行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【日中独創メディア・中南海ウオッチ】薄熙来の金庫番が獄中で不自然な死に方をした

2015-12-07 00:35:33 | 日記
6日、中国から驚きのニュースが飛び込んできた。新華社はまだ公式の報道をしていない。複数のネットメディアによる情報だ。2013年9月、収賄や横領、職権乱用罪ですでに無期懲役が確定した薄熙来・元重慶市共産党委書記の側近で、薄ファミリーの「金庫番」と言われてきた徐明・大連実徳集団会長(44)が死去したというのだ。しかも「武漢の獄中で突然の心筋梗塞」という。これをまともに信じる人はいない。中国のネットはさまざまな「空想」が飛び交った。明確な根拠はないが、私は暗殺の疑いもあると思っている。

大連紙『半島晨報』のニュースサイトなどによると、徐明氏が死亡したのは12月4日、6日には遺骨が大連に運ばれる予定という。すでに懲役4年の有期刑を受け、来年9月には満期で釈放されることになっていたとのことだ。すべての報道が彼の死亡を「去世」としている。若干、敬意のこもった言い方だ。服役囚であればただの「死亡」でよいのではないか。なぞは深まるばかりだ。

徐氏は1990年代、大連市長だった薄氏と親交を結んだ。以来、化学建材業で成功し、サッカーの大連代表クラブチームも所有し、金融から石油化学まで事業を拡大。2005年には米誌『フォーブス』の中国富豪ランキングで8位に入った。2011年には中国メディアによる資産ランキングで130億元と推定された。薄氏を通じ中央地方政界に幅広い人脈を持ち、それが事業の背景にあったとされる。

驚くべきことは3点。第一に、彼は2013年8月22日、薄氏が問われた収賄罪の公判で検察側証人として出廷し、フランスの別荘などを贈賄したことを証言したのを最後に、一切の消息が伝えられていなかった。次に、公判で贈賄の証言をしながら、これまで2年以上、逮捕や起訴などの処分が公表されおらず、判決が確定していたというのも初耳だ。最後に不自然な死因である。薄氏の公判に出廷する2か月前には、香港メディアが徐明氏の獄中死を一斉に誤報しており、同氏周辺で血なまぐさい謀略がうごめいていることを暗示していた。

見逃すことができないは、徐氏の身柄の争奪をめぐって政権内部で軍を巻き込んだ政変劇が起きていることだ。

党の内部報告では、2012年3月19日、薄氏と盟友関係を結び、習近平政権転覆を企図していた周永康・元党中央政法委書記が、党中央規律検査委に拘束された徐明氏を奪回しようと武装警察を動員したが、当時の胡耀邦総書記が首都警備を担当する精鋭部隊の陸軍38軍を投入して制圧するクーデター騒動が起きた。大量の武装車両が並ぶ異様な光景をミニブログ・微博で伝えた6人が「デマ」だとして拘束される〝冤罪〟も招いた。徐氏は、周氏が政変劇を起こしてまで身柄を奪回したかった重要人物である。20年近くにわたって薄一家と親交を深めてきた徐氏は,薄、周両氏をつなぐ暗部についても知悉している可能性が高い。薄氏、周氏らによる習政権転覆クーデターの重要な生き証人になり得る。いずれにしても金庫番の徐氏が薄氏、周氏の失脚に大きな役割を演じたことは間違いない。

実は来年に出版予定の拙著草稿には、徐明氏失踪の可能性として、「すでにこの世にいないか、生きていたとしても処分について異論があり、結論が先送りされているか、または捜査への協力が功績として認められ、罪を不問に付されているかのいずれ」と三つの推論を立てていた。急いで書き直しをしなければならない。

すでに薄氏、周氏は判決が確定しており、この期に及んで徐明氏の口を封じる動機は存在しない。あるとすれば仲間を裏切ったことへの報復である。また、徐明氏はいわば政界事情を「知りすぎた男」である。彼が口を割れば危険にさらされる人物は多数いるだろう。これまで一切の消息がなかったこと自体、彼の存在が極めてデリケートであることの証左だ。「空想」はとどまるところを知らない。新たな情報収集に努めることが先決だ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿