灯台下暗し -カッターナイフで恐竜を腑分けした記録-

仕事で携帯向けアプリを書いて、趣味で携帯電話を買い、趣味で同人小説を書いて、何もしていません。

思考実験の失敗

2005-03-18 01:25:18 | Weblog
中学生時代の同級のよしみで酒に誘ってくれた友達に、ようやく誠意ある回答ができます。

思慮深いその友達は、酒の席でこう問いました。

「考えたことある? 動物が何もいない星で木が倒れました。さて、そのとき音はしたでしょうか?」

私はそのときは「それは以前に散々考えて、音がしたかどうか分からないものは分からないと考えて止めた」と答えましたが、考え続ける友達を小馬鹿にしていました。あれから考え直し、彼の苦悩を否定するのは変わりませんが、より穏やかな言い方ができるようになった気がします。

その問題は、思考実験の失敗なんです。

思考実験、つまり頭の中だけで理詰めで考えることです。理詰めでさえあればよく、前提はありえないことでも構いません。滅多に起きないことを考えるときに使います。

上の問題では「動物が何もいない星で木が倒れた」が思考実験の中に設けた前提です。ここから理詰めで考えていけばいいです。「木があるならおそらく空気はあるから、おそらく音はしただろう」でも結論としていいです。

そこで反論が出ます。「音がしただろうことは推論でしかない。誰も聞いていないのに、本当にあったと言えるのか?」と。

でも「想像の中の木が倒れても音がするわけがないから私たちには聞こえない」というのは言い過ぎでしょうか。

思考実験の枠内で考えてみますね。もし動物がいない星に木が生えていたとします。地球から望遠鏡かアンテナでその星の情報を知ることができれば、木が倒れたことに気付き「無音の宇宙で音は届かなかったけど、現地で音はしただろうか」と想像を巡らすことはできます。この時私たちはその星にいませんが動物の一部です。しかし望遠鏡もアンテナも木の存在をとらえられなかったら。そのときは木が倒れたこと自体が分からず、そんな出来事は空想の中にしかありません。しかし思考実験の中では「木が倒れた」と空想を事実にできてしまうのです。空想の中にしかないことを事実と決めて、証拠がないときに矛盾に悩む、これは思考実験を失敗しているのです。

私は納得いきました。あの友達には届くでしょうか。これも思考実験では済まされません。
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