照る日曇る日 第1834回
岩亜美文庫版がどこかに眠っているので、最近出たばかりの光文社文庫版に手を出す。
プラトンの対話編とは一味違うもう一人により、もう一つの対話編である。
解説を読むと、クセノフォンがソクラテスに親炙したのはごく僅かな期間だし、プラトンはク選手のことなぞ、ひとことも論評していないから、本書の内容自体あんまり信用できないそうだ。
が、そうなると、どこのどの部分だけ本当で、偽物はどこどこか、というあらさがしになってくるので、つまらないよね。
でも、そういう学問的論議では、プラトン選手の対話編だって、初期のものしか信用できない、というんだから、もはや何をかいわんやだ。
でもでも、読んでみると、たちまちにして、「説教泥棒」というか「折伏おじさん」みたいなソクラテス居士の、あの懐かしい面影がよみがえってきて、これぞ「自分哲学」の原点という思いがするのです。
でもでもでも、第4巻第4章の「出来の悪い子供を作ること以上に大きな罰をこうむることがあるだろうか?」という独断と偏見は、それが親子の近親相姦が悪事である理由になっていることを含めて、大いなる誤謬だと、おらっちは思うのだ。
それはこの文庫本の最後の但し書きにも述べてある如く、健常にあらざる障害児を否定する優性思想であり、人間の平等を真っ向から否定する差別思想であるからだ。
なーんてことを最近の北海道の福祉施設の障害者不妊処理問題とからめつついろいろ考えさせられたずら。
ソ、ソ、ソクラテスがナチやトランプや植松某なぞの原初思想家であったとは、これいかに! 蝶人