行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【日中独創メディア】「軍国」に複雑な感情を抱いてきた中国人

2016-03-15 11:27:43 | 日記
宮崎市定『中国政治論集』には非常に学ぶことが多い。その中の一編に、清末から民国にかけての言論人、呉盧の『家族制度は専制主義の根拠たるの論』がある。呉盧は日本の法政大学に留学。帰国後、陳独秀らとともに、儒教を封建思想として激しく攻撃する論陣を張り、五四文化運動に大きな影響を与えた。北京大学で教授も務めた。呉虞は、身分秩序である礼を重んじる儒教は人を食う教えだ、と主張する論文まで書いている。



『家族制度は専制主義の根拠たるの論』で面白いのは、儒教によって成り立つのを宗法社会と呼び、それに相対するものとして「軍国社会」を描いていることだ。呉虞に言わせれば、秦の始皇帝は法家思想を重んじて富国強兵を図り、封建思想を一掃した。そのために強大な中央集権国家が誕生し、宗法社会から軍国社会に転じる絶好の機会だったが、続く漢代になると儒教が復活し、また家族中心の社会に戻ってそのチャンスを逸してしまった。一方、西洋はとっくに宗法から軍国社会にに移行し、強大な国家となって中国を侵略する力を得た。だから西洋を学ばなければならないというのだ。

ここで軍国社会と言っているのは、宮崎市定によれば、「他民族の国家を承認しつつ、軍備を固めて自己の独立を維持する世界の状態」をいう。当時の中国人の一般的な思想として、中国は古来天下国家であり、武を卑しみ文を尚んで、ひたする平和を求むるに汲々とした結果、西洋諸国が渡来するに及んで、これに対抗することができず、反植民地の状態におちこんだのだと考える。この考え方は現代に至っても影響を及ぼしている。

呉虞の発想は、時代の背景、つまり、侵略を受けた弱国の被害者心理が強く働いていると思われる。なぜならば、同時期の梁啓超は『中国の武士道』で、中国人の武勇は最初の天性であって、春秋戦国時代、つまり強国が覇を争った時代は、中国民族の武勇が天下にとどろいたと述べているからだ。「中国の武士道は覇権政治と相終始した」と述べ、覇を争った時代こそ民族の優れた本性が発揮されたと説く。

梁啓超は、中国には国家や上官、友人のために死をいとわない尚武の精神があり、「日本の武士道にも負けない」と豪語した。尚武の精神が失われたのは、秦をはじめ強力な統一国家の専制によって、民が武器を取り上げられていったことが原因だという。強い民族主義、愛国の情から「軍事大国」への道を唱えざるを得なかったのもまた、被侵略者の悲哀を反映していると言える。

軍国化を妨げた原因分析において、呉虞と梁啓超の主張は異なるが、「軍国」が決してマイナスではなく、国家が生き延びるため当然あるべき姿として描かれているという点では一致している。

日本人に思い起こされるのは、孫文が亡くなる直前の1924年11月28日、北京に向かう途中に立ち寄った神戸で「大アジア演説」と題する演説を行い、「あなた方日本民族は、すでに欧米の覇道文化を受け継いでいると同時に、アジアの王道文化の本質も持っている。今後日本が世界の文化に対し、西洋の覇道の番犬となるか、東洋の王道の牙城となるか、それは日本国民が慎重に考慮すべきこと」(『国父全集』)と呼びかけたことだ。孫文は武力によって他国を侵略する西洋を覇道、徳によって治める東洋を王道と評し、軍国主義に突き進もうとする日本をけん制した。

これは梁啓超の論とは逆転の史観に立つが、その動機において、救国の思想としての共通点を根に持っていることは間違いない。中国の近代は、「愛国」に加え「軍国」というキーワードも欠かすことができない。複雑な屈折した感情が込められている。この課題は今もなおこの国が苦悩しながら抱えているということを、この課題に不可分な関係を有する隣国として、よりよく理解すべきであると思う。隣人を愛することのできない世界は悲しい。

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