そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2014年 徒歩の旅 第58日  静岡市・JR蒲原駅へ

2016年03月02日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月7日(水) 晴 (焼津市・ウィークリー翔 焼津~静岡市・JR蒲原駅
                     ~JR焼津駅~ウィークリー翔 焼津)




5時45分、空身にて宿を出発。晴れて空気は清々しい。
静岡方面へどのようにしていくかと考え、まず東名高速の日本坂トンネルは当然ダメだとしても、国道150号線の新日本坂トンネルの方はひょっとして通行可能か、それならば大幅に距離を短縮できると思い、とりあえずえず行ってみることにした。

東海道本線を越えて、県道213号線を行き、

6時5分、瀬戸川を渡る。


6時25分、右折し、国道150号線を行く。

6時45分、いい調子で歩いてきたが、残念ながら、というか案の定というか、新日本坂トンネルも自動車専用で、歩行者・自転車は通行禁止。トンネルのそばで出会った男性に聞いてみたところ、①大崩海岸を行くか、②岡部宿の方から旧東海道を行くか、③さもなければ登山道を通ってトンネルの向こうに出るか、それしか方法はない、との返事。しかたなく、お礼を言って引き返す。②も③も高低差がありそうなので、海側の大崩海岸方面へ行くことにする。

しばらく行って、出会った女性に大崩海岸方面への道を尋ねたところ、現在大崩海岸は通行禁止、とのこと。もう②しかないや。

県道213号線まで戻って、西進、岡部宿を目指す。

7時45分、県道213号線。


案内図。


7時50分、藤枝市に入る。


8時、岡部へ。


8時10分、県道81号線(旧東海道)の内谷インターチェンジ北。松並木に出会い右折北上。


8時40分、岡部宿公園にて小休止。作戦を練る。明日、明後日の行程を考えると、何としても今日は蒲原まで行っておきたい。思わぬ迂回を強いられたが、かくなる上は、このまま国道1号線を行き、何時になるかわからないが暗くなっても蒲原まで行こう、と覚悟を決める。


隣の岡部宿大旅籠柏屋歴史資料館は定休日。


少し行った先に岡部宿案内板あり。岡部は東海道21番宿場。


8時45分、道の駅宇津ノ谷峠。


ここも歩行者道路が分かりにくく、道の駅売店の女店員に聞いてなんとか了解。


9時20分、宇津ノ谷トンネルを抜け、


静岡市に入る。


あとは道なりにどんどん下っていく。

9時50分、丸子の「名残の松」。


丸子宿案内板。丸子は東海道20番宿場




散歩をしていた高齢男性と一緒に歩きながら、この先の道について聞く。お礼を言って別れた後、彼が再び追ってきて、先ほど間違えて教えたかもしれないから、安倍川の橋がわかるところまで行ってくれるという。恐縮だが心強い。というのも、国道1号線の駿河大橋は自動車専用で、歩行者は手前から左に入り、安倍川橋を渡らねばならない、ということ。


10時55分、安倍川橋を渡る。


安倍川もまた大河である。


橋を渡った先の左に、「安倍川の義夫の碑」。元文三年(1738年)にあったという正直な川越人夫の顕彰碑。


名物「あべ川餅」。でも立ち寄ってはいられない。


11時5分、「由比小雪公之墓址」碑。由井正雪は江戸時代初期、浪人の救済を掲げた慶安の変の首謀者。


その後国道1号線に復帰し、暑い中をがむしゃらに、静岡、草薙と市街地を歩く。

14時、清水駅に続く地点。


14時20分、袖師交差点。興津宿へ向かう。


14時55分、明治の美文家の「高山樗牛假寓之處」。


15時、東海道17番宿場、興津宿。






案内板。




15時25分、海沿いを行く。


遠州灘波静か。


15時50分、なんともすさまじい所を通る。




東海道本線と東名高速と国道1号線バイパスとが束になっている。地震、津波など考えたらゾッとする。




16時10分、まあ、何というか、歩ける道がある限りは歩くしかない。


由比駅近く。


16時30分、JR由比駅前。「由比桜えび通り」。


案内図。




17時、桜えびかき揚げ丼を食べる。この旅で初めてのグルメ外食、1320円なり。いやあ美味かった。


あとはそのまま何とかJR蒲原駅まで歩き、

18時10分、宿へ戻る。連泊、2900円。


歩数  75287歩    (累計  3022423歩)
距離  53㎞       (累計  1967.5㎞)
費用  5925円     (累計  324047円)


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