「KYや」
と即座に返ってきた。
KYとは「空気を読めない」ということだが、朝日新聞でも正月から連載が始まったのだから(REの時代)、これは全国的な流行語らしい。
安倍前首相が「KY」の冠をかぶせられた「ミスターKY」という言葉が出てきたくらいだから相当前からの流行語らしい。わたしこそがKYなのかもしれないが……。
しかしKYの流行は決していいことではない。KYでどうしていけないのかと天の邪鬼になる。KYであることは肯定的な面とそうでない面がある。KYからの脱出は気遣いがあることを意味するが、どうも親戚の子らが学校で使っているのは、排除する時に使われる場合だってある。
KYは排除の言葉になる。空気は社会の支配的「言論」である。その場の空気から発言を控えるとか、ものが言えなくなったりする。空気で行動する。空気で沈黙するなど我々の行動を支配する。
つまり均質化社会の象徴としてあらわれてきた言葉なのだ。このことを朝日の連載でも指摘していた。
市民権という言葉があるが、それは市民権を得るというのは権利を得るということではない。認知されることだ。認知されるためにKYにならないことを意味する。認知するのは社会、いや世間、いや社会の支配的価値観だろう。KYが席巻する学校は想像するだけで身がすくむ。
しかし子どもたちは社会の価値観に敏感であることか。KYにならないためだろう。
と即座に返ってきた。
KYとは「空気を読めない」ということだが、朝日新聞でも正月から連載が始まったのだから(REの時代)、これは全国的な流行語らしい。
安倍前首相が「KY」の冠をかぶせられた「ミスターKY」という言葉が出てきたくらいだから相当前からの流行語らしい。わたしこそがKYなのかもしれないが……。
しかしKYの流行は決していいことではない。KYでどうしていけないのかと天の邪鬼になる。KYであることは肯定的な面とそうでない面がある。KYからの脱出は気遣いがあることを意味するが、どうも親戚の子らが学校で使っているのは、排除する時に使われる場合だってある。
KYは排除の言葉になる。空気は社会の支配的「言論」である。その場の空気から発言を控えるとか、ものが言えなくなったりする。空気で行動する。空気で沈黙するなど我々の行動を支配する。
つまり均質化社会の象徴としてあらわれてきた言葉なのだ。このことを朝日の連載でも指摘していた。
市民権という言葉があるが、それは市民権を得るというのは権利を得るということではない。認知されることだ。認知されるためにKYにならないことを意味する。認知するのは社会、いや世間、いや社会の支配的価値観だろう。KYが席巻する学校は想像するだけで身がすくむ。
しかし子どもたちは社会の価値観に敏感であることか。KYにならないためだろう。