慰霊碑や救いの電話もある。
東尋坊タワーの周辺には、お土産屋や食堂が並んでいる。
10時05分、松並木を行き、雄島を眺めつつ食事休憩。おにぎりと草大福。
その後、さらに松林の道を通り、越前松島や水族館を経て、
11時25分、加戸にてもとの305号線に合流。
交差点にあった「ワンダーランド遊びの駅」は、土曜日の昼間だというのにガラガラで、遊具がしょんぼり。
11時35分、隣の「大堤」は睡蓮の盛り。
真っ白い清楚な花がいくつも水面に浮いている。
11時40分、あわら市に入る。
11時45分、コンビニで買い物。飲むヨーグルト、泊まり用の食パン。
買い物をしている最中に小雨が降り出して来、軒下で雨宿りをするも、止みそうにないので、雨具を着けて歩き出す。
12時30分、「きららの丘」というファーマーズ・マーケットでトマトを買いながら雨宿り。
13時20分、雨の中、北潟湖対岸の「芦原青年の家」でキャンプを願い出るが、職員にここは教育施設だから部外者は駄目だとけんもほろろに断られる。一人用の小さいテントなので端の方のスペースにでも一晩だけ張らせてもらえないか、との願いも聞いてもらえず。あげくに、泊まりたければあわら市内にいくらでも温泉があるなどと言われる。
諦めて、さらに強くなってきた雨の中をまた歩き始める。確かにこちらの事前調べの甘さが原因であり、教育施設かもしれないが、それにしてもなぁ。ここは蓮如上人が布教活動をした土地ではないか。慈悲の心は無いのかなぁ。一昨日通った阿曽の「区民の指標」では「○ 未知の人に対しても、広く美しい人情を示しましょう。」とあったが、ここはそうじゃないのかなぁ。「勧進帳」の安宅関だってこの近くなのになぁ……などと未練がましくあれこれと考えながら、広い北潟湖のほとりの水田が続く道を雨に打たれながら歩く。
代替案として、「上木(うわぎ)キャンプ場」まであと10km、2時間半の歩行を覚悟。致し方ない。
浜坂の開田橋で北潟湖を渡る。
14時40分、蓮如上人の布教拠点であった吉崎寺で10分間の雨宿り休憩。
やや小降りになったので出発。
14時55分、悪路の福井県に別れを告げて、石川県に入る。11県目。
すぐに塩屋大橋で、大聖寺川を渡る。
石川県に入ったとたんに、歩道の先が読めるようになり歩きやすくなったと感じる。
15時05分、「瀬越(せごし)キャンプ場」という看板があり、一応念のため偵察すると、入口に松くい虫の駆除のため4月から6月までは立ち入り禁止、との立て札がある。
これでは無理と先を急ぐと、小雨の中をおじいさんが一人傘もささずに歩いている。「上木キャンプ場」を尋ねると、キャンプ場は去年で廃止、今は壊してしまったから水も出ないとのこと。困ったなと思っていると、先ほどのキャンプ場を管理している人に相談してみるとよいと教えてくれる。再び戻って管理をしている「竹の浦館」で尋ねると、駆除は来週からでまだ宿泊可能とのこと。有難い。キャンプ代300円。
15時40分、親切な奥さんに言われたとおりにキャンプ場の奥に行くと、訓練中だったボーイスカウトの少年たちと一緒になる。彼らの活動の邪魔にならないようにと考え、リーダーに挨拶をして、
15時50分、雨の中、テント設営完了。
本日は12時間行動なり。
それにしても、雨の中を歩いていたあのおじいさんがいなかったら、ちょっと厄介なことになっていただろうと考えると、なんとも不思議で幸運なことだったと思う。「捨てる神あれば拾う神あり」である。
経費 1,305円 累計 160,608円
歩数 64,075歩 累計 2,103,938歩
距離 43km 累計 1,370km
(本日の到達地点――石川県に入る)
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