katsura's note

katsura's note 以下に移転するかも!
http://katsura06.blog20.fc2.com/

思い出の場所

2007年04月01日 | Weblog
今日は桜が満開なので、四谷や上野公園に行ってきました。午後から少し曇ってきたものの、散歩日和でした。

上野公園に来たのはかれこれ9年ぶりじゃないかしら?思えば、バンクーバーから帰国して、GWに東京に遊びに来た時に行ったっきり。

あの時はGW前半に大阪の中国短期留学メンバーと再会し、その後GW後半を東京の中国短期留学メンバーと再会しました。

東京メンバーとは2年ぶりの再会だったのですが、思えば全員男子。現在上海で国際結婚してしまったD君の地元が上野だったこともあり、上野公園を案内してもらったっけ。広い公園だなーという印象とどーんと大きな西郷さんの銅像、アメ横のごった返した雰囲気なんかを覚えています。

懐かしいな~なんて思って歩いていたら、ちょうど池の周辺に桜が対岸にもキレイに咲いていました。そして、風景の中に現れたビル。そう、ここだ!ここで写真を撮ったんだった!と思い出しました。

今やアメリカはテキサスの大学院で博士課程に進んでいるWと、就職していたけれど休職して某大学院に復学したKと一緒に写真を撮った場所。村上春樹好きだった二人の影響でその後「ノルウェイの森」や「中国行きのスローボート」等を読みふけり、これまた村上春樹の大好きなジャズにはまるきっかけとなったあの再会。女子高、女子短出の私には、ちょっとだけ共学の大学にでも通っているような錯覚に陥るような学生に戻った感覚だったあの頃。Wの通う大学にもぐってみたり(^J^)。

と、走馬灯のように思い出が次々と…ふと気がつくと、あれから○年。思えばかなりの時間が経過していたのだなと気付かされます。

そして、ふと思い返すと父もあの頃は病気すらなかったのだということ。。。

今日は父がかつて着ていたスメドレイのセーターを着て出かけたのです。さも父と一緒に花見をしているかのような気分になりたくて。父に桜を見せてあげたくて。

かつてサラリーマンをしていた頃の父は、赴任先で知り合ったYさんの実家のある浅草によくお世話になっていたのだとか。きっと上野公園も来ていたに違いない、なんて思いつつ。

今日はちょっとメランコリーな感覚を覚えつつも、お休みの日らしい、のんびりときままな時間を過ごすことができました。

お花見日和

2007年04月01日 | Weblog
金曜日に桜が満開となった東京。
お花見の時期突入です!

金曜日(靖国神社、千鳥が淵)と土曜日(飛鳥山公園)とそれぞれお花見の予定が入っていて、それぞれ気心の知れた友人、知人と一緒に楽しい時間を過ごすことができました。

時々強風、時々小雨というあいにくの天気にもめげず、桜の樹の下で一緒に過ごせる時間というのは本当に貴重な有難い時間です。

数日前の天気予報によると昨日から天気が崩れるという予想でした。が、昨日は結局そんなに大雨でもなく、夕方までなら十分お花見が楽しめましたし、今日も予想に反してすごく心地よい小春日和。

本当は仕事の予定が入っていたけど、時間を調整して夕方から仕事に行くことにして、これからお散歩がてらお花見に行ってこようかと思います。

ここ2日、時間がなくて自宅のメールなどチェックできていなかったのですが、数日振りにメールチェックしてみると、友人から温かいメッセージが届いていました。

自宅メール以外にも携帯メールにも数々のメッセージを頂いています。父の死をブログを読んで知った子が大半なのですが、なんでもっと早く教えてくれなかったの?とか、なんでもっと辛いときは辛いと言ってくれなかったの?というメッセージもあります。

でも、今まで(父の療養中も)は父のことを口にすると自分が崩れそうだったのです。父が余命そんなにないことは昨年末あたりから知っていたものの、認めたくない自分がいたのも事実です。

もっと甘えてくれたらよかったのにと言ってくれる子もいます。でも、甘えたらこれまら泣き崩れそうだったのです。

日頃仕事している以上、毎日のように泣いている訳にもいかず、自分の気持ちを押し殺したり、押し込めたりしないと仕事もおそろかになってしまいます。

そんな訳で、普段は平然としているし、平然としていない時も平然としたふりをしたりもします。でも、そうすることで自分を自分らしく保っているというか。

でも、こういう休日のお昼間とか、ふと素の自分に戻っていいとき、数々の優しい言葉に触れるとつい泣き崩れてしまいます。

今の時期のように気候も良く、桜が満開。一年で一番いい時期。父にもこの桜を見せてあげたい、一緒にお酒やおいしいものに囲まれ、家族みずいらずで過ごしたい。そう思ってしまいます。

そう思うと、もうそれができないとすると悲しい、さみしい。それが正直な気持ちです。

実家のある地域は通称桜町と呼ばれています。住宅地として分譲されはじめた頃、川沿いに桜の樹を植えてくれた方達のおかげで、毎年見事な花(桜)を咲かせます。毎年時間を見つけて、父や祖母、母とお散歩したものです。

地元の同級の子に見られたら照れくさいな、なんて思いながら(笑。

母と看病をしながら父の病室で、「今年も桜を見せてあげたいね」と話していましたが、今年の桜を見ずに亡くなっていった父。父の分まで私が見て感想を伝えてあげなきゃなって思います。

追伸:
ここのところ、不思議なくらいにフツーに過ごしていました。なんだか父が長期出張にでも出ている不思議な感覚に陥っています。感情に押しつぶされないよう自制しているのかもしれません。
上記には、かなり正直に自分の気持ちを書きましたが、心配しないでくださいね。普段の私はいたってフツーに戻っていますので!