本日30日、北京市朝陽区の陳経綸中学を訪れた。現在の学校名は、香港の篤志家・陳経綸が1991年、私財を投じて改築したことで名を冠せられた。実は1921年、桜美林学園の創設者でクリスチャンの清水安三(1891~1988)が、女子のために設立した崇貞学園が前身である。「崇貞(貞節を崇める)」とは、当時、貧困ゆえに虐げられていた女子たちを救済する意味が込められていた。宣教師であった清水安三は、慈善事業として女学校を設立したのである。
(陳経綸中学の展示から)
同校内には桜美林大学の北京事務所が置かれ、小林信二所長が案内をしてくれた。正門を入って振り返ると、裏に「崇貞学園」の文字が刻まれている。
壁面には1921年からの同校の歴史が銅板のプレートで示されている。
清水安三が座右の銘とした「学而事人」(学んで人につかえる)の石碑も置かれている。
最初の妻、美穂夫人(1895~1933)の墓碑と一緒に上半身の銅像もある。その墓碑には、美穂夫人が「自分の全身の三分の一を学校に、三分の一を夫に、三分の一を女児た捧げた」と刻まれている。
清水安三は、望みを持ち続けることを教え、その教育の中心には人への愛があった。「現在の教育もまたその原点回帰が求められている」とは小林所長の言葉だ。全く同感である。
清水安三はまた、革命期の中国社会について多くの有益な著作を残し、孫文については「死んでも死なぬは孫文」(『支那当代新人物』)と彼の思想を高く評価した。孫文もまた「博愛」を語り、人類の平等な社会を思い描いた。
今年、孫文の生誕150年を迎えるにあたり、以下の講演会を企画した。孫文と直接交わった日本人の中で、特筆すべきは多額の資金援助によってその革命事業を支援した梅屋庄吉(1868~1934)である。梅屋庄吉もまた、孫文との交友の中で「愛」を語った。人類愛をもって中国人と交わった日本人2人を振り返ることは、日中の相互理解を深めるうえで有意義だと考えた。
【孫文生誕150年記念講演会】
※申し込みは(QVond3bxzR)まで
日時
2016年4月23日(土)午後2時から5時まで
13:30 開場、受付
14:00 講演、質疑応答、交流
17:00 閉会
場所
イトーキ・セミナールーム
http://www.synqa.jp/facilities/2floor/
講演者
日比谷松本楼副社長 小坂文乃「孫文と梅屋庄吉~transnationalな生き方を学ぶ」
桜美林大学教授 高井潔司「北京特派員も務めた桜美林大学創設者、清水安三」
主催
日中の未来を考える会(代表 保思兆)
NPO法人日中メディア独創会(代表 加藤隆則)
(陳経綸中学の展示から)
同校内には桜美林大学の北京事務所が置かれ、小林信二所長が案内をしてくれた。正門を入って振り返ると、裏に「崇貞学園」の文字が刻まれている。
壁面には1921年からの同校の歴史が銅板のプレートで示されている。
清水安三が座右の銘とした「学而事人」(学んで人につかえる)の石碑も置かれている。
最初の妻、美穂夫人(1895~1933)の墓碑と一緒に上半身の銅像もある。その墓碑には、美穂夫人が「自分の全身の三分の一を学校に、三分の一を夫に、三分の一を女児た捧げた」と刻まれている。
清水安三は、望みを持ち続けることを教え、その教育の中心には人への愛があった。「現在の教育もまたその原点回帰が求められている」とは小林所長の言葉だ。全く同感である。
清水安三はまた、革命期の中国社会について多くの有益な著作を残し、孫文については「死んでも死なぬは孫文」(『支那当代新人物』)と彼の思想を高く評価した。孫文もまた「博愛」を語り、人類の平等な社会を思い描いた。
今年、孫文の生誕150年を迎えるにあたり、以下の講演会を企画した。孫文と直接交わった日本人の中で、特筆すべきは多額の資金援助によってその革命事業を支援した梅屋庄吉(1868~1934)である。梅屋庄吉もまた、孫文との交友の中で「愛」を語った。人類愛をもって中国人と交わった日本人2人を振り返ることは、日中の相互理解を深めるうえで有意義だと考えた。
【孫文生誕150年記念講演会】
※申し込みは(QVond3bxzR)まで
日時
2016年4月23日(土)午後2時から5時まで
13:30 開場、受付
14:00 講演、質疑応答、交流
17:00 閉会
場所
イトーキ・セミナールーム
http://www.synqa.jp/facilities/2floor/
講演者
日比谷松本楼副社長 小坂文乃「孫文と梅屋庄吉~transnationalな生き方を学ぶ」
桜美林大学教授 高井潔司「北京特派員も務めた桜美林大学創設者、清水安三」
主催
日中の未来を考える会(代表 保思兆)
NPO法人日中メディア独創会(代表 加藤隆則)
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