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"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

やさしい古事記講座<別・資料、地図> 宇摩郡の旧村名と、地図でまとめ

2008-07-30 00:01:05 | 古代史、卑弥呼、神輿太鼓、倭人伝

  宇摩郡主要地名(村名)

 宇摩郡の話になると、地名などが判らず、理解が難しいので、江戸時代末期、明治初期の地図を比較して、江戸時代と同じ地名で、支配者が違うために、分けられた地名が統一された、明治13年が一番判り良い。

 この地名の中から、今までに出てきた地域をトリミングしたので、参考にしてください。旧中曽根町は、六つ塚・石床・三谷・秋則・中田井など多くの集落があるのですが、大字は出てないので、旧町名から、おおよその認識をしてください。

  宇摩郡地名図

 上の方は宇摩平野で、下3分の2以上が法皇山脈などの山間部です。

 寒川・具定(ぐじょう)・中ノ庄・中曽根などの下側(南側)が法皇山脈の頂上部です。

 津根山村が山頂を越えて、北側の麓までと異常な形をしています。
細い所が、霊山、豊受山の山頂だと思われます。
この上側(北側)の境が法皇山脈の麓のようです。

 津根の地名だけが、「津根山と津根」で四国山脈の頂上から、海まで続いています豊受山の名と共に、津根の異常さが残ります。

 先に書いた、寒川・~中曽根も、津根山村の上の線を横に引けば、各地の平野と山間部との境が出来ます。つまり、平野部より広い範囲で法皇山脈になっています。


  木梨軽太子の初瀬

 海が一番入り込んだ所に、寒川があります。この寒川のウ冠の辺りに初瀬があります。
 そして、東宮山古墳は地図の右端の「妻鳥(めんどり)」の地にあります。7キロほど離れているでしょう。

  ニキタツの関川(元、入野川)

 入野と畑野の間を南北に入野川がある。裏山が水源地である。畑野や入野の北側を、関川が流れているのに合流する。今は、関川と呼ばれ居るが、江戸時代の地図によると、入野川と書いてある。

 先に、ニキタズで書いた幅広い「関川」は地図では、上野(後に関川)になっている所が水源である。明治13年以後に「上野=関川」に改名した。このときに、入野川から、関川に変更されたものであろう。つまり、歴史隠しである。

 同様の事は、この地の地名変遷を見ていても、良く判る。そして、故事・由来を残すと見える地名は多くが変更されている。これまでの話で言えば、入野村や中村は土居町となって、地図には載らなくなった。

 この河口は蕪崎だと記憶します。
また、大国主の入野と蕪崎の関係もこの地図で判ります。スサノオは、入野から蕪崎に向けて「鳴り鏑の矢」を(海の方に向かって)放ったと判ります。

  斉明天皇の村山神社、その他

 村山神社は津根にあります。

 天日隅宮は中曽根の「曾」の字の上の辺りでしょう。

 大元神社の中峰は平野山村にあったようです。

 昨日書いた、井守神社は、入野の右側に「」とあります、中村に囲まれた小林が異常な形で出来たことを示しています。

 これまで書いた事を思いつくままに地図の場所を書いたのですが、抜けているかも判りません。

 以上で、今日は終わります。
最後に全体図を載せます。
後は現在の地図で比較して頂ければ、良く判ると思います。

  宇摩地図(全体) 


        <宇摩郡江戸末期~明治初期までの村名>

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