国際関係におけるメディアの責任を研究していて、英紙『ザ・タイムズ』の元編集長、ウイッカム・スティード氏の『THE PRESS』(ペンギン・ブックス 1938)の邦訳『理想の新聞』(みすず書房)を手に取った。翻訳者は元朝日新聞欧州総局長の浅井泰範氏である。
スティード氏は1896年から第一次大戦前夜の1913年までベルリン、ローマ、ウイーン特派員を務め、その後は外報部長、編集長と要職を歴任した。英国の対外宣伝工作にもかかわり、国益を前面に打ち出した強い主張で物議も醸したが、特殊な時代に取材と編集の最前線に身を置いた経験に基づく発言は学ぶべき点が多い。
スティード氏は、民主主義社会では、平時にあっては、すべての人々が自分たちの福利にかかわるあらゆる情報を知らされる権利を有するのだから、その情報を伝達するジャーナリストは、人々の精神の番人として振る舞わなければならない」と主張し、新聞に政権が恣意的な規制を加えることを批判する。ジャーナリストの良心を重んじる立場から、「新聞に課せられた信頼関係および道徳的責任は、聖職者と宗教の関係、政治家や指導者と社会思潮の関係に似ている」と言う。
だが同書には、新聞界が少数の資本に牛耳られ、新聞の自由に対する危惧が下敷きにある。「いまは、私たちの”民主主義的な文明”という衣服の光沢が失われつつあり、生地の下の織り糸が現れつつある時代」と疑問を呈し、織り糸の状態を徹底的に調べるよう警鐘を鳴らす。氏が批判する以下のような海外特派員の弊害は今にも通ずる。
「自分が派遣された国の新聞を読むだけで入手したニュースや、官僚、大使、政治家たちが興味を持って自分たちに話してくれる話題だけに頼っている海外特派員は、競争からたちどころに脱落するだろう。特派員たる者は、当該国の国民が学んだこと以上に、その国の歴史、出来事、人物などについて勉強しなくてはならない。そして、自分がニュースを手に入れようと思っている大事な人たちに、情報や十分精通した助言などをあたえることができるくらいにならないといけない」
織り糸をたどる原点は、19世紀半ば、ルイ・ナポレオンが自ら皇帝になるためのクーデターを起こした際、英のパーマスト外相が独断で承認した一件にさかのぼる。『ザ・タイムズ』がそれを激しく攻撃すると、仏関係を考慮したダービー首相は「新聞は政治家の責任もいっしょに負わなくてはならない」と同紙に自制を求めたため、同紙は1852年2月6、7日の2日間、新聞の責任と義務に関する記事を載せた。権力から独立し、正しい情報を国民と共有することを新聞の責任、義務として主張したものである。
「公表することや事実を伝えることが、存在理由そのものになっている私たち新聞人にとって、事実を、あるがままに、率直かつ正確に公表するのを控えることほど不名誉なことはない。私たちは結果を恐れることなく、みたままに真実を伝えなくてはならない。不正や抑圧を隠す便宜をはかってはならないし、そうした不正や抑圧の事実をたちどころに公表して、世の中の判断に供しなくてはならない」
時空を超えた真理である。さらに国際関係におけるメディアの責任に言及している。
「新聞は、世界じゅうの文明の大義にかかわるものにはすべて無関心ではありえない。英国の新聞は、現在の世界で、ひとり完全な自由を享受しているように見える。しかし、英国の新聞の自由がヨーロッパ共通の利害関係に直結していることを反省しなければ、英国の新聞は、現在享受している崇高な特権の根源をひどく無視することになろう。(中略)私たちは、みずからの正当性を示すためにも、ヨーロッパで埋葬されたり弾圧された自由がいま一度再生して、私たちが固執する自由の基準にまで回復して一緒に隊列を組むことのできる日が到来するのを待つこととしたい」
スティード氏が同書で、あえて86年前の記事を引用したのは、ナチスドイツが勃興する中、融和政策をとる英政府とそれに追随する英メディアへの批判がこめられている。新聞のの自由を守る唯一の道は、ジャーナリストを奴隷化する全体主義的概念を全面的に否定することだと強調し、「残念ながら、英国のジャーナリストは、英国の政治家と同じように、政治哲学の基本についていますこし勉強しなくてはならない」と結ぶのである。
メディアの自由を語る議論は英国から米国に主導権が移ってはいるが、当時、先陣を切り開いた英国の記者は、時空を超えた至言を残したと言うべきだろう。いまなお、いやメディア自体が官僚化し、硬直している今だからこそ、問い直されるべき歴史である。名著を発掘した翻訳者の浅井氏にも敬意を表したい。
スティード氏は1896年から第一次大戦前夜の1913年までベルリン、ローマ、ウイーン特派員を務め、その後は外報部長、編集長と要職を歴任した。英国の対外宣伝工作にもかかわり、国益を前面に打ち出した強い主張で物議も醸したが、特殊な時代に取材と編集の最前線に身を置いた経験に基づく発言は学ぶべき点が多い。
スティード氏は、民主主義社会では、平時にあっては、すべての人々が自分たちの福利にかかわるあらゆる情報を知らされる権利を有するのだから、その情報を伝達するジャーナリストは、人々の精神の番人として振る舞わなければならない」と主張し、新聞に政権が恣意的な規制を加えることを批判する。ジャーナリストの良心を重んじる立場から、「新聞に課せられた信頼関係および道徳的責任は、聖職者と宗教の関係、政治家や指導者と社会思潮の関係に似ている」と言う。
だが同書には、新聞界が少数の資本に牛耳られ、新聞の自由に対する危惧が下敷きにある。「いまは、私たちの”民主主義的な文明”という衣服の光沢が失われつつあり、生地の下の織り糸が現れつつある時代」と疑問を呈し、織り糸の状態を徹底的に調べるよう警鐘を鳴らす。氏が批判する以下のような海外特派員の弊害は今にも通ずる。
「自分が派遣された国の新聞を読むだけで入手したニュースや、官僚、大使、政治家たちが興味を持って自分たちに話してくれる話題だけに頼っている海外特派員は、競争からたちどころに脱落するだろう。特派員たる者は、当該国の国民が学んだこと以上に、その国の歴史、出来事、人物などについて勉強しなくてはならない。そして、自分がニュースを手に入れようと思っている大事な人たちに、情報や十分精通した助言などをあたえることができるくらいにならないといけない」
織り糸をたどる原点は、19世紀半ば、ルイ・ナポレオンが自ら皇帝になるためのクーデターを起こした際、英のパーマスト外相が独断で承認した一件にさかのぼる。『ザ・タイムズ』がそれを激しく攻撃すると、仏関係を考慮したダービー首相は「新聞は政治家の責任もいっしょに負わなくてはならない」と同紙に自制を求めたため、同紙は1852年2月6、7日の2日間、新聞の責任と義務に関する記事を載せた。権力から独立し、正しい情報を国民と共有することを新聞の責任、義務として主張したものである。
「公表することや事実を伝えることが、存在理由そのものになっている私たち新聞人にとって、事実を、あるがままに、率直かつ正確に公表するのを控えることほど不名誉なことはない。私たちは結果を恐れることなく、みたままに真実を伝えなくてはならない。不正や抑圧を隠す便宜をはかってはならないし、そうした不正や抑圧の事実をたちどころに公表して、世の中の判断に供しなくてはならない」
時空を超えた真理である。さらに国際関係におけるメディアの責任に言及している。
「新聞は、世界じゅうの文明の大義にかかわるものにはすべて無関心ではありえない。英国の新聞は、現在の世界で、ひとり完全な自由を享受しているように見える。しかし、英国の新聞の自由がヨーロッパ共通の利害関係に直結していることを反省しなければ、英国の新聞は、現在享受している崇高な特権の根源をひどく無視することになろう。(中略)私たちは、みずからの正当性を示すためにも、ヨーロッパで埋葬されたり弾圧された自由がいま一度再生して、私たちが固執する自由の基準にまで回復して一緒に隊列を組むことのできる日が到来するのを待つこととしたい」
スティード氏が同書で、あえて86年前の記事を引用したのは、ナチスドイツが勃興する中、融和政策をとる英政府とそれに追随する英メディアへの批判がこめられている。新聞のの自由を守る唯一の道は、ジャーナリストを奴隷化する全体主義的概念を全面的に否定することだと強調し、「残念ながら、英国のジャーナリストは、英国の政治家と同じように、政治哲学の基本についていますこし勉強しなくてはならない」と結ぶのである。
メディアの自由を語る議論は英国から米国に主導権が移ってはいるが、当時、先陣を切り開いた英国の記者は、時空を超えた至言を残したと言うべきだろう。いまなお、いやメディア自体が官僚化し、硬直している今だからこそ、問い直されるべき歴史である。名著を発掘した翻訳者の浅井氏にも敬意を表したい。
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