行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

中国の消防士は兵士・・・だから現場は戦場・・・犠牲は英雄?

2015-08-14 19:48:58 | 日記
8月12日深夜、天津市で発生した爆発事故は死者が50人を超え、中でも消防隊員の犠牲者が多数にのぼっているいることが中国社会に猛省を生んでいる。中国の消防隊員は人民解放軍の軍人が短期的に派遣され任務に就いているケースがほとんどで、今回の犠牲者でも10代から20代の若者が多い。夢と希望を抱いたまま炎の中で絶たれた若い命を思うと残念でならない。

通常の火災と違って、化学薬品がかかわっている場合は、専門的知識と訓練を備えた特殊な消防部隊の出動が不可欠だ。だが、天津のケースではとにかく人力を多数投じて対応しようとする、毛沢東時代のゲリラ戦に似た人海戦術がうかがえる。基本的な知識を持たず、十分な現状把握をせずに、水をかけてはいけない危険物質に放水した消防隊員の話を中国メディアは伝えている。

インターネットでは、これから現場に向かおうと消防服を着たばかりの隊員が、携帯で妻に「もし戻らなかったらお母さんの墓参りは頼む」とメッセージを送り、妻が「あなたのお父さんは私のお父さん」と応じる悲壮なやり取りが転載された。あたかも戦地に赴く兵士を送るような情景だ。

2008年の四川大地震を思い出す。「抗震救災」(地震に対抗し、被災を救う)がスローガンとなり、自然災害を敵とみなして対抗する抗戦の理論が顔をのぞかせた。災害に備えて周到な教育、訓練、準備をするのではなく、起きたら全員が団結してそれに立ち向かい、偉大な精神を発揮して乗り切ろうという戦時体制の思想が社会を覆い、犠牲者を英雄視する報道が繰り返される。震災の現場で人を救って命を落とした者は、戦場で倒れた兵士と同じ烈士と評される。

庶民の悲惨が、為政者によって政治の道具として利用され、鎮魂の儀式をもって幕切れとなる。シナリオ通りに政治ショーは再演され、庶民の悲劇は繰り返される。

東京在住の徐静波氏が中国語のミニブログで、日本の消防隊が公務員として生涯、消防活動に携わり、特殊な教育と訓練を経た専門家集団であることを紹介し、天津での消火活動を「ありえない」と評していることを伝えると、たちまち大反響があった。彼は次のように訴えた。

「天津でのこの火災によって犠牲となった何十人の生命が、人々に対し中国の消防体制に対する思考を促し、いかにして軍事化を除いて職業化を実現し、いかんして勇気に頼る考え方を取り除いて化学性を実現し、専門的な消防学校を建設し、専門的な消防人材を育てるよう希望する」

発生当初はみな真剣に、深刻に事態を受け入れ、熱心に議論する。だが、いつもいつも繰り返されるのは、時がたてば何もなかったかのように忘れられてしまうことだ。四川大震災後、中国の学校で震災訓練が広く行われるようになったとは聞いていない。

日本では終戦記念日が訪れ、9月に入れば中国で社会の各層を動員した抗日戦争70周年記念行事がスタートする。習近平総書記が指揮する軍事パレードが行われている時、いったい何人の人が天津で無くなった若い命のことを思い出すだろうか。膨大な財力を投じたどんなに最新鋭の兵器であっても、1人の命にははるかに及ばないという自明の理を思い返すことこそ、戦争の反省にふさわしい。



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