株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

卑弥呼の謎を解く 宇摩地方の船神輿

2006-12-23 07:54:50 | 古代史、卑弥呼、神輿太鼓、倭人伝

  卑弥呼の謎を解く(108) 宇摩地方の船神輿

 卑弥呼に贈られた物を見せて、国を固めたから、新居浜式でも、その意思は継承していると言える。ただ、昨日云ったように、骨組みは、伊勢神宮に無縁である。

 今日は、寒川の船神輿と、太鼓台、川之江の太鼓台と、船神輿を載せる事にする。中心の三島の西と東の地域であるが、近いわりに変化がある。(修正、太鼓台は後日にして、土居町の船神輿を入れた)

 特に、船神輿に大きいな違いが出ている。先に川之江の船には,宮が無いと言ったが、外から見る限りでは、なくなっている。代わりに大きな駕籠のような越(?)が目立つ。
 
 

 上が、寒川、江之元の船神輿で、この船の船神輿歌(船節)が、県の「無形文化財」になっている。この歌詞から、解けた古代史も多いが、まだまだ、置くが深いと思っている。

 次が、川之江の船神輿(関船)である。後ろに立てた、採り物は良く似ている。元は、広矛、鏡、弓・矢などであろう。今でも、それらしき形をしている。類似が、大名行列にも、有る様に思う。

 



 次に、宇摩平野の西の土居町の船神輿(八幡丸)を載せる事にする。上下に有って、中間の川之江に無いものが、結構見つかるだろう。

 昔の人は、変化を好まなかったから、この変更には、大きな力がかかって起こったと私は思っている。



 まず、舳先には、上下の神輿には、飾布団があるが、中間の川之江には無い。同じように、トモにも、飾幕が有り、川之江には無い。

 一見して、川之江の船神輿には、突き出た駕籠状の越が、目立つようになっているが、上下には無い。上下の船は、卑弥呼への贈り物を運んだもので有ろうと思える形をしている。

 倭人伝に、荷物を探して、見つけて運んでいくとあった。この運んだ船の一部ではないか、と思っている。卑弥呼の役に立てた船を神輿にして、毎年子孫に伝えたものと、思う。

 宇摩郡より、西の方には、船を使う祭が多い。全て、この時を記念したものと、思っている。この事は、伝承や、歌などで、推定できるのだ。しかも、宇摩郡より、東では船の競争は無いから、宇摩で途切れるのだ。

 なお、三島や、豊浜にも、船神輿がある。先に載せたと思う。全ての地域で、同じ歌が歌われるが、長い年月で、寒川から離れるほどに、歌詞の減少がある。

 とにかく、船神輿の船は、小さな神社が在って、神の御魂を移している。寒川では、神社の最新と違うと言うことと「最高に尊く、最高に偉い女神」と伝承されている。

 神社。笹を立ってる。周囲を包んでいる。後ろに採り物を立てている。これらが、共通するようだ。私の子供の頃には、三島にも船神輿があり、下を潜れば、一年健康であられると聞いた。

 だから、船神輿も、単なる、山車ではなく、神輿と同じ性質のものであったのだ。

 

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